小夜
『何度でも繰り返す』
ぷち、ぷち、ぷち、ぷち。
黒くて小さな虫を何度も何度も踏み潰す。
ぷち、ぷち、ぷち、ぷち。
長く続いていた列は途中からいくつもの点に変わっていく。
私は楽しくて何度も何度もそれをつぶす。
潰れる音がなんだか楽しい。
ぷち、ぷち、ぷち……
「小夜、そのくらいで止めておけよ」
私は顔を上げて、カイを見た。
隣にいる彼は「お兄さん」だ。――お兄さんって何だろう。よくわからないけど、私は彼の妹なのだと「お父さん」が言った。
「かわいそうだろ」
カイは眉をひそめる。
かわいそうって何。
「楽しいよ」
「そういう問題じゃねえよ。見ていて気持ちのいいもんじゃねえからやめとけって」
足元を見れば、踏まれた仲間の死骸の狭間を、蟻がわらわらと彷徨うように――それでも目的地を目指して再び列を作っている。
どこへ行こうというのだろう。
何であきらめないのだろう。
何で歩くのを止めないのだろう。
何で逃げないのだろう。
まるで――。
――まるで人のよう。
歌うような声が聞こえた。
――殺しても殺してもいなくならないの。
誰の声だろう。
――ふふ、ふ。楽しいわ。
手や口を赤く染めて。
――こんなに楽しいのに何で殺してはいけないの。
無邪気な声。
歌うように「彼女」は笑う。
ふふ、ふふふ、ふ。
彼女は笑う。
ぞくり――と背筋が凍って。
「いや」
「小夜？」
「いや……っ」
怖くて怖くて。
わけもわからずに、ただ怖くてカイの袖をつかんだ。その手が震える。
「いやだっ」
「馬鹿、怒ったわけじゃねえよ」
カイの手がポンと私の頭に乗った。それを合図のように、もうあの声は聞こえてこなかった。
私は驚いて――。
「あ……」
カイの顔を見た。
「あ……」
すごい。
お兄ちゃんってすごい。
なんだか嬉しくなって笑うと、カイは軽く目を開いて、はは、と笑った。
「どうしたんだよ、急に笑って。変なやつだな」
カイは私の手を取ると、そのまま引っ張った。
「ほら、親父が呼んでる。行くぞ」
カイの手は大きくて、ぐいぐいと私を引っ張っていく。
どこに行くんだろう。少しだけ不思議だったけど、いやじゃなかったから、このままでもいいかなって思った。
私は右手に広がる海を見る。
「sea」
あん？ 何か言ったか、とカイが振り返った。
「海」
「ああ」
カイはくすりと笑った。
「俺の名前も海って意味なんだぜ」
「うみ……」
お兄ちゃん。
「カイ」
呼ぶと、カイは振り向かないまま「なんだよ」と答えた。
「カイ」
「だからなんだって」
「海、きれい」
「また今度連れて来てやるよ」
「うん」
それはわかる。
私は笑った。
それはとても楽しいことだ。
了
【歪んだ世界の五十題／002】
2006.05.08