延王×陽子／おおわ司様
『仄明かりの秘密』
風のない夜の天空に、白く輝く月がひとつ。
星も姿を隠すほど、明るく美しいその姿。
太陽に敵うべくもない微弱さでも、闇にあってはその存在を無視することを許さない。
外へ出た途端、月に目を奪われて立ち尽くしていた陽子は、幾度か瞬きを繰り返した。それから再び、歩を踏み出す。
風のない夜の園林はどこまでも静まり返っている。陽子に付き従うのは、月が作る自らの影だけだ。
幾つもある路亭の一つが木々の合間に見えて、陽子はできる限り気配を殺して近づいた。
ただ、外に出たと聞いただけだから、ここにいるのかは分からない。
けれど。
月の光りの遮られた路亭に、男はいた。
柱に凭れ、こちらに向けられた背に、陽子は思わず立ち止まった。
背中を見せるのは、油断であったり信用であったりと、色々解釈は利くが。
自分は完璧に気配を絶ち、他者のそれは決して逃さない。
その人の見せる後ろ姿は、拒絶であるように感じられた。
知らず、震える身体。
それは絶望に通じる恐怖。
それを軽くうち払えたのは、やはりその人だった。
振り返り、微笑するように目を細めたのは、延王尚隆。
陽子はもう一度震えるように息をついた。同時に、全身の力が抜ける。
「どうした」
低く深く、胸に響く声。
気安い調子で言葉をかけられて、陽子はほっとして男の元へと進んだ。
視界に映してもらうことができる喜び。
言葉をかけてもらうことができる幸せ。
壁もない路亭でも、陰に入ると途惑うほどに暗く感じるが、すぐに目は慣れ、尚隆の表情までもはっきりと見えるようになる。
そばに寄って、尚隆を見つめることができる幸せを知る瞬間。
「延王こそこんな所で……どうなさったのです？」
「ああ……どうやら感慨に耽っていたようだ」
苦笑する尚隆に、陽子は思わず小首を傾げる。
「陽子も言うようになったものだな」
あ、と息を呑む。同じ台詞を聞いた。
結局、その言葉に許されたかのように、あの場ではそれ以上言わなかったが。
「先程は失礼な事を言って申し訳ありません。あの、もちろん延王はまだまだ斃れたりしないと思っているんです」
「いやいや、先のことは分からんからな。戴のようなこともある」
どこか自嘲めいた言い様に、陽子は俯いた。狼狽えるのを隠すために。
あれは虚勢だったのだろうか。それとも、度量の大きなこの男への甘えか。何れにしろ、この人がそうそう斃れることはないと信じ切った陽子の言い分は、男の誇りを傷つけるに充分なものだったように思えた。
「お怒りになっているのですね」
声は、震えていないだろうか。
悔いる自分を、延はきっと許すのだろう。子供の相手をするように。
予想通り、尚隆は笑って否と言う。さらに。
「陽子がいて良かった」
と。
深みに嵌りかけた思考が停止する。え？と見上げると、自分を見つめる黒瞳と出会う。
闇と同じ色の瞳はだが、その強さと輝きで他者を惹きつけて止むことはない。
尚隆に軽蔑され拒絶されることは、王としてではなく、一個人としての心を失うに等しい。なのに、王である彼女自身がそれを望むことがある。
どうせ想っても無駄なのだから、狂わぬうちに打ち捨てよ、と。
「不公平だとは思わないか」
そう言われて我に返り、そして息を呑んだ。
目の前に慕う男がいる、この現実とただそれだけのことで味わえる幸福感を、どうして手放せるだろう。
「景王が延王に対して借りを返すことが、慶が雁を助けることだというのは間違いではない。が、陽子の頼みで俺が采配をするのだから、陽子から俺に礼をしてくれてもいいだろう」
流石に陽子は目を瞠った。困惑する。
不公平だと言うのならその通りだが、陽子が尚隆に頼むのは、李斎が慶にやってきたからということがある。此度の件は、何をどうやっても公平になりはしないはずだ。
だが、陽子は一瞬喜んだ。
莫迦げたことだ。まるで男が自分を望んでくれているかのように感じるなど。
そのことに動転し、直ぐさま自嘲する。
「……何をご所望ですか……？」
見当もつかずに見つめる先で、尚隆が目を細めた。
そして―――
切ないほどの幸せを覚えたのは、一人になってからだ。
礼だと言っておいて、何をどう考えろと言うのか。
望みを抱かせる行為も、言葉も。まるで、優しい刃。
嬉しいのに、痛い。
二人だけの秘め事。
それは月も、二人の影も知らない……
了
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| 2003.02.21 |
……おおわ様のコメント……
「月の光りの届かぬところ」の陽子版（ちょっと寸足らず ^ ^;）だったりします。
書いたのは１１月頃ですが、何を思って書いたのかすでに不明です・・・。
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