慶国シリアス／りょく様

黄金色に輝く朝日が昇ってきた。
雲海は、最高級の葡萄酒の色であり、今切りつけられて垂れ流される鮮血の色でもある鮮やかな『あか』に染まっていた。そして、朝日に照らされて一層濃い色へと転じていた。

「赤」「赫」「紅」「朱」「銅」

どんな言葉に表そうとしても、無理な「色」を雲海はしている。
海下の色が透けて見えているのである。
この日を祝うため、民達は持てる限りの財で染めた「赤き旗」を軒先に掲げた。その色が透けて見えているのだ。

――慶東国、景王中陽子。即位五百年の祝賀である。

　　　『祭』

「こんな所におられたのですか」
黒の正装をした太宰――蘭桂が主たる陽子に声をかけた。
「何を見ていらっしゃるの…」
ですかと続けようとした口元に、ぱしりと扇子があたる。
「こんな時にまで、敬語を使うなよ"桂桂"」
昔から変わらぬ太陽の様な笑顔で、弟分の蘭桂を嗜める。
その赤い髪は、この世の「あか」と呼べる色全てを閉じ込めた色で、瞳の碧玉は彼女が生きている限り、「最上級一点物」といえるだろうとされている。
蘭桂は苦笑しながら言い直す。
「そんなことを陽子がいうから、僕は冷や冷やしながら日々を暮らすハメになるんだ。だから"桂桂"と言うのはやめてって何時も言っているじゃないか。で、何を見ているの」
「ほら、凄いだろ。雲海が真っ赤だ」
言われるまでもない。蘭桂はここにくる前にすでに気がついていた。それでも、陽子が言う言葉をただ静かに聞いていた。
「凄いよなぁ…なぁ知っているか？蓬莱では『赤』って余りいい印象を持たれていない色なんだよ。『赤不浄』とか…勿論血の色はどちらでも赤だろう？」
「さすがに様々な色の髪の毛を持つ人を見てきたけど、僕も血が青いという人の話は聞いたことがないよ」
チャチャを入れる蘭桂に、笑いながら今度は頭をぱしりと叩く。
「うん、だから…こちらに来て驚いた。あまり良い印象を持たれる事がない『黒』が貴色だっていうから。そして、今は『赤』まで…」
陽子が何を言いたいのか、何となくではあるが、蘭桂には分かった。

五百年前、中陽子は苦労して慶東国の女王となった。
無理やり連れてこられた常世には、庇ってくれるはずの麒麟・景麒が傍にいなかった。今ではその理由も、中陽子の「伝説の始まり」には必要な要素であったが、当時の彼女には大問題である。
人間不信に陥った彼女は、まず己を見つめなおし――それはもう、酷く見苦しい部分も――そして、新たに「人を信じる」ことを知ったのであった。
彼女を野垂れ死にから救った巧州国の半獣は、その後彼女の一番の親友となり、この国の大司冠にもなった、現在の巧州国国主・張清こと楽俊である。
様々な縁が、彼女に集まり、そして広がっていった。

「ねぇ陽子。陽子は、『赤』って嫌い？」
思わず蘭桂は、昔の様に――まだ桂桂と呼ばれるころ――の口調で言っていた。
何か、はっと気づかされることがあったのだろう。陽子は、じっと雲海を見つめ直していた。
「確かに、赤は『赤不浄』だね。陽子が即位するまでに流れた陽子自身の血に、塙国を逃げていたときに倒した妖魔の血。最初の反乱で流された民と兵士の血。…その中には、勿論僕の血も…姉さんの血も混ざっていただろうね」
容赦ない言葉に、陽子は欄干を硬く握り締めていた。その手をそっと握ると、蘭桂は口調を変えて、言った。微笑みながら。
「でも、陽子は逃げなかったじゃない。僕は知っているんだよ？戦いに赴いた兵士たちがどんな思いで、前にいる陽子を見ていると思う？流される血を少なくしようと足掻く陽子をどんな思いで、官吏たちは支えていると思う？」
「どんな…思いで…？」
「皆、陽子から放たれる赤い生命力に惹かれるんだ。その太陽のような輝きに焦がれるんだ。頂点に立つ王でありながら、最初に己が傷つくことを求める陽子に。」
陽子は、その綺麗な瞳に涙を滲ませていた。
「陽子、僕が…皆が気づかないと思う？この常世の史上みない繁栄に、陽子が恐れをなしている事に。千年を超える王朝が２つ。五百年を超える王朝なら六つ。巧もあと２０年でそれに加わる。この状況に恐れを抱いていることに、気がつかないとでも？」
心配になって、蘭桂は陽子の顔を覗き込む。
昔は、ただ見上げることしか出来なかったのに、今は見下ろす高さ。そして改めて気がつかされるのだ。自分の主たる陽子は、こんなにも華奢で、小さい人だったんだと。
「ああ、怖いよ。この繁栄が砂上の城みたいに一気に傾くのじゃないかと」
陽子は震える声で、いつもとはちがい弱々しくいった。
こんなこと、五百年の祝賀の日に思うことじゃないんだけどなと続けた陽子は、顔を下に向けるばかり。
「この先に心配は、陽子がすることなんかじゃないよ」
国主たる陽子が心配しなくてもよいとはどういう事かと、思わず顔を上げた陽子に向かってさらに続けて言う。
「ここから先の繁栄は、子供＜たみ＞から母親＜ようこ＞に還元されるものなんだ。だから、ずっと、ずぅ～～っと続くことになるよね。だって陽子にしてもらった事は、五百年ですむことじゃないんだから」
まだ分からないの？と続く言葉に、陽子はただ呆けているばかり。そんな彼女に笑みを浮かべながら蘭桂は続けた。
「赤は、誰にいわれることもなく、陽子の色だよね。でも、それは悪い意味だなんて皆思ってもいないよ。確かに鮮血の色だ。でもね…皆を照らす太陽の色じゃないか。ねぇ、忘れていない？その赤い髪を見て皆が何て言っているか」
「…"まるで炎のようだ"」
「そう、全てを焼き尽くす炎――焔だね。それって悪いことだと思ってない？炎は全てを焼き尽くすけど、その灰の中から新たなものを生み出す力があるんだよ。それってまるで常世の慣習を悉くぶち壊してきた陽子みたいじゃないか」
陽子の顔には、涙が流れていた。折角女御と女史が綺麗にしたのに、それを気にもせずに。
「この国の貴色は変わらず黒だよね。でも、民たちは祝いの席では必ず赤を重用する。これは、陽子からの押し付けじゃなく…」
そこで陽子の顔を見つめ、先の言葉を促した。
「…民からの自主性…？」
「そう、民が自分たちで決めたんだ。誰になんといわれようと、この国を荒廃から立て直した陽子の色を貴色にしようと」
だから、雲海の下にみえるあの赤い色は民の気持ちなんだよと、蘭桂は静かに付け加えた。

「我が主上、景王陽子。五百年の栄華、心よりお喜び申し上げます。つきまして、私たち民からのささやかなお祝いの品を謙譲させて頂きたく存じ上げます」
私たちという言葉に、後ろを振り向く陽子。そこには何時も見る面々がいた。祥ケイ、鈴、虎ショウ、浩瀚、桓タイ、夕暉、遠甫。そして、景麒。
「ここから先の繁栄、それは私たち民から、主上への今までの返礼に御座います。どうかお受け取りください」
これから先の繁栄は、民が陽子にくれるものだという。今までの礼だという。ということは、陽子は今日改めて信じることになる。己の民――子供たち――を。祥ケイと鈴が笑いながらいう。
「陽子に、ここから先の繁栄を上げるなんて、すっごく時間がかかるわ。それこそ五百年なんてあっという間に過ぎてしまうくらい」
その台詞は、暗に陽子から齎した繁栄は、五百年分以上のものなんだといわれているようで、陽子は涙が止まらなかった。先ほど蘭桂もいっていたではないかと改めて気がつく。そして、私はまだまだ至らないんだと思うのだった。
「さぁ、皆待ち構えている。五百年の祝賀祭を！」
鈴が陽子の手をひっぱった。

陽子の化粧直しを完璧にしなくてはと、意気込む二人に引っ張られながら、陽子は蘭桂に質問をした。
「なぁ！どうしてお前、私のいた場所がわかったんだ？」
くすりと笑う蘭桂の笑顔は、昔"桂桂"と呼ばれていた少年のそれであった。
「台輔が教えてくれたんです。私が行っては更に落ち込ませることになるからと。それに、覚えていないんですか？あの場所を教えたのは、王宮探検をしていた僕なんですよ」
そうだっけ？と頭を悩ませる陽子に、更に声がかかる。

「主上、等々五百年です。私に『字』を与えてくださってもよいのでは」
いい加減に私に名前をくれと、ありありと顔にかかれている景麒に、無常な台詞を言い放つ。
「無理」
「なっな！何故ですか！」
滅多に崩れない鉄面皮を、悲哀の顔にしながら景国の麒麟は主に問い掛けた。
「浩瀚、変わりに答えて上げてよ！もうこれから、祥ケイと鈴に引っ掻き回されるから構っていられないん…うぁーごめんなさいー！」
陽子は祥ケイと鈴に怒られながら、化粧を直しに房室に入っていった。
浩瀚が頭を悩ませる景麒にこういった。

「主上にとって、景の麒麟は貴方だけなんです。それを表す『景麒』という名前以外に、相応しいものはございますか。主上には、後にも先にも麒麟は貴方だけなんですから」

思いもよらない言葉に、景麒は絶句した。五百年も一緒にいるのに、こんな事も気がつかないとは。
「…では、祝賀の最終確認を。みなが待ち構えているのでしょう？浩瀚殿」
そして、彼らは戻っていく。
主の即位五百年を祝うために――。

祭りが始まる。
常世を変えてしまった、偉大な王の即位を祝う祭りが始まる。
五百年の治世を誇る慶東国の女王。
さまざまな祝いの品の中で、一番彼女が喜んだものがある。それは、雲海の下から送られた見事な赤い景色。彼女の髪の色と同じ旗を軒先に掲げ、その治世を祝ったのである。
そして、それはその後の彼女の治世は民からの捧げものだということを表していた。

景王陽子。
偶に城下に降りて、民の様子を見るのが一番の楽しみだという、少女のような王。
そして、民もまた、偶に訪れる『赤い髪の少年』の笑顔を待ち望んでいた。

　了

2003.11.18

……りょく様のコメント……

小説では、更に桁をひとつ加えた
五百年後の世界のお話を書かせて頂きました。
きっと、陽子はいつまでたっても、
グルグルと悩んでいるのではないかと思います。
望みとしては、いつか彼女がいなくてもよい世界。
そんなものを少し滲ませてみました。

あ！今回の裏テーマ『少年の成長』です（笑）

ふふふ……。５０万記念にいただきました！！

実は蘭桂よりも景麒に激悶え(笑)

５００年間、字をもらえなかった麒麟。
そして、その先も与えられることのない麒麟。

でもその理由は、私が思っている理由と一緒なのです。

陽子にとって「景麒」は唯ひとり。

ギャー！　激悶えです！

そして、ずっと字を欲しがっていた景麒……あんた、可愛すぎるっ！

５００年後、陽子の側にはどれだけの人材が育っているんだろう。
今は側にいる人も、離れていくことだってある。
でも、陽子に絶望して離れていくのではないと確信していて。

陽子を支えるために離れていくのだろうなと。

蘭桂が天官長だったり、州侯だったり、陽子が夢抱く他国の大使になっているかもしれない。

ああもうｖ　想像するだけで楽しくなってきます！

りょくさんのシリアスは本当にツボにハマるわ～ｖ

りょくさん！！　ステキな未来を本当にありがとうございましたｖ