夕暉×鈴／Ｈ.ｖ.Ｈ.様
『祝祭』
銅鑼の音がいずこからか響いて来た。
祝意の響きと、人々の明るい声が自然に混ざり合っていた。
景王赤子が登極して十年。いまだ完全なる復興はかなわないものの、徐々にその治世は安定を見せはじめている。
景王の傍に仕える者たちは、良い方向へと向かっているこの国の空気を皆わが事のように喜んでいる。
胎果の身で、こちらのことが何もわからなかった景王を、周囲の者たちが懸命に輔けて、そうして朝を支えている。
だから皆、景王の業績を褒められると、自分のことのように嬉しいのだ。
でも、わたしは・・・？
鈴は、女官たちの衣装部屋を整理するその作業を、ふと止めた。
わたしのような人間を、「みそっかす」って言うんじゃなかったっけ。
遠い昔、蓬莱の子供であった頃の自分を思い出して、そっと溜め息をついた。
子供たちの輪の中で、小さかったり、不具（かたわ）であったり、不器用であったりして皆と同じようなことが出来ない者が、そう呼ばれる。
遊びの種類によっては、輪の中に入れずに外で見ていなければならない。
こちらへ来ても、それは同じで。
いつも、わたしは「みそっかす」ではなかったか。
当たり前のことが何も出来ず、人々のお情けで辛うじて生きて来た役立たず。
それは自分が海客だからだと、ずっと思って来た。
わたしは、巡り合わせが悪いのだ。
いつも、運が悪いのだ。
幸福は、運の良い人のところに行き、わたしのところには来ないのだ。
わたしが、悪いんじゃない・・・
わたしを顧みない、天が悪いんだ・・・
まだ、たったの十年なのだ。
天は自分で前進しようとしない者は決して助けないのだということに気付いたのは。
わたしが、幸せになる努力を怠っていた時間はおよそ百年。
その一割しか、まだ過ぎていないのだ。
わたしは、取り戻せるんだろうか・・・？
絶望に似た何かが胸を駆け抜け、鈴は再び作業に取りかかった。
女官たちの衣装は年々、少しずつだが華やかで上質のものに変わってきている。
鈴の着ている物とて例外ではない。
だが、それが自分には相応しくないものだという思いが、どうしても消えない。
たしかに宮廷の雑事に追われる女御の仕事は、苦痛ではない。
だが逆にその苦痛ではないことが、鈴を不安にさせる。
わたしは、怠った分の埋め合わせを何もしていないんじゃないか・・・
「鈴、いるんでしょ。」
いきなり男の声が聞こえて、鈴はぎょっとして振り返った。
涼しげで、いかにも怜悧な面立ちの青年が、微笑みながら立っている。
「夕暉、どうしてこんなところへ！？」
春官府の新進気鋭の官吏として、女官たちにも人気の高いこの青年が、衣装部屋などに来る理由が思い浮かばない。
ただし、鈴にはこの青年の今の姿が、まだどうにも馴染めない。
はじめて出会った時は、一人の聡明そうな少年で。
金波宮で雑事に追われている間に、彼は一人前の男に成長してしまった。
じきに、あの冢宰の片腕になるだろうとも言われている、きわめて優秀な官吏。
それは、一日が過ぎるのがいつも長かった以前の暮らしに比べて、十年という時間が矢のように速く過ぎ去ったということでもあるのだが。
「鈴がいると思ったからだよ。」
「え？」
「まあた、一人で仕事全部片付けようとしちゃってる。」
夕暉は明るく笑いながらそう言った。
「鈴はいつもそう、他人の仕事を奪うようにして、それで結局自分の時間すり減らしてる。」
屈託のない笑顔で、夕暉は図星を差す。
まだ人生の序章を刻みはじめたばかりの彼の、溌剌とした表情が眩しすぎて。
鈴は俯いた。
夕暉の顔を正視せずに、鈴は呟くように口を開く。
「わたしは、おおいそぎで埋め合わせをしなければならないの・・・、百年も無駄にしたから。」
「埋め合わせって、何を？」
「自分が幸せになるための努力を・・・、わたしはずっと、してこなかったから。」
途切れ途切れのその言葉を、夕暉はきょとんとした顔で聞いて。
聞いて、やがていきなり笑いだした。
「あははは。鈴は馬鹿だな。ほんと、何も変わってない。」
「どうせ馬鹿よっ！」
言い返してしまってから、鈴ははっとした。
おまえは馬鹿だと何度も言われ。
ずっと耐えて来たのではなかったか。
言い返しても無駄だと、ずっと思って来たのではなかったか。
けれど、夕暉の言う「馬鹿」は、今までに言われて来たものとは、何かが違うような気がして。
「え・・・？」
気がつくと腕を掴まれていて、鈴ははっと我に返る。
目の前に、真剣な青年の眼差しがあった。
「夕暉・・・？」
「鈴、あなたは、幸せになっていいんだよ。」
静かに、夕暉は言った。だがそれは、沸き上がる何かを押さえつけるような、くぐもった声だった。
「百年我慢したんでしょう。だからこれからは、天に預けてあった幸せを受け取るだけでいいんだ。」
すでにはるかに自分を上回る背丈になっている夕暉を、鈴はただ黙って見上げた。
自分が考えたこともない言葉を聞いたから。
「あと百年は安泰だよ。ずいぶん、貯金をしたものだね、鈴。」
その優しい微笑みと言葉が、胸の中に染み渡り、やがてそれは形となって溢れた。
「あ・・・。」
自分が涙を流していることに気付いた鈴が、慌ててそれを拭おうとする。
が、拭おうとして気付いた。
自分の両腕とも、夕暉の手に掴まれてしまっていることに。
「あーあ。」
夕暉が、困ったような声を発する。
「鈴はほんとに、何も学んでないよね。」
呆れたように溜め息をついて。
「下心のある男の前で、涙なんか見せちゃいけないんだよ。」
「え・・・？」
訝る声を上げる間もなく。
鈴は一回り大きな夕暉の腕にきつく抱き締められていた。
「せ、夕暉！」
一瞬だけ反射的に跳ねた腕は難なく夕暉の力強い腕に抑え込まれ、身動きは全く出来なくなった。
「こういうことになるのにさ。」
半ば強引に顎を上に向けさせられ、問答無用に唇を奪われた。
「・・・・っ！」
鈴はとっさに離れようとするが、回された腕が強くて、そして熱くて、逃げることが出来なかった。
「鈴、僕が嫌い？」
きつく抱き締めたまま、夕暉が掠れた声で問う。
吐息まで熱くて、鈴はわずかに身じろいだ。
「鈴は、僕が嫌い？」
夕暉が重ねて問うた。
「嫌い・・・なわけ・・・」
「じゃあ、好き？」
最後まで答えを言わせず、さらに畳みかけるように夕暉が訊く。
「そんな・・・。」
そしてわからない・・・と言おうとした口を、再び口付けで封じ込めた。
「鈴、僕を幸せにしてくれないか。」
唇が離れた時、鈴の耳もとにさらに思いがけない言葉が熱い吐息とともに飛び込んだ。
「僕を、幸せな男にしてくれないか、鈴。毎日あなたの姿を見ては心を騒がせ、あなたに他の男が近付こうとするのを見ては嫉妬に心を焦がし、こうして腕に抱くことばかり夢見ている男を、幸せにしてくれないか。」
それは、懇願だった。
激しくて、熱くて、そして切ない願い。
「あの・・・夕暉・・・。」
もはや鈴の声は言葉にならない。
「僕は、あなたに幸せをあげたい。きっとあげるから。」
折れるほどにきつく抱き締めていた腕をやっとゆるめ、男と女は再び視線を合わせた。
「だから、僕だけのために微笑って欲しいんだ。」
怖いほどに真剣な眼差しのまま、夕暉はそう言った。
そして戸惑うことすら女に許さず、三度目の唇を奪った。
了
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| 2002.06.08 |
……Ｈ.ｖ.Ｈ.様のコメント……
・・・・・「あの」、カップリングに挑戦してみました（＾＾；
言い訳
お祝いに絡めて「祝賀」モノにするつもりが、若造の暴走で祝賀がどっかに消えてしまいました。
夕暉は若いですから、若い男の強引さを押しだしてみました。
結局鈴に答えを言わせるところまで行きませんでした。（だって若いの、答え聞く気もなさそう）
ふと、衣装部屋ってたいてい「薄暗い密室」なことに気付きました。
若造、止まれるのか！？
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うちでは夕暉と鈴を奨励していたはず、といただきましたがｖ
はい！！ このカップル、大好きです！
若造、止まらんでしょう（笑）
というか、止めません！！
暴走してくださいっ！！
なんと言っても「薄暗い密室！」
密室！！
密室！！！
きゃ〜ｖｖ
夕暉ったら、入ってきたとき、ちゃっかり後ろ手に鍵を閉めてたり！？
ぎゃーー！！！！！
ビバ〜ｖ ビバ〜ｖｖ
いけませんわｖ いけませんわーーｖｖ （と言いつつ、すごくうれしそうな声）
鈴は純粋天然ボケが入っていると思うので、そういうタイプに夕暉とかは弱いと思うんですよねー。
夕暉と似たようなタイプで更夜。
多分、彼も鈴には弱いと思うの（笑）
だから≪紅≫ではああいうことになってます（笑）
≪紅≫に夕暉は出ていませんけど。
ＭＩＵでは「鈴をめぐって更夜と夕暉が熾烈な氷点下バトル」（笑）が理想ですｖ
うふふｖ …………怖っ！
はーさまｖ 本当にステキな話をありがとうございました〜！！
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