柏木×祐巳 ※恋人設定
『可愛いね』
毎日電話をしているのに、直接会えたのは二週間ぶりで。
心なしか彼女が浮かれているように思えるのは、自分が浮かれているからだろうか。
「柏木さん」
さっきまで笑って話していた彼女が、睨むように俺を見上げてくる。
「何ですか？」
「え？ なに」
俺は瞬いた。
本当に何、だ。彼女に睨まれる理由が分からない。
「口押さえて、ニヤニヤしてる」
「ああ」
それは。
手を下ろすが、彼女を見たらすぐに顔がニヤけて来てしまって、それを隠すように口を押さえた。
「ほらまた！」
プリプリと怒る彼女は本当に可愛い。
「なんでもないんだ」
「なんでもないのに、どうして笑うの！？」
「うん」
「うんじゃない！」
「うん」
「もう笑わないで！」
「はははは！」
声を出して笑うと、彼女は本当に怒ってしまった。知らない、と言い放つと、早足になって俺の前を歩いていく。
ごめんごめん、と謝って彼女に並んだ。いつも彼女の歩幅に合わせてゆっくり歩いているので、簡単に追いついてしまう。それがまた彼女にしてみると悔しいらしい。ムキになって、彼女は懸命に手足を動かす。怒って紅潮した顔すらも可愛くて。
「祐巳ちゃん」
どうしよう。
「ねえ」
どうしようどうしよう。
声を出して笑いたい。
すでに足が疲れてきたのか、彼女の歩く速度は落ちてきている。少しだけ息切れもしていて、すぐに彼女の歩調はいつもと同じになった。
「祐巳ちゃん、頬が痛い」
正直に言えば、笑うからでしょ、と睨まれた。
その通り。
頬がニヤけるのを堪えるのも大変なのだ。
「何で笑うのよ」
――可愛いから。
でも、可愛いから、と言うとなぜか彼女は怒る。笑う理由を言わないと怒られ、言っても怒られるなんて、いったいどうしたらいいんだ？
「嬉しいから、かな」
ニッコリ笑えば、彼女は少しだけ頬を染めてフンと鼻をそらした。
「いつも笑っているじゃない」
「うん、そう。いつも嬉しいんだ」
彼女といるだけで楽しい。自然と笑ってしまう。人は、可愛い物を前にすると笑ってしまう生き物なのだ。
可愛いと思う――その感情を、人は愛しいと言うのだろう。
「祐巳ちゃん」
「なに」
「可愛いね」
「――」
彼女は言葉に詰まって、一瞬だけ困ったような表情になった。だが、いつもの戯言と思ったのか、あっさりと聞かなかったことしたらしい。はいはい、と呆れたように言って俺から顔を背けた。でも、ちらりとのぞく耳が赤い。それがまた笑いを誘うのだと、彼女には分からない。
「祐巳ちゃん、可愛い」
「もういいですから」
「可愛い」
「しつこい」
「可愛い」
「怒りますよ」
「だって、可愛いんだから仕方がないじゃないか」
可愛い、とたくさん言うべきなのだ。だって、言わなければその思いばかりが内で溢れて、そのうち爆発してしまう。
「可愛い」
「嫌がらせですか」
「違う」
それは心外だ。
「ちゃんと小出ししておかないと大変なことになるんだ。祐巳ちゃんだってそれじゃ困るだろ？」
「はあ？」
「いきなり噴火したら困るってこと」
「意味がわかりません」
「俺はわかる」
「そういう謎かけは嫌い」
「俺は好きだよ」
にっこり。
こういう態度こそ、彼女が嫌がると分かっているけれど。
相変わらず、嫌そうな顔をする彼女に俺は苦笑した。
「言いたいんだからさ、言わせてあげてよ。我慢させるのはかわいそうだろ？」
「我慢するほどのことですか」
「そりゃもう多大にね」
「――」
彼女は俺を睨んでくるが、言っても無駄だと悟ったのか、それとも俺の口をふさぐことを諦めたのか、視線を外すと大きな溜め息をついて、力なくつぶやいた。
「もう勝手にしてください」
――よし。
俺は拳を握った。
「本当にいいの？」
「ええもう、ご自由に」
なんだか投げやりな言い方だけど、許可を得たことに変わりはない。
「勝手にする！」
胸を張って元気に宣言すると、目を丸くした彼女に笑いかけた。
了
【発展途上の恋のお題 06. 可愛いね、と言いたい】
2009.11.16