柏木×祐巳 ※恋人設定
『付き合ってるのに』
夜の住宅街。すでに陽は落ちて、徒歩で帰宅する人の数もまばらだ。
「祐巳ちゃん」
家まで送る道中で、後ろ髪を軽く掴んで呼ぶと、なんですかと問うように彼女は振り返った。
大学に入ってからの彼女は、高校での定番だった耳の上で結っていた髪を解いていろいろな髪型を楽しんでいる。今日は前髪だけをピンで留めて、後ろ髪は背中に流していた。
「俺たちは付き合っているんだよね？」
改めて言ってみたら、暗くても彼女の頬が赤くなったのが分かった。
「……そのつもりですけど」
「うん」
それが分かっているのならいい。
彼女は不審そうな顔で首をかしげた。
「何ですか？」
「別に」
「柏木さん。な ん で す か」
「うん、だから、触ってきてもいいんだよ？」
さらりと口にしてみるが、彼女はきょとんと瞬いて、軽く首をかしげている。なぜそんなことを言うのか、と問いたげに。
俺は小さく息をつくと、彼女の髪を梳くようにして離れ、右手を差し出した。
「祐巳ちゃん、手をつなごう」
「やです」
即答だった。
以前、遊園地で同じことを言って断られたことがあるけれど、今と昔とではお互いの関係も状況もだいぶ変わってきている。
「どうして？」
「……」
恥ずかしいから、と彼女の顔が雄弁に物語っている。
「誰も見ていないよ」
「見てなくても」
「なら、腕」
彼女はふるふると首を横に振った。
まったく、と俺は息を吐いた。
「さっちゃんや瞳子の腕には平気で抱きつくのに」
「お姉さまや瞳子と、柏木さんは違います」
「差別はよくない」
「差別じゃないです」
「じゃあ、手をつなごう」
「や」
「……」
なるほど。
俺はわざと笑う。
「じゃあ、祐巳ちゃんが手をつないでくれるまで、俺は祐巳ちゃんに一切触らないことにする」
「え？」
彼女を置いて歩き出すと、後ろから慌てたように足音が近づいてきた。
「柏木さん」
「ん？」
「どういうことですか」
「だから、祐巳ちゃんのほうから手をつないでくれるまで、祐巳ちゃんには触らない」
俺は目を細めて笑った。
「わかった？」
「……」
なにそれ、と言いたげな顔の彼女に微笑んで、再び歩き出した。
俺が何を言いたいのか考えているのだろうか。一定隔を保ったまま、彼女は黙ってあとを付いてくる。
「怒ったんですか」
「いや？ 怒っているわけじゃない」
彼女が俺に触れてくるのが早いか、それとも俺が彼女に触れられないことに我慢できなくなるのが早いか。
ふと振り返ると、彼女は軽く怯んで、それを悟られないように口をへの字にした。
俺は彼女を先に歩かせる。いつもなら、軽く肘や背中を支えて誘導するところだが、今は宣言どおり彼女には触れず、足を緩めただけだった。
戸惑った視線を向けられた。
「柏木さん」
不安そうな声。
でも、それに気づかないふりでいつものように微笑んだ。
「ん？」
つなぐ？
手を差し出してみると、彼女はそれをじっと見つめていたが、やがてツンと顔をそらして歩き出してしまった。
風に流れる横髪。
泣きそうな顔をするくせに。
彼女の頑なな後姿に、俺は苦笑して彼女を追いかけた。
――ねえ、祐巳ちゃん。俺に触ってもいいんだよ？
了
【発展途上の恋のお題 01. 付き合ってるのに触れてもくれない】
2009.11.5