岡村×真央
『涙』
人を呼ぶときに、「ねえ、ちょっと」というのはどうかと思う。
熟年の夫婦が妻を「おい」と呼ぶのと似ているが、少なくとも俺たちは夫婦じゃないわけで。
それでも振り返らないと、
「ちょっと、おっさん」
……に変わる。
「無視してんじゃないわよ」
謝花真央はすらりとした肢体を隠すことなく、テレビと俺の間に仁王立ちとなった。
「料理できたから運んで」
優秀な料理人であるルイスはデヴィッドやカイと昨日から出かけている。
真央は持っていた皿を食卓に置くが、それを見て俺は固まった。
――なんだこれ。
おいおい、何また創作料理してんだ。見た目は玉子焼きだが、なんでピンク色なんだよ。
だが、そんなことを口に出せるはずもなく。
「お前、もうちょっと言葉使いを変えた方がいいんじゃないのか？ 人をオッサンオッサンって」
「なによ、おじさまとでも呼んでもらいたいの？」
「いや、そういうんじゃなくて」
「はあ？」
「岡村さんって呼べばいいだろうが」
「はあ！？」
真央は眉を吊り上げたが、じろじろと俺を見た後、呆れたような溜め息をついた。
「まったく……これだからおっさんは」
いかにも作ったという顔だったが、真央はにっこりと笑った。
「岡村さん、お料理、運んでくださる？」
声まで可愛い。
「……お、おう」
くそ、なに動揺してんだ、俺。
顔が紅潮する。ふと真央を見ると、腕を組み、細目になって俺を見ていた。
「へ・ん・た・い」
「ば！ 馬鹿ッ！ お前が気持ち悪い声出すからだろうがっ」
「あのね、アンタが紳士だったらあたしだってそれ相応の対応をするのよ。いつも同じ服来て、カメラにハアハアしているアンタのどこに紳士のかけらがあるのか教えてもらいたいわね」
「カメラにハアハアってなんだそりゃ」
「気づいてないの？ さいてー」
「……」
ガーン。
くそ！ なんで女子高校生にこんなこと言われなくちゃいけないんだ。泣きてえー。
「第一、おっさんにおっさんって言って何か問題でもあるわけ？」
「俺はオッサンじゃねえ」
「へー、ふーん、そうなの」
「……」
……神さま。俺、泣いてもいいですか。
涙がちょちょぎれそうだ。――いや、こんな表現も今の若いやつは使わねぇか。
真央は鼻を鳴らした。
「いいから、早く運んでよ！」
「へいへい」
「その言い方がすでにおっさんだっつうの」
キッチンへ向かう真央に俺は従う。
そして、並べられた創作料理の数々に思わずひるんだ。１、２、３、４、５……つか、これ全部俺が食うのか！？
「……どれがメインなんだ」
「これ！」
真央は自信満々の笑顔で煮魚を指した。
「……」
なんつうか、色は悪くねえ。だが、鱗が毛羽立って思いっきり輝いているんですけど、真央さん？
カイに手料理を披露する前に、試食係が必要らしい。それは懸命な判断だが、毒見させられる俺としてはたまったものではない。
とりあえず真央の指示に従って料理を運ぶ。その間も俺は彼女に訴えた。
「デヴィッドやルイスをオッサンって言うならまだしも、俺はまだ若いんだから、オッサンって呼ばれると傷つくんだよ」
まだギリギリではあるが二十代なのだから。
「男心はナイーブだってことを覚えとけ」
「なにがナイーブよ、いい年して。３５くらい行ってんでしょ」
「誰が３５だ！ ばっか、聞いて驚くなよ」
俺は真央に人差し指を突き刺し、ニヤリと笑うが――。少し思い直す。
「ええと……ちなみに聞くが、お嬢の中では何歳までが若者になるんだ？」
だいたい28くらいか？ ギリギリだな……。
「若者？」
真央は腕を組み、そうねえ、と言った。
「大学生までかな」
「…………」
ガクリ、と俺は床に手を突いてうなだれた。なんだそりゃ。女子高生からしたら社会人はもうおっさんかよ……。
ひどい現実だ。
「ちょっと、どうしたの！？」
「なんでもない。気にするな」
気にしてくれるな。ちょっとショックだっただけだ。
「はあ？」
真央は料理の皿を俺の頭の上に乗せた。
「まったくもう、しょうがない男ね。それで、なんて言って欲しいんだっけ？」
「…………です」
「え？」
「おっさんでいいです……」
俺の呟きが聞こえたのか聞こえなかったのか、真央は呆れたような溜め息をついた。俺の頭から皿を退け、
「ほら、立って！ ご飯しよ！」
まるで犬を撫でるかのように俺の髪をくしゃりとかき回した。
了
【一文字で十のお題／05】
2007.04.05