六太×梨雪／亜美様

　　　『燐光』

───誰かが、泣いている。
小さな泣き声が、六太の耳に届いた。
他国の王宮の、慣れぬ臥牀での眠りは浅く───そんな殊勝なことを口にすると、彼の主はきっと笑うのだろうけれど───声はもう聞こえなくなったのに妙に気になって、六太は体を起こし臥牀を抜け出した。
そっと、扉を開け、首を突き出して見たが、そこには夜の闇が広がるばかり。
沓も履かずに、裸足のままぺたぺたと、石畳の回廊を歩いて、幾つか角を曲がった頃。
その部屋から、先ほどの泣き声が微かに聞こえた。
ほんの少し、開いた隙間から覗くと、続きの部屋の隅に、ふわふわとしたもやのような薄闇が溜まっている。そして、その薄闇が泣いている。
「───おい」
六太が寝室に入って声を掛けると、その薄闇はびくりと震えた。
もやのように見えたのは、薄い布を被っているせい。そして、麒麟の放つ淡い金の光のせい。普通の人間には見えない、神獣である、同属である証。
「───どうした？氾麟」
努めて優しく声を掛けると、薄闇の中で少女が振り向いた。
昨日、初めて会ったばかりの年若い、どこかに幼さの残る少女───氾の麒麟。
この世にたった十二しかいない同属であるのに、滅多に会うことはない近くて遠い存在。
他国に新しい王と台輔が誕生しても、使節を送り、援助はするが、六太自身が訪れることなどない。第一、王が即位したばかりの国は荒れる。荒れた国に麒麟である六太は近づけぬ。
そうしている間に、自分が生きてきたわずか２００年の間にも、幾つの国が倒れ、幾つの同属の命が消えたことか───
しかし、氾王は、そうした苦難を乗り切った、らしい。それも僅かな時間で。こうして六太が主と共に範を公式に訪れることができるのも全て氾王の手腕の御蔭だ───最も、外見からはそうそう辣腕にも見えはしないのだが・・・
そう考えると、こうして、淡い光を放つ少女と対面していることが奇跡のように思われる。
けれど。
その愛らしい大きな瞳からは、溢れてくる涙。涙。涙。
「とけちまうぞ？」
六太は目線を合わせるために、屈みこんだ。
「───え、えん、たいほ・・・」
それだけの言葉をつむいで、その薔薇色の唇はまた噛み締められた───いまにも血が滲みそうなくらい。そして、大粒の涙がぽろぽろと零れる。
六太は小さく溜息をつくと、氾麟の小さな顎を捉え、上を向かせると、その唇にそっと口付けた。
「！」
氾麟は突然のことに目を瞠った。それを見て、六太はにやりと口の端を上げた。
「こっちのほうが気持ちいいだろ？」
少女は最早唇を噛み締める事も忘れ、唇を小さな手で押さえ、頬を淡く染めている。
「・・・もう大丈夫か？」
氾麟は涙に濡れたままの瞳で小さく頷いた。
「そっか」

六太は何も言わない。
氾麟も暫く何も言わなかった。
「・・・延台輔は・・・そのお姿を疎まれたことはないのですか？」
「おれ？」
氾麟は俯いた。紫の瞳が何処かを彷徨う。
「主上が・・・」
「んん？」
「主上が私のことを見てくださらないのです」
氾麟は、小さな、けれど透き通るような声で、呟いた。
「主上はとてもお美しくって、それに美しいものが大好きで。だから、後宮の女達はとても綺麗」
「声の綺麗な者、優雅に踊る者、とてもとても美しい者・・・女らしい躯の者」
「主上は、それらの者達をとても愛でていらっしゃる」
「なのに私は───」
「だから、せめて綺麗に着飾れば見ていただけるかと思って───」
氾麟は言って、ふわりと立ち上がった。六太の背丈にほんの少し届かないであろう彼女が身に纏っているのは。
薄紫の薄い───羅紗よりも薄い布地の夜着。ほっそりとした肩の線も、細い腰のくびれも、膨らみ始めた胸も、隠すことなく、でも明瞭に見せる訳でもなく。曖昧に漂う紫のもや。
今度は見上げた六太が頬を染める番だった。慌てて目をそらす。
「後宮の女が着ていた時には主上は随分とお褒めになっておられたのに───」
───『嬌娘には・・・似合わぬねぇ』
先ほど、期待に胸を躍らせてこっそりと主の房室に忍んだ氾麟が目にしたのは、期待とは違う、困ったような苦笑するような主の表情だった。それを思い出して、氾麟の瞳に再び涙が溢れてきた。
目を逸らしたまま聞いていた六太は内心溜息をついた。
───そりゃあ、似合わなぇよな。
───あれは、商売女の着るもんだ。
───淫らに男を誘う時に着るもんだ。
───そりゃあ、氾麟に似合う道理がない。
愛らしさと清らかさしか持ち合わせぬ、麒麟の光そのままに穢れを知らぬ少女の、まるで欲情したかのような姿はいっそ目に痛々しい。
───おそらく氾王だって流石に目のやり場に困ったんだろうなぁ。
六太は、範を訪れてからの、氾王の、彼の半身に対する扱いには、内心驚嘆していた───自分の主の、己に対する扱いと比べて、という訳ではなく───氾王は氾麟の半身たるにふさわしい。氾麟は、自分のことを見てくれない、と言っているが、六太が見た限り、氾麟を見る氾王の瞳から慈愛の色がなくなる時など毛ほどもなかった。
しかし、六太の沈黙をどう受け取ったのか、その薔薇の唇が再び噛み締められた。
「延台輔も、見ては下さらない・・・そんなに似合いませんか、可笑しいのでしょうか？」
「ち、違う」
六太は必死で、首を振る。
けれど、氾麟は両手で顔を覆い、肩を震わせた。
ぽろり、ぽろり、と細い指の隙間から、涙が零れ、薄い布に落ちる。涙で濡れたその部分は、色を失い、そのまま、少女の白い肌を六太に見せ付ける。その部分だけ見れば妖しいまでに艶かしい。思わず六太の心臓もどきりとする。
「こんな、こんな子供の体だから・・・」
麒麟は成獣になると人の姿の成長も止まる。それが、今、氾麟のもっとも恐れていることだった。
「ち、違うって───ああ、もう！」
内心の焦りと衝動に突き動かされ、六太はその折れそうに細い手首を掴み、力づくで顔から退けると、涙に濡れた唇を荒々しく貪った。
「え、えん・・・」
「黙ってろ！」
「んん・・・」
息が苦しくって、手首が痛くって、頭が熱くって、氾麟が意識を失いかけた頃、ようやく戒めから開放された。
側の臥牀に倒れこんで、はあ、と荒い息をついた氾麟を見下ろして、六太は低く呟いた。

「お前・・・綺麗だよ」
氾麟は、ぼうっとした頭でそれを聞いた。
「この俺が、どうにも堪んないくらい、綺麗だよ」
「ほ、ほんとう、に？」
「ああ」
氾麟は、その少年の姿をした麒麟を見上げた。
子供の姿をしていても、彼はもう、２００年を生きている。自分の主よりも長く、生きている。彼の言葉なら信じられる気がした。
「麒麟は王のものだ。王を無条件に慕う。けど、王は麒麟にそんな義理はねぇ。だけど、お前なら───」
横たわったその細い体にもう一度触れたいという衝動を、抑えるためにこんなにも苦労する。
「もっと自信を持てよ」
「じ、自信？」
「ああ、お前は自信満々にっこり笑ってるくらいのほうが、似合ってるぜ。そうすりゃあ誰も敵いはしねぇ」
「・・・ほんとうに？」
「ああ」
頷いた六太を見て、初めて氾麟は微笑んだ。
その笑顔は、美しく、愛らしく。こんな風ににっこりと微笑まれたら逆らう者などいないだろう。現に六太も思わず見惚れ───
───うわ、マジで、やべぇ。
六太は頭の中で些かの不安を覚えたが。
「お前は俺とは違う。子供の姿で満足している訳じゃねぇし。きっと望む姿を手に入れられるさ」
「延台輔・・・」
「六太でいい」
「ろくた・・・ありがとうございます」
───・・・ま、いっかぁ。

笑顔という武器を覚え自信を付けた氾麟に、六太が敵わなくなるのは、そう先のことではなかった。その頃には背丈も、六太を僅かに超えていた。

　了

2003.08.11

……亜美様のコメント……

勝手ＭＹ設定では、氾麟は麒麟旗が揚がって比較的すぐ氾王さまと巡りあったことになってますので、
このお話は、それから、４・５年後。氾麟は１２・３歳。
成獣になる一歩手前、という感じでしょうか？
この頃、氾麟は六太よりも背も小さく、六太のことをちゃんと先輩として尊敬しています。
が、後になると・・・原作にある通りです。（うぅ～六ちゃん気の毒～（T＿T））

萌え～ｖｖ

六太×梨雪、いいですねｖ

六太って、麒麟たちが生まれると必ず会いに行ってるにちがいないと思うのですが。

で、最初はみんな「ちび」なのｖｖ　←ツボ。

ああもうｖ　想像すると悶絶ものですっ！
親分六太のあとをちょこちょことついて回るちび麒麟たち……（悶）

亜美さん、本当にステキな置き土産をありがとうございました。