延王×陽子／澪様

　　　　『子夜歌』

　　　　　秋風入窗裏
　　　　　羅帳起飄
　　　　　仰頭看明月
　　　　　寄情千里光

　　　＜１＞

　胡弓の音とともに、微かな女の歌声が聞こえる。
　澄んだ、けれどどこか哀しげなその声に、私室で書き物をしていた陽子は、その手をふと止めた。
「祥瓊？」
　彼女は、芳国の元公主。
　現在は、女史として友人として常に陽子の側にいる、華やかで朗らかな少女である。
　だが、今聞こえる声は、いつもの彼女のそれとは全く異なっている。
　彼女のもつ軽やかさがなく、代わりに切なさと寂しさが、その声から滲み出ている。
「まるで今の私の心境を表しているようだ……」
　小さく呟いて、陽子は露台へと向かう。
　今宵は月が美しい。
　紺青の空に、白く静かに輝く月。
　それを黙って見つめる陽子の頬を、一筋の涙がつたっていった。

　　　＜２＞

「なぁ、祥瓊？」
　翌日の午後。書類を運んできた祥瓊を誘い、陽子は短い休憩を楽しんでいた。
「夜中に、胡弓の音と歌声が聞こえてきたんだけど。あれって祥瓊？」
　茉莉花茶を口に運びながら、昨夜から気になっていたことを尋ねてみる。
「やだ。陽子に聞かれていたのね。夜更けだし、誰も起きていないと思ったのに」
　答える祥瓊は、晴れやかな笑い声をあげた。その拍子に、髪に挿した歩揺がゆれる。
　いつもと同じ快活さ。
　これが本当に昨夜の声の持ち主と同一人物なのか？　――陽子はそう思わずにはいられない。
「何だか、随分としんみりとした調子だったけど。……何かあったのか？」
「ぇえ？　何もないわよ！　昨日は何となく眠る気がしなくて、久しぶりに弾いてみようと思ったの。で、月を眺めていたら、思いついたのがあの曲だった……ってわけ」
　――それにしては、感情がこもり過ぎていなかったか？
　陽子は思うが、口には出さない。否、何故か出せなかった。
「そうか。ならいいんだけど。……ところで、あの歌、どういう意味？」
　ふふ、と祥瓊は再び笑った。軽やかな声だ。だが、瞳は笑っていないように見えるは、気のせいだろうか？

「遠くにいる恋人を想う、女の歌よ」

　　　＜３＞

　涙がとめどなく溢れて、頬をつたってゆく。纏った薄い夜着を濡らす。
　想うのは、あの男。
　敬意はあっても、愛情は感じていなかった筈の、あの男。
　全てが嫌になっていたあの日、私の話を何も言わずに聞いていた人。
　いつの間にか抱きすくめられ、大きな熱い波に飲み込まれ・・・気付いた時には自分の隣で寝ていた人。
　意識のぼんやりとした私を引き寄せて、私の素肌に唇を這わせて。それから、ぎゅっと抱きしめて。
「また来る」
　――そう言い残して去っていった人。
　あれから、どれほどの月日が経ったのだろう？
　私はまだ、何も言っていないのに。
　――「どうしてこんな事を」とも聞いていない。
　――「待っている」とも答えていない。
　紡ごうとした言葉を、熱い吐息で阻まれて。そのまま唇を貪られてしまって。
「愛している、とも言っていない……」
　言ってやるつもりなど、なかったのに。近頃では、無性に口にしたい言葉。
「それなのに。それなのに。それなのに……」
　悔しかった。自分が許せなかった。たった一度の逢瀬とも言えぬ逢瀬だったのに。
　……こんなにものめり込んでしまっている自分がいる。
　ふわりと夜風が吹き、深紅の髪が舞う。男が、その手で優しく撫でた髪だ。
　もうこの髪があの人に触れられることはないのだろうか。
　あの温もりを感じることもないのだろうか。
　最後のあの言葉は――偽りだったのだろうか……。

「延王の嘘つき……」

「……誰が嘘をついたと？」
　背後からの突然の声に、陽子はぴくりと肩を震わせた。
　聞いたことのある声だ。低い、力強い声。眠れぬ夜もあった程、焦がれた声。
　とっさには信じられず、陽子は恐る恐る振り返ろうとした―――だが、後ろから伸びた腕が、腰に回される方が早かった。
　そのままきつく抱きしめられる。
「約束通り、来たぞ……陽子」
　男の唇から、己の名が囁かれる。男の吐息が耳朶にかかる毎に、体中が熱を帯びてくる。
「なっ……」
　言葉が、言葉にならない。目眩のような感覚がする。
「もう、大丈夫だな？　自棄になっていないな？　……自分の足で、立てるな？」
「――え？」
「あの日のお前は、随分荒れていたからな。そのくせ、妙に淡々と話をする。……正直に言って、見ていられなかった」
「じゃあ、なんであんなこ……んっ……！」
「……俺と同じ思いをさせたくなかったからだ」
　唇を離し、男が呟く。
「俺もな、陽子。お前のような状態になったことがある。何もしたくない、何も見たくない。――そんな虚脱感に襲われることがな。自分のしていることに突然自信がなくなった。そんな時、誰かに抱きしめてもらいたいと思ったんだ……」
「延王……」
「お前は間違っていない、そう言ってもらいたかった。……何とも情けない話だが」
「………で、私を抱いたんですか」
　話を聞いていた陽子は、次第に腹が立ってきた。ならば、ただ自分を抱きしめるだけでもよかっただろうに、と。
　くつくつと、男が背後で笑う。以前よく見た、人の悪い笑みが思い浮かぶ。
「それはな……俺が我慢できなかった。こっちの気も知らないで、何も知らない顔で俺に話しかけてくるのに、我慢できなかった。……だがな」
　ふと、込められていた力が抜けてゆくのを陽子は感じた。男が陽子の腰に回した腕を外し、正面へと回ってくる。
「今は、どうだ？　お前の目には、俺はどんな風に映る？」
　男は、陽子の顔をじっと見つめてくる。
　陽子は、ひとつ溜め息をついた。努めて冷静な声を出す。
「私は……何も言っていませんよ？　お約束もしていません」
　ほう、と目の前の男はつぶやく。陽子の言葉を愉しんでいるかのような、余裕の笑みを浮かべている。
「ですが。……待っていました、ずっと」
　やはり認めるのは、今でも少し悔しいのだけれど。
　でも。
　ふわりと、陽子は表情を緩める。男に腕を伸ばし、首に抱きついた。
「それから。愛しているようです、貴方のこと―――尚隆。だから……貴方の手で、私を立たせてくれませんか？」

　了

　『祥瓊のつぶやき』

　ああ、全く世話の焼ける。
　何でこの私がこんなことしなきゃならなかったのかしら？
　大体、延王も延王だわ。「陽子が俺をどう思っているか、様子を見てくれ」だなんて。
　手を出した責任くらい、ご自分でとって戴きたいものだわ。あんなに涙目で、必死になっちゃって。
　お蔭でこっちは「子夜歌」なんていう恋の歌まで歌わされて・・・・。
　しかも、「物思いにふけっているような、切なげな調子で」って注文付き。
　あの夜の陽子の様子、延王もこっそり見ている筈なんだけど。
　よっぽど首尾は上々、だったようねぇー。今のこの余裕の表情！
　あーあ、陽子の肩なんて抱いちゃって！　わわっ！！　もう押し倒そうとしてるっ！！
　全く、懲りてないというか。何だか騙されたような気がするわ……。

　……っと。
　私こっそり覗いていたんだっけ。気付かれないうちに、退散しなくちゃ……！

　でも・・・。

　あんな歌を歌ったから、思い出しちゃったわ。
　公主時代のこと。

　それから……あの人のこと。

　もう手紙なんて、二度とかけないのに……。

了

2001.10.11

……澪さんのコメント……

子夜歌・・・どうぞ、煮るなり焼くなりしてくださいませ（笑）

彼は女王様に手をつけた後も、
「遊郭」と称されます所での目撃証言があるとかないとか。

実は「やり逃げ」も考えたんですが・・・やはり無理！
話が思い浮かばないですもんｖ

うふふｖ
メールで３回に分けていただいちゃいましたｖ
幸せ～ｖ

澪さんの延王って、なんちゅうか男度が強い感じ。
エロさ加減も丈田にはうれしいところですｖ

しかし、陽子……苦労しそう（笑）　
途中までは確かにやり逃げ野郎で（笑）
この男！！（怒）　とか思っていたんですけど、
なんの、計画通りじゃないですか！

ラストの祥瓊のつぶやきもいい感じですよねｖ

月渓×祥瓊の影をちらつかせつつ（笑）
そっちもかなり気になりますが。

陽子も祥瓊も、
二人とも幸せになってね！！

この一言に尽きるのです！

澪さん！！　本当にうれしいですｖ　ありがとうございました～ｖ