柏木×祐巳
『お菓子』
祐巳、と呼ばれて振り返ると、二階から祐麒が降りてくる。
「ちょっと待って」
「なによ」
早くしないと遅刻してしまう。
玄関で靴を履いて待つ私に、祐麒は持っていた紙袋を差し出してきた。
「これやる」
「なに？」
中を見たら、コンビニで買ったキャンディーの袋が二つ。
「ふーん、ありがと」
お礼を言って、玄関の横に紙袋を置いてそのまま家を出ようとしたら、紙袋を掴んだ祐麒が門まで追いかけてきた。
「持ってけ」
「ええ？」
「いいから」
祐麒は早く持てとばかりに押し付けてくる。
「ありがとう」
「ん」
コクンと祐麒はうなずくと、健闘を祈る、と口にして踵を返した。
健闘を祈る？
いったいなに。
頭の上にクエスチョンマークがぽこぽこ出てくる。
山百合会への差し入れだろうか。そう考えてから、行事会議のために早く学校に行かなければいけないことを思い出して、あわててバス亭まで向かった。
M駅に着くとバスを乗り換える。リリアン女学園行きのバス亭には何人かの学生が並んでいた。その最後尾にいた少女が私を見つけて微笑んだ。
「お姉さま、ごきげんよう」
額の中央を横切る前髪、渦を巻く髪がバネのように揺れて、松平瞳子がにっこりと笑った。
祐巳も微笑んで妹に近づく。
「ごきげんよう」
いつもならリリアン女学園の生徒で溢れているバス停には、数人の生徒しかいない。部活の早朝練習などで朝の早い生徒はもっと前のバスを利用するのかもしれない。時間に追われていない生活はなんて優雅なんだろう。バスにも必ず座れるし、毎日15分でいいから早く出れば快適な通学が出来るだろうに、といつも思うのだけれど、実際はそう簡単にはいかないのだった。
菜々ちゃんや白薔薇姉妹もそろい、バスが来て山百合会の面々が後部座席にまとまって座ると、隣に座った瞳子がふうと息を吐いた。
「お姉さま、今日が何の日かわかっていらっしゃいますか？」
「え？」
私は瞬いた。山百合会の集まりで早く学校に行く……以外に何かあっただろうか。私の手帳には、「一時間前に家出」としか書いてない。
瞳子は溜め息をつくと、鞄と一緒に持っていた小さな紙袋を私に差し出してきた。
「もらってください」
「え？」
「手作りのクッキーなんです」
「えええ？」
今日は祐麒に続いて瞳子からもお菓子をもらってしまった。
「ありがとうー！」
祐巳さん、という声に振り返ると、白薔薇さまである藤堂志摩子さんがにっこりと笑って丸い包みを差し出してくる。
「私はロールケーキ。よかったらもらって」
「私はラムネです」
「えええ！？ 志摩子さんに、乃梨子ちゃんまで！」
なななな、何が起こっているんだ。
「ロサ・キネンシス」
ちょこんとおとなしく座っていた有馬菜々ちゃんまでが小さな包みを差し出してくる。
「私は金平糖なんですけど」
「エエエエエー！？」
バスの中なのに大きな声が出てしまった。
「今日は私の誕生日！？」
なわけない。
半年も前に終わっている。
「な、なんで？」
「いいから、家まで食べないで持っていてください」
瞳子に言われて、私はハイと真面目にうなずいた。
ありがとう、と礼を言ってみんなからお菓子を受け取ると、鞄の中から祐麒にもらった紙袋を取り出して全部仕舞った。中には飴とクッキー、ケーキにラムネ、金平糖。
私が忘れているだけで、今日は何かの記念日？
学校前のバス停に着くと、門のところには長い髪を風に流した長身の女性が立っていた。
「お姉さま！」
リリアン付属の大学に通う小笠原祥子さまが優雅に微笑んでいる。
「祐巳、ごきげんよう」
「ごきげんよう、お姉さま」
朝からお姉さまに会えるなんて、今日は一日、いい日になりそう。
思わずピョンコピョンコと跳ねてしまう。
「こんな朝早くからどうなさったんですか？」
朝は苦手な祥子さまがいったいどうしたことだろう。
「あなたにこれを渡そうと思って」
はい、と差し出されたのは立派な紙袋に入ったメープルパーラーのフルーツゼリーセレクションだった。
「お、お姉さままで」
「私まで？」
軽く目を開いた祥子さまは、私の背後で瞳子たちと視線を合わせて微笑した。
「みんな考えることは同じなのね」
「ロサ・フェティダから連絡がありまして。家にあるものを、と」
「そうなの」
祥子さまは微笑んでいる。
由乃さんがみんなに電話？
いったい、どういうことなのだろう。
そんな由乃さんは、薔薇の館に入るや否や、元気な笑顔を披露してくださった。
「祐巳さん！ ごきげんよう！」
「由乃さん、いったいどういうこと？」
三年になって「薔薇さま」となった今も、私たちは相変わらず名前で呼び合っている。
だが、由乃さんは私の質問が耳に入っていないらしい。
「みんなはもう渡したのね」
よしよし、と私が持っている紙袋を見て満足げにうなずいた。
「私はこれ」
はい、といって差し出されたのは、豆大福にお煎餅。和菓子というのがいかにも由乃さんらしいけど。
「学校で食べちゃダメよ！」
「う、うん……」
いったい、なに。
誰か説明して。
薔薇の館から教室棟に行けば、武嶋蔦子さんからガムを、可南子ちゃんからはチョコレートを、先生からは小袋のポテチをもらってしまった。先生まで、と驚いたけど、何か手伝ってくれた生徒にお礼として渡しているというから、今回のこととは関係ないらしい。よくわからないけど、おまけで付いてくる野球カードを集めているらしく、食べきれないポテトチップスばかりが余っているのだという。
放課後。
結局、もらったお菓子は食べずに全部持って家に帰ることになってしまった。
「山百合会のみんなで食べようよ」
そんな誘いも、早々に却下されてしまって。
「後始末はしておきますから、ロサ・キネンシスはお先にどうぞ」
部活と委員会に属さず、一緒に残っていた二条乃梨子ちゃんが微笑んだ。
「健闘を祈ります」
「……」
どこかで聞いたことのあるセリフだ。ええと、誰だったっけ。そうだ、祐麒。
そういえば、部活に向かう前の由乃さんも「祐巳さん、がんばってね！」とか云っていた。
「何があるのかは教えてくれないんだよね？」
はいでもいいえでもなく、乃梨子ちゃんはただ微笑んだ。
「やあ祐巳ちゃん」
にっこり笑って、（おそらく）最後の刺客が現れた。白い歯を見せて爽やかに笑うのは、隣の花寺大学に通う柏木優さんだ。
リリアン女学園の校門の外で、いつものように待っていた。いつも思うけど、恥ずかしくないのかな。
「ごきげんよう……」
言って、私の視線は柏木さんの顔ではなく手に向かってしまった。お菓子があるのかどうかを確認してしまったのはちょっと下品だったかもしれない。
視線を上に向ければ、柏木さんはニコニコと笑って両手を広げた。
「祐巳ちゃん！」
「なんですか？」
「Trick or Treat！」
「………………」
あ、と目を丸くする私に、柏木さんはそれを真似るように目を丸くして首をかしげた。
私は自分の鈍さを呪った。
「ハロウィン」
「そう。お菓子がなかったら悪戯しちゃうぞー！」
ははは、と柏木さんは陽気に笑っている。
そうか、ハロウィンだったのか。そういえば、M駅のいたるところでカボチャが飾られていたし、ハロウィンがどうのというポスターまで目にしていたのに。その期間が長すぎて、肝心の10月31日＝ハロウィンに結びつくことがなかったのだ。
それで瞳子たちは私にお菓子を、と納得しかけて、あれ？ と思う。普通は柏木さんにみたいに「トリックオアトリート」と口にしてから悪戯をされないようにとお菓子を渡すはず。なのに、何も口にしていないのに、私のところにお菓子が集まってくるというのはどういうことなんだろう。
私が深刻に考え込んでいると、柏木さんは何を勘違いしたのか、あわてて否定しだした。
「うそうそ、悪戯はしない」
「え？」
「え？」
「悪戯しないの？」
「え？」
柏木さんは口をぽかんと開いた。
「してほしいの？」
「え？」
私はきょとんと瞬き、あわてて大否定。
「まさか！ して欲しくないです！！」
「なんだ、驚いた」
「こっちのほうが驚きました」
冷や汗が出た。私は大きく息を吐く。
でも、それで分かった。みんながくれたお菓子は、私が柏木さんから悪戯をされないための予防策だったのだ。
「お菓子ならたくさんありますよ」
ニヤリと私が笑えば、柏木さんもまたニヤリと笑った。
「なるほど、俺が好きなメープルパーラーのフルーツゼリーまで用意してくれたのか、嬉しいなあ」
ん？
「ちょっと待って」
今の言い方はおかしい。まるで、私が柏木さんの襲来を想定して、わざわざ用意していたみたいじゃないか。
「これはお姉さまや瞳子たちがくれたんです」
「いやいや、わかっているよ。祐巳ちゃんの気持ちは」
「なんですか、私の気持ちって」
「俺が来るって分かっていたんだ」
「分かってないですから」
「楽しみにしていてくれたのかー」
「してません」
「分かってるって」
「何が！ ぜんぜん分かってないでしょ！」
「分かってる分かってる」
ニヤニヤと柏木さんは笑っている。ああもう、勘違いだってば！
柏木さんには悪いけど、私は「今日が」ハロウィンだということを知らなかったし、彼が現れるなんて想像もしていなかったのだ。そのあたりが、由乃さんから「祐巳さんは油断しすぎ」とか、祐麒から「迂闊すぎる」と言われる要因なのかもしれない。
勝手に勘違いして盛り上がっている男は放置することにした。
まったく、と溜め息もつきたくなるというものだ。
「お菓子がなかったらどうするつもりだったんですか」
「んー、そうだなあ」
考えていなかったのかよ！ と思わず突っこみたくなる。
柏木さんはニッコリと笑った。
「抱きつくとか」
「ギャ！」
「……なに、そのギャッって。傷つくわあ」
柏木さんは目をちょっとうるうるとさせた。
「冗談なのに」
「最低」
吐き捨てて、私は柏木さんを置いて歩き出した。
「うそうそ、うそだよ」
「嘘？ 何が嘘？」
抱きつくのが嘘ってこと？ 冗談だと言ったのが嘘ということ？
こんなやり取りが一番柏木さんを喜ばせてしまっているということに私が気づくのはずっと後のこと。
「祐巳ちゃん、重そうだね。持ってあげるよ」
隣に並んだ柏木さんが優しく笑った。
了
【ハロウィン企画】
2009.10.31