柏木×祐巳 ※柏木→祐巳
『重なるはずのない点と点』
なにそれ、だった。
そろそろ帰ろうかと身支度が始まる中、唯一の一年生、有馬菜々ちゃんが洗ったカップを棚に戻しながら「うちはお姉ちゃん調査ってしないんですか？」と聞いてきたのだ。
特定の誰に、ではなかったので、ここにいる山百合会の先輩方すべてに対しての質問だろう。
祐巳は、なにそれ、と瞬き、
「お姉ちゃん調査？」
おっとりと首をかしげたのは志摩子さんだった。
菜々ちゃんの姉である由乃さんは祐巳と同じく「なにそれ」な顔。
お姉ちゃん調査。この場合の「お姉ちゃん」というのは、実の姉ということになるのだろうか、それともスールという意味でのお姉さま？
確かに、「姉妹」となった生徒の数は把握していないし、学校への申告制でもない。そんな調査をしようとも思わなかったけれど、「うちは」ということは、その調査をやった人――もしくは団体がいるわけで。
「お姉ちゃんがいるかいないかってこと？」
「違います」
菜々ちゃんはガラス戸を閉めて、
「――そうか、やってないのか」
後半は独り言のようにつぶやいた。
祐巳は首をかしげた。
「スールになった生徒の数を調べるの？」
「いえ――。うちのクラスで花寺にお兄さんのいる子がいるんですけど、花寺でやったアンケートの結果が面白いから、私たちもやってみようかって、今、うちのクラスでちょっとしたブームというか……」
「それがお姉ちゃん調査？」
「はい。――花寺のは『お兄ちゃん調査』なんですけど」
「お兄ちゃん調査」
菜々ちゃんはコクンと頷いて、
「お兄ちゃん調査です」
と言った。
「実際に兄がいるかどうかじゃなくて、理想の兄は誰だ、従兄は誰だ、みたいなアンケートで」
「へええ」
新聞部がやりそうですね、と乃梨子ちゃん。
リリアンの新聞部も毎年人気アンケートは取っているが。
なるほど、と祐巳は頷いた。
「それをリリアン風にお姉ちゃんバージョンにしているわけだ」
「はい。理想の姉なら薔薇さまとかスールを選ぶ人が圧倒的だと思うんですけど、従姉だったら誰とか、義理の姉になるなら誰がいいとか、そういうのは考えたことがなかったから新鮮みたいで」
「それ、新聞部がやりそうだなあ」
真美さんの張り切る顔が目に浮かぶ。
「話が来たらどうする？」
学年もしくは全校生徒を対象としたアンケートや企画になる場合は、山百合会に話を通すのがリリアンの慣わしだ。
「楽しそうだし、いいんじゃない？」
由乃さんが言って、祐巳もそうだね、と思ったのだが、結果的に志摩子さんの一言がそれを断念させた。
「私はやらないほうがいいと思うわ」
一刀両断するかのような物言いだったのが意外だった。志摩子さんがそう言うのであれば、特に反対する理由もなく、結果は決まったも同然だったけれど。
「私は面白そうだと思うけどなあ」
一応、賛成意見も口にしてみる。志摩子さんはそうね、と同意してくれた。
「私も面白いとは思う。でも、たとえば、祐巳さんの弟――祐麒さんを好きな女の子がいるとするわよね。実際、そういう子もうちの学校の中には多いと思うの。彼の場合は弟になるけど、これが兄だったらと仮定してみて。祐巳さんが義理の姉妹はこの人がいいってアンケートに書いて、それが誰かを知ったら、祐麒さんのことが好きな人は傷つくと思わない？」
「あー」
なるほど、と思ったのは祐巳だけではなかったようで、みんなが同時に頷いた。確かに、近い未来、義理の姉妹となるかもしれない子がこの学校にいる可能性もあるのだ。
「そっか……そうだね」
祐麒に彼女とか、今はまだ、そんなこと、全然考えられないけど。
ふと、祐麒って好きな子いるのかな……と思った。以前、祐麒にどんな子が好みなのかを聞いたときは「優しい子」とか言っていたが、うちの子たちはみんな優しいぞ、とリリアンの「薔薇さま」としてはちょっと親馬鹿になってみる。
「じゃあ、アンケートについての話が新聞部から上がってきても、山百合会では賛同しない――ということで」
由乃さんの言葉に、祐巳ははっきりと頷いた。
賛同はしなかったけれど。
家に帰れば、やっぱりそのアンケートというのが気になるわけで。
祐麒が帰ってくるのを待ち構えていた祐巳は、
「お帰り。ねえ、祐麒祐麒、祐麒」
はい、と右手を出した。
「俺は犬か。なんだよその手は」
「花寺でやったアンケートの結果、私にも見せて」
「アンケートの結果？」
「お兄ちゃんアンケート」
「ああ、お兄ちゃん調査のことか。なんで知ってんだそんなこと」
「今日、うちで話題になったの。お兄ちゃんに関するアンケートなんでしょう？」
「変なアンケートだけどな」
それで？ と話の続きを期待し目を輝かせる姉に、祐麒は溜め息をついた。
「対象は１・２年生だけ。花寺高校の中で、あなたが血のつながったお兄さんだったらいいなあと思う人は誰ですか？ 義理の兄だったら、従兄だったら、って質問が続く。俺はくだらないと思うんだけどさ、毎年やっているみたいで、いまさら止められないって感じ」
「へえ」
なるほど。祐巳はふむふむと頷いた。疑っていたわけじゃないが、菜々ちゃんが言っていたことと同じだ。
「それだけなの？」
「他に、お兄さん、お兄ちゃん、兄さん、兄者、兄上、お兄様と呼ぶなら誰、とか」
「そんな質問もあるんだ」
「だから、お兄ちゃん調査って言っただろ。『兄』に関すること全般なんだよ。学年ごとの集計と、合計の集計が出る」
「へええ」
本格的だね、と祐巳は感心した。
「で、アンケート結果の紙は？」
「捨てた」
「えええ！？ もうー、なんで捨てるのよ」
「持っていたってしょうがないだろ」
「そうだけど。見たかったのにー」
ぶう、と祐巳は頬を膨らませた。祐麒は笑う。
「残念でした」
「ねえ、祐麒は『お兄さん』の中の何かに該当したの？ 祐麒だって一・二年生にとってはお兄さんになるわけだし、頼れる生徒会長さまだし」
祐麒は嫌そうな顔で祐巳の額を指で弾いた。
「そっちはどうなんだよ、頼れる紅薔薇さま」
お互いに、自分たちにとっては不釣合いな肩書きであることは十分に分かっているから、嫌味はおあいこだ。
祐巳は気持ちを切り替えて背筋を伸ばした。
「ねえ、祐麒も去年はアンケートに回答したんだよね。『義理の兄だったらいいなあと思う人』に誰を書いたの？」
義理の兄ということは、祐巳と結婚して、身内になってもいいなと思える人ということだ。もし、いるとするなら気になる。
ほら言え、言うのだ祐麒。
「つつくな」
「書かなかったの？」
「書いた……けど」
「書いたんだ！ 誰！？」
「……」
即答しない祐麒に、祐巳は嫌な予感を覚えて顔をゆがめた。
「まさか……」
疑いの目を向ける姉に、祐麒は両手を振った。
「違う違う。柏木先輩じゃない。卒業生は対象外」
「ちょっと、別に、柏木さんなんて言ってない」
「でも、そう思っただろ」
「……。卒業生じゃなかったら対象だったわけ？」
「……」
ゴホン。祐麒は何も答えずに咳払い。
「柏木先輩のことは置いといて」
前にそろえた両手を荷物を移動するように横へと動かした。
「義理のお兄さんならいいなあアンケートの結果だけど、去年の一位はランポー先輩」
「ランポー先輩！」
初めて聞く名前だ。ムキムキマッチョなんだろうか、と映画の主人公を思い出してみる。
「ちがう」
祐麒が冷めた目で祐巳を見た。
「言っとくが、ムキムキマッチョじゃないからな」
「エスパー！」
「顔に出すぎなんだよ！ ランボーじゃなくて、江戸川乱歩のランポ」
「なんだ、ランポか、ランポ」
「俺もランポー先輩って書いた」
「え！ 書いたんだ！！」
それはちょっと意外だった。
ランポー、ランポー。祐巳は何度か会ったことのある生徒会の面々を思い出してみるが、そんな名前、聞いたことがない。確か上級生は双子で、ガッコウとかカッコウとかニッコウとか、そんな感じの名前だった。生徒会に所属する上級生はその二人だけだったはず。
「双子の人じゃないよね？」
「違う。日光月光先輩と学年は同じだけど、前の生徒会役員。俺が生徒会長になったときに、もう一人の先輩と一緒に引退したんだ。大きな行事のときは手伝ってくれたけどね。……祐巳も会っているはずだぞ」
「うそ！ いつ？」
「体育祭のとき。運動場がどこか迷っているパンダに教えてあげたって言ってたから」
「へえ……」
そういえば、確かに、途中で運動場の位置を教えてくれた人がいたような気がする。あのときは、祐麒と間違えられて誘拐されたり、柏木さんに土下座されたり、お姉さまに早く会いたくて着ぐるみのまま校内を駆け回ったりと波乱の1日だった。
祐麒は、考え込んでいる祐巳を何か言いたげに見るが、結局、何も言わずに洗面所に向かった。祐巳はその後を金魚の糞よろしく、ぴょんこぴょんことついていく。
「ねえ、一昨年もランポー先輩って書いたの？」
「うん」
「へえ……」
どんな人なんだろう、と思う。きっと優しい人なのだろう。てっきり――。
「柏木先輩かと思った？」
くるりと振り返り、祐麒がニヤリと笑った。肩をすくめてみせた祐巳を、祐麒は笑う。
「柏木先輩を義理の兄にするには恐れ多いって感じなんだと思うよ。一昨年も義理のお兄さんでは一位じゃなかったし」
「あらら」
他で上位になっているのだろうが、柏木さん的にはショックだったんじゃないだろうか。
くすくすと祐巳が笑っていると、何かに気づいたように祐麒が振り返った。
「祐巳」
「ん？」
「俺がランポー先輩の名前を書いたって、柏木先輩には言うなよな」
「どうして？」
「どうしてって……」
純粋に疑問に思っている祐巳を、祐麒は困ったように見つめる。
「柏木さんは関係ないじゃない」
「そりゃあ、関係……ないけど」
ないけど、ある。そう言いたげな祐麒を、祐巳は変な子、と思う。
「柏木さんとランポーさんの間にいざこざでもあったの？」
「ないよそんなの」
ないけど。
やっぱり何か言いたげな祐麒の言葉を祐巳は待つ。
「ないけど、あるの？」
「祐巳が、柏木先輩に言えばね」
「ふうん。柏木さんがランポーさんに嫉妬しちゃうとか？ でも、そんなに肝っ玉が小さい男じゃないでしょ、あの人」
「……」
とにかく、と祐麒は咳払い。
「絶対に言うな」
「なんで？」
「いいから、なんでも。絶対に、だ」
「……わかった」
「冗談じゃないからな」
「わかったってば」
祐巳は唇を尖らせて、しつこい弟に「絶対に言わない」と約束。
ご飯よー、と声をかけてきたお母さんに、二人して「はーい！」と元気に返事した。
わけがわからない、と祐巳は弟をにらんだ。少しくらい説明してくれてもいいのに。
そういえば、と思う。
これって、志摩子さんが言っていたことと似ている。もしも、だ。もしも祐巳のことを好きな人がいたら、祐麒が義理の兄になったらいいなと思う人の名前を見たときにショックを受けるんじゃないのか――。
って。
いやいやいや、その場合、柏木さんが祐巳を好きだということが前提となるわけで。
ない。
ないない。
「それはない」
うん、それはない。
ぶつぶつとつぶやく祐巳に、祐麒が怪訝そうに眉を寄せる。
「何がだよ」
「なんでもないよー」
祐巳はヘへっと笑った。
「会ってみたいな、そのランポーさんって人」
「……」
祐麒は嫌そうな顔。
「やだよ」
「なによう、会わせたくないの？ いい人なんでしょう？」
「いい人だよ。でも、会わせたくない」
なにそれ、失礼しちゃう、と祐巳は祐麒のわき腹にパンチすると、お母さんの手伝いに駆け寄った。台所に入る前、くるっと振り返って、いひひと笑う。
「それって、やきもち？」
「するか、ばか」
祐巳は笑いながら台所に消えた。
――なによう、会わせたくないの？
殴られた脇腹をさすりながら、祐麒はつぶやく。
「ランポー先輩は喜ぶと思うけど……」
何しろ、あの運動会のパンダが祐麒の姉だとわかる前から可愛い子がいたと口にし、祐巳に興味を持ってしまった人だから。
思わず漏れたのは溜め息。
「なんで、あんなちんちくりんの子狸がいいんだ」
自分の姉に対して、ひどい言い草だということは分かっている。だが、学校の男どもは、祐巳が可愛いと本気で思っているのだ。なにより、問題は――。
ユキチ、という声とともに、烏帽子親のさわやかな笑顔が頭に浮かぶ。
一番ありえない人が、祐巳を気に入っている――ということ。
おそらく、それは、冗談でなく。
真剣、に。
「まいったなあ……」
本当に、どうしたらいいのだろう。
一昨年と去年の調査で、「義理の兄になるといいなと思う人」に烏帽子親の顔を一瞬でも思い浮かべてしまったのは事実。そのときは「ありえねー」とすぐに否定したが。
「柏木先輩が義理の兄？」
そうなる可能性が高まっている事実。
冗談だろ、と思う。
いや、誰に限らず、祐巳の彼氏だなんて、まったく想像が出来ない。
しかも――。
柏木優。
「うわー」
無理無理。
想像できない。
したくない。
シスコンだと言われても、思われてもかまわない。
今はまだ、考えたくない。
そりゃあ、祐巳の非常なまでの鈍感さに、柏木先輩へ同情することもあるけれど。しょっちゅうあるけれど！ それは自業自得という気もするし、柏木自身はそれを楽しんでいる節もある。もし祐巳が高校を卒業し、薔薇さま効果がなくなったら……興味も失せるのだろうか――。
それはそれで、なんだか頭にくるが、一方で、柏木優という人間がそんな人じゃないことも分かっているわけで。
「……はああ」
なんて厄介な人なのだろう。
祐巳が卒業したら柏木の枷をはずすだけじゃね？ と誰かが囁く。
あああ、と祐麒は頭を抱えた。
了
【柏木＋祐巳好きさんに２０のお題 02】
2011.01.16