小夜
『幻視痛』
燃える草の臭い。
燃ける人の臭い。
流れる血の臭い。
震える人の叫び。
揺らめく光。
染まる黒と赤。
いくつもの目。
目が映し出す赤い光。
恐怖に見開かれた瞳。
私は笑み。
私は怒り。
すべてを断ち切った。
「ああああああ……！！」
何度も夢に見て飛び起きる。
静まった部屋に、私の乱れた息だけが響き、高鳴る鼓動が鼓膜を突き破るような感覚を覚えた。
シュン――と、風が動いて。
「小夜」
囁く声は、優しく響いた。
「――ハジ」
暗闇の中でも、控えた彼の姿が見えた。眠ることのできない人。
この世界に眠らない生き物はいない。その理から彼を外してしまったのは、この私だ。
「――ッ！」
左に視線を感じてギクリとする。赤い二つの光に目を向ければ、それは鏡に写った自分の瞳だった。
暗闇の中でも輝く閃光。
真っ赤なそれは、まるで血に飢えた鬼のようで。
「――っ」
私は自分の目を見ていられなくて膝を抱えて顔を伏せた。
「小夜」
寝台がきしむ。
ハジが寄り添って、大きな手が優しく私の髪を撫でた。
「小夜……」
大丈夫ですよ、と彼は言う。
私はずっとここにいます――と。
耳に心地いい彼の声。それだけで心が静まっていくのがわかる。それなのに、脳裏からはあの映像が離れない。
まぶたに焼き付いて。
指が震えた。
「どうして……そばにいなかったの」
ずっとそばにいてくれると云っていたのに。
ずっと一緒だと約束したのに。
そう口にしようとして――愕然とした。
――違う。
私はそんな約束はしていない。
これもまた、失われた記憶のひとつなのか。
「何があったの……」
思い出せない。
血塗られた夢の奥に何があるのか。
あのときの自分に何が起こったのか。
ベトナムで何があったのか。
その前も。
その後も。
揺らぐ記憶と幻に私は怯えるばかりで。
「何で教えてくれないの……」
涙があふれる。
「ハジ――。何で教えてくれないの」
答えてくれる声はない。貴女が望むならと――そう口にしながら、彼は私の望みをかなえてくれない。
黒と赤に血塗られた夢。
「教えてよ……」
幻なのか現実なのかもわからない。
わからないことが怖い。
知らないことが怖い。
焦りと混乱と不安と――警告。
それは、血の中に潜む自分自身への恐れだった。
了
【歪んだ世界の五十題／003】
2006.05.08