浩瀚×陽子／きよた家様

　　　『 Dawn is breaking 』

　浩瀚は書類に最後の一字を書き込むと満足気に息を吐き、几帳面に筆を置いた。
　金波宮に設けられた自室でのことである。冢宰の任を預かり、同時に与えられたこの部屋にはすでに本や書類の類が溢れかえっている。それらはこの男らしくきちんと整理されていたが、どこか殺伐とした感が拭えない。もとより不要な物は手元に置かない主義だ。
　女官が気を利かせて季節の花を飾ってくれるが、どうもこの部屋とは相性が悪い。

　ゆらゆらと燭台の炎が揺れる。

　窓の外の月を見上げ、その高さから日の出までの時間をおおよそ予測する。
　朝が来るまでそう遠くない。
　体内に新鮮な空気を送るように、長く息を吸い、深く吐きだす。
　このところ根を詰める夜が続いていた。業務に忙殺される事を苦とは思わないが、それは気持ちの面でのこと。仙籍に入ることで病気や怪我はほとんど克服していても、やはり眠りにつく前、このひとときだけは肉体に疲労が訪れる。

　浩瀚は深く椅子にもたれた。
　目を瞑り、沈黙と暗闇の世界へ落ちる。
　眠らずともそれで疲労はいくらか回復できるものだ。

　水を打ったような静けさ。

　廊下につねにせわしなく歩いている女官や官吏達の気配はまったく感じられず、金波宮はしんと静まり返っていた。
　ふっと、浩瀚の表情がほころぶ。
（………そういえば、あの方が初めてここに来たのもこんな時間だったか）

　彼女はひっそりとこの部屋を訪ねてきた。
　まさか国の最高権力者たる王が深夜、それもたった一人でやってくるとは予想だにしておらず、冷静を装いつつも浩瀚は叩頭をすることを忘れるという失態を犯すほど動揺した。
　普通ならば叱責を買って当然だが、緋の髪の王は不快も不満も示さずに一言断わるとするりと部屋へ滑り込んだ。

　新しい景王は、名を陽子と言う。
　虚海の遥か東からやってきた胎果の王。
　御歳十七と言う、まだ少女と呼べるほどに幼い王ではあるが、浩瀚は即位式に麦州候として参列した折、その姿に真っ先に魅せられた。

　目を射るほどに鮮やかな緋色の髪と、意志と生命力に溢れた光の宿る翠の瞳。緊張の為か引き締めた唇は朱く、その唇から紡がれる声音は低く良く通った。

　そしてその小さな身体から漲る、覇気。

　――この方は、まさしく王だ。

　それは直感。
　麒麟が受ける天啓とは、こんなものなのかもしれない。

　部屋へ入り椅子に腰を下ろした陽子は、真っ直ぐに翠の瞳を向け、さして前置きもなく「なぜ冤罪を被せられても自分を信じることができたのか」と問うた。
　麦州候を追われ、逃亡生活を経て再び金波宮を訪ねたとき、真っ先に「すまなかった」と頭を下げたその真摯さで。
　だから浩瀚も感じたままを答えた。「直感だ」と。

「……それだけ？」
「はい」
「その直感を、命が狙われても信じたのか？」
「そうですが？」
「へえ……」
　陽子が呆れているような、信じきれないような表情を浮かべるので、浩瀚は軽く眉を上げた。
「ではお聞きいたしますが、他人を信ずるのに明確な理由など必要でしょうか」
　陽子は言葉につまり、その通りだな、と苦笑した。
　浩瀚はもちろん、目の前の少女が功国で死にかけながらそれを半獣の友人に
学んだことなど知らない。
「まさか、それを聞くためにわざわざいらっしゃったので？」
「そうだけど？」
　今度は浩瀚が呆れた表情を浮かべる。
「台輔の苦労が忍ばれます」
　その言葉に陽子は笑った。
「いいんだよ、景麒は苦労すれば。わたしだってあいつのせいで苦労したんだから、やられっぱなしじゃ気分が悪い」
　周りの官を竦ませるほどの覇気はどこへやら、年相応の少女の返答に心が暖かくなる。
　それに、と陽子は続けた。
「話がしてみたかったんだ。浩瀚と」
「私と？」
「そう。桓堆や柴望が信頼を寄せて、遠甫が太鼓判を押す男がどんな人物なのか、ってね」
　ふっと、笑みが止む。
「本当に、浩瀚には申し訳ないことをした」
　一度罷免したという罪悪感はまだ消えないのか、目を伏せてしまう。

　浩瀚の胸がさわさわと疼いた。

　瞳が見たい。

　真っ直ぐに自分を射る、その美しい瞳が――。
「主上、それは一度謝っていただきました。それに私は特別貴女を恨めしいとも思いません、とは幾度か申し上げた通りでございます。自虐的な感傷にひたる自己満足など、持つ価値もないと貴女はとうにお気づきのはずです」
　浩瀚はただ淡々と続ける。
「すべては主上の咎ではなく、心ある官吏が慶にはいなかったまでのこと。王の交代した朝が落ち着かないのは当然のように思われますが、空位を埋める仮朝とは本来、新しい王がすぐに動ける為の基盤を作っておく為にあるもの。それを整えておくことのできなかったのは、私たち官吏の咎でございます。ですから主上には多くの苦労をおかけいたしたと、本来ならば私どもが謝罪申し上げなければなりません」
　納得いただけるか、と視線だけを投げかける。陽子はもう目を伏せていなかった。

　貴女はいつも目を見て人と向き合う。
　その誠実さを疑うのならば、世の中の何が信じられると言うのか。

「ここに至るまでの経緯がどうあれ、私は今、貴女のお傍に仕えることを許していただいた。それがどんなに喜ばしいことか、説明が必要でしょうか？」
　陽子は首を横に振り、微笑んだ。
　それを見て胸中でほっと息をつく。
「……浩瀚は、不思議な男だな」
　そう言われて、浩瀚は今度は実際に軽く息を吐いた。
「私に言わせていただければ、よっぽど主上のほうが不思議な方です」
「そうか？」
「ご自覚がないと？　では主上は、こんな時間にお一人でお訪ねになることが一般的であるとお思いですか？」
　陽子はぱちくりと瞬く。
「こんな時間でないとゆっくり二人で話すことなんてできないと思ったからな。でも、確かにそうだな」
「主上は警戒心が足りません」
　深夜、女が男に会うその意味を知らぬ年ではあるまい。
　陽子は肩をすくめてみせた。
「あいにく、一つのことしか考えられない性分なんだ」
　だからすっかり忘れていた、と言う。

　それは己が『女』であることを忘れていたのか。
　それとも相手が『男』であることを忘れていたのか。

　胸にかすかな苛立ちが生まれたのを感じる。
「信頼していただけるのは光栄でございますが――」
「じゃあこうしよう。王様だから、こんな時間に部屋を訪れることが考えられないんだろう？　だからわたしは今、王じゃない」
　その言にあっけに取られた。
　どうやら彼女は、浩瀚と今の自分を『臣下』と『主』ではないにしても、あくまで『友人』としか思っていないようだった。
　男と女など、それ以前の問題だ。
　激しくその事実に打ちのめされる自分を浩瀚は自覚した。

　何故ここまでこの少女の一挙一動に躍らされるのか。
　確信めいた考えが頭をよぎる。
　考えれば、簡単なことだ。
　あのとき魅せられたのは心。
　深く、奥底の――。

「……では、今私の目の前にいるのは、私がお仕えする主ではないわけだ…」
　頭を擡げた欲望を静止する声はない。
　収まらぬ心の苛立ちとは裏腹に、口元に笑みが浮かんでいるがわかる。
　近寄った浩瀚を、少女は不思議そうに見上げた。
　そっと手を伸ばし、その頬に触れる。
　無防備に、抵抗もしない少女がいっそ恨めしい。
　浩瀚はその紅い唇に口付けを落とした。

　かすめるような一瞬。

　そっと身を離すと、碧玉の瞳が見開かれるのを見る。
「さあ主上、もうおやすみくださいませ」
　ようやく自らの身に起こった事態を把握したのか、
　浩瀚を見上げる少女はうっすらと頬を紅潮させた。
「……ちょっと待て浩瀚、今のはなんだ？」
　その顔に浮かぶのは純粋な困惑と微かな驚き。
　軽蔑や勘気でないことは浩瀚に余裕を生む。
「他意はございません」
「だから、説明しろ」
　悪びれない臣下に、赤い顔をしたまま少女は翠の双眸で睨む。
　浩瀚はその視線をさらりと受け止め、口元の笑みはそのまま、あくまでしれっと答えた。
「では、次回訪れになるまでの宿題といたしましょう」

　浩瀚は思い出してくつくつと笑った。
　それからというもの、内殿や外殿で顔を合わせるたびに物言いたげな顔をする主。その表情が、日を追う毎に追いつめられた、艶のあるものに変わってきているのに本人は気がついているのだろうか。
　あれから幾日、彼女はまだこの部屋を訪ねてきていない。
　浩瀚は自分を気の長い男だと思っているが、果して今回、先に音をあげるのはどちらだろう。

　自分が深夜まで政務をこなすのは、彼女の来訪を待ちわびているからなのかもしれない。

　そんなことを思って、扉を見やる。
　ひそやかに、足音が廊下に響くのを聞いた。

　夜明けが来る。

　この夜にも、慶の国にも。
　それは、あの愛しき人とともに。

　了

2001.12.05

……きよた家さまのコメント……

…題意は『夜明け』です。きよた家的浩瀚と陽子の始まり～ｖってことで。
ぜったい浩瀚は一目惚れだったと思うんです！
しかし一見すると、浩瀚の片思いのように思えるような・・・（汗）　あれれ？
う～ん精進精進。次はきっといちゃいちゃなやつを！
・・・延王のほうが書きやすい。単純だから（笑）

きゃーーー！！

しーあーわーせーーーーー！！

誕生日プレゼントってことは、私だけのための小説よ！？

こんな幸せあるーー！？

ある！！　ここに！！

もうメロメロですわ～。はにゃ～んｖ　と崩れ落ちる私の頬(笑)

浩瀚も陽子にメロメロだね(笑)

きよた家さんが想像する浩瀚のベースはどうも皇岐が描いた「陽子の額を押える浩瀚」らしいので（光栄なり～ｖ）
ちょっと「攻」入ってます(笑)

でも、鈍い陽子に気づかせるにはあれくらいしないとね！！

その続きが早く読めることを祈りたいっ！！
そして、早く「服をくれ」状態に行きましょう！！←これの意味が分かる人はどれほどいるのか(笑)

そして、延王のもね！！（ニヤリ）

たーのーしーみーーｖ

だって「次はもっとイチャイチャなやつを」って！！

ひえええ……！！　たまらーーんｖ

放置プレイっすか！

それもまた良し！
待つ！　待つわ！！　いつまでも！！

春にきよた家さんが戻ってくるのをみんな心待ちにしてますよーー！！
よい報告も待ってますｖ

きよた家さん、本当にありがとうございました～ｖ