『黒の輝き』
コポコポ、と音を立てて茶を注ぐ。
芳しい茶の香りに、祥瓊は会心の笑みを浮かべた。
極上の茶は、まず、香りが良い。
そして、何と言っても程良く甘く、そのくせしつこくなく咽喉ごしが良い。
陶器の茶碗に注ぎ終えると、そっと客人の前に置いた。
「ほう……。良い香りじゃな」
その言葉に祥瓊は笑みを深めた。
十二国で一番とも言えるだろうこの趣味に煩い氾王に、そう褒めて貰うのは嬉しいものだ。
茶道具を片付けながら祥瓊はこの美味しい茶を、政務が終わって疲れている筈の陽子にも味あわせてあげたい。そう考えながら手を動かした。
「惜しいのう……」
いかにも残念、と言った風情で呟いた氾王の言葉に祥瓊は首を傾げた。
茶ならば、満足のいく物を出した。
ならば、何が『残念』なのだろう。
その考えが顔に出たのであろう。氾王がパラ、と扇子を小さく開き口元に押さえながら言った。
「惜しいのは、そなたの手じゃ。祥瓊」
「手、でございますか?」
「そうじゃ。綺麗な細い指をしているというのに、何も飾る物がないではないか。勿体無いのう。そなたには身を飾る物を贈ってくれる気のきいた男はいないのかえ?」
祥瓊は手をかざした。
細く白い手が目の前に現れる。
確かに、指輪はしていない。それどころか、耳飾もつけていないし、飾りといえば、髪を飾る紐くらいだ。
ただ、指先は、爪を短く切り揃え、爪の形を整え磨き、見苦しくないように気を配っている。
「あの、みっともないでしょうか?」
「みっともない、というよりも、ただ、惜しいだけじゃ」
確かに、祥瓊には飾りを贈ってくれる人はいる。
だが、それを全て断っている。
男の気持ちに応える気がないのに、品を貰うわけにはいかない。
別にかまわない、と言ってくれる人も居るが、でもやはり、身に着ける気にもなれない飾りを貰う気にはなれなかった。
「祥瓊、手をおだし」
懐を探り氾王はそう言った。
強引に手を取られ、何かを握らされる。
「これをそなたにやろう。指に何もないのは寂しいから飾っておあげ」
「……っ! 氾王さま! こんな…っ!」
祥瓊の手の中から現れたのは、祥瓊の指の爪ほどもある大粒の黒真珠の指輪。
品良く、小粒の金剛石があしらってあり、一瞥しただけで、高価なものだと分かる。
そして、見れば見るほど、良い品だと分かる。
真珠の照り具合が美しい。
青みがかった黒が吸い込まれそうに深い色をしている。
まるで、月の出ない闇夜のよう。
周りを一層華やかにしているのは、小粒の金剛石。
小粒であっても、やはり、輝きは素晴らしいのが分かる。
キラキラと煌き、黒真珠を反射して、複雑に輝く。
「陽子を飾るのも楽しいが、そなたの美しい姿を見るのも楽しいものじゃ」
だから、付ける様に、と楽しげに笑った。
「しかし……」
祥瓊は額が汗ばんでいるのを感じた。額だけではない。じんわりと、背中も汗ばんでいる。冷や汗だ。緊張と、焦りで心臓が破裂しそうだ。
「おや。良いではないか。…それに、そなたが芳に居た頃は良く注文があったのう。そなたへの贈り物として。それなのに、我からのは受け取れないというのかえ?」
「氾王さま……」
昔と今とでは、何もかもが違う。立場だけでなく、祥瓊の生き方も。
「それは祥瓊の為に選んだ品じゃ。返品は許さないぞえ?」
氾王はそう言って、茶を飲み干した。
その日の晩、祥瓊は臥牀の上で物思いに耽った。手の平に問題の指輪を転がして。
芳に居た頃、送られる品々は殆んどが真珠をあしらった物だった。しかも、白い真珠だ。でなければ、様々な色の宝玉で作られた花だった。
それなのに、氾王が見立てたのは黒の真珠。
一体、どういう事だろう。
確かに品は良い。
目の肥えた自分でもうっとりとしてしまう位に素晴らしいものだ。
「もしかして」
祥瓊は思いついたその考えを脳裏から振り払おうとした。けれど、それは叶わない。小さな種が大きな実へと育っていく。
「もしかして」
自分の心の闇に気がついたのか。
祥瓊の心に巣くった一つの想い。
暗く浅ましい闇の想い。
誰にも明かせない秘密。
一生、心に秘め続けるであろう、ある男への狂恋とも言えるような想い。
その想いに気がついたのか。あの王は。
祥瓊はその夜、久々にあの男の夢を見た。
祥瓊を冷たく見下ろし、去っていく男の夢を見た。
天罰が下ったのだ。
夢から覚め、それから一睡も出来ず、祥瓊は嗚咽を堪えた。