延王・氾王×陽子／翠玉様

　　　『慶国狂想曲』

「陽子はどこだ？」
ふらりと金波宮に立ち寄った延王が訊ねた。
「氾王とご一緒に堯天へお出かけになりました」
陽子の代わりに対応した浩瀚が答えた。
「二人きりでか？」
延王は人の悪い笑みを浮かべて言った。
「主上には大僕が共をしておりますし、お二方とも使令を伴っておいでです」
浩瀚はこの上なく、冷静な声で言った。
「奴は最近、うちに来ると必ずここへ寄るようだな。二人がどこへ行ったかわかるか？」

　氾王と陽子は堯天の街を並んで歩いていた。二人から少し離れた後ろを虎嘯は追っていた。目の前の二人は非常に目立っていた。すれ違う者全てが振り返っている。
　趣味の良い長身の麗人だけでも目立つことこの上ないのだが、隣の紅い髪の少年は凛々しく、身なりもよかった。年頃の娘達はそんな陽子の姿に呆然と見惚れていた。
『陽子にあんな格好をさせるなんて、酔狂なお方だぜ』
虎嘯は胸の内で呟いて、溜息をついた。

　氾王と陽子があらかじめ使いを出して準備を整えさせていた飯庁（しょくどう）の一室に案内されると、そこには延王がいて二人に向かって「よう！」と片手を上げた。
「猿は遠慮というものを知らぬようじゃ」
冷たく言う氾王に延王は口の端で笑った。
「お前は慶に来るついでにうちへ来ているらしいな」
「珍しく察しがいいね」
閉じた扇子を口に当てて、氾王が楽しそうに言った。
「陽子にそんな格好をさせて、お前の変態趣味を移すつもりか？」
「美を解さぬ男は始末におえぬ」
氾王は眼を見開き、見下ろすように延王を睨め付けた。
「待って下さい！違うんです！」
陽子は氾王の前に立ち、延王に向かって叫んだ。
「氾王はわたしが身軽な格好で民の生活を覗くのも悪くはないけど、不正を行うのは大商人だから、彼等の性向を知っておいた方がいいと、大きな店を一緒に回って頂いてくれていたんです。それにこの格好は襦裙を嫌がるわたしのために氾王が用意してくれたのです」
延王は陽子の言葉にくつくつと笑った。
「まったく、どいつもこいつも視察と称して陽子を連れ出すことが得意だな」
「人のことは言えぬであろ？」
「陽子、俺がここにいるのは迷惑か？」
延王は楽しそうに陽子に言った。
「とんでもありません。食事は人数が多いほど楽しいものです」
陽子の言葉に二人の王は眼を見開いた。
「本気で言っておるのかえ？」
「はい。あの、おかしいことなのでしょうか？」
微笑んでから、小首をかしげる陽子に氾王は息を吐いてから、延王を振り向いた。
「景王の望みじゃ、感謝するがよい。景王に不快な思いをさせたら追い払うぞえ」
「それは、お互い様なんだろうな？」
延王は口の端で笑って言った。

　食事を終えて飯庁を出ると陽子達一行は柄の悪い漢達に囲まれた。賊の数は十人を超えていた。
「有り金を出せば、乱暴なことはしない」
賊の首魁らしき漢がにやにや笑いながら言った。
「ほう、この俺から金を盗ろうなどとは度胸があるな」
延王は面白そうに言って、剣を抜いた。虎嘯も陽子の前に立ちはだかって剣を抜いた。氾王は陽子の手を引き、物陰に移動して、金色の小さな笛を取り出し、空に向かって吹いた。だが、不思議なことにその笛からは音が出なかった。陽子は氾王の手を振り解いて戻ろうとしたが、簡単に押しとどめられた。
「あの程度の輩ならば、あの二人で十分じゃ。それに、陽子に出られてはあの二人の立つ瀬がないであろ？」
氾王は陽子を後ろから抱きしめ、陽子の耳元に囁いた。陽子は首を振ったが、氾王はいきなり、陽子を背後に押しつけ、自身は前に進み出た。そこには虎嘯の隙をついて陽子を狙ってきた漢がいた。氾王はその漢が近づくと僅かに体を引き、漢の腕を取ると、ふわりと漢を投げ飛ばした。陽子は口を開けて呆然とそれを眺めた。そこに、白い毛が勝った趨虞が主に倣って優雅に舞い降りると、氾王は陽子を抱き上げ、軽やかに騎乗した。
「後は任せたぞえ。陽子は無事に送り届けるゆえ、安心するがよい！」
「汚ぇぞ！、自分だけ良い思いをしやがって！」
氾王は延王の言葉を無視して趨虞を上昇させながら高笑いをしながらその場を去った。

「大丈夫でしょうか」
堯天の上空で陽子が言うと、氾王はくつくつと笑った。
「あの二人にそんな心配がいらぬことなど、景王ならばわかるであろ？」
「延王はともかく、虎嘯のことまでわかるのですか？」
「そなたの大僕につけるくらいだから、よほど腕が立つはずじゃ」
「ええ、禁軍の左将軍が一目置いています」
「ならば心配はないのではないかえ？」
陽子はくつりと笑った。
「そうですね」
氾王は堯天の街を一望できる丘に趨虞を降ろした。
「こうして見ればそなたの国も美しいの」
「三百年の繁栄を誇る範に比べれば寂しい光景なのではありませんか？」
「伸びようとしている国は美しいものだえ。その国の王の心映えのままにじゃ」
「それは氾王や延王のご協力の賜物でもあります。こちらでは国同士が協力し合うことはないと伺ったのですが、同じ胎果で隣国の延王はともかく、氾王は何故に親切にしてくださるのですか？」
「そうだね、まずは雁の王は難民に頭を抱えておるから、慶に立ち直って欲しいという腹づもりがあろうし、範は範でうら若き女王の国が繁栄してもらえれば都合がよい」
「それはなぜです？」
「若く美しい女王への贈り物といえば高価な飾りや絹織物と相場は決まっておろ？それに、慶のようにこれから何もかも整えてゆかねばならぬ国にとって、範と付き合おうておけば何かと便利ではないのかえ？」
「それはそうですが、飾りや着物はわたしにはあまり当てはまらないのでは？わたしはその・・・」
「襦裙が嫌いかえ？したが、国が繁栄したらいくらでも着飾ってやると女官達に約束したそうじゃが」
陽子は唸って頭を抱えた。
「でも、それはまだまだ先のことですよ」
「では、今から馴れておいたほうがよいね」
言って氾王は陽子の背後に立ち、袖口から取り出したものを陽子の首に掛けた。それは金の鎖と小降りの美しい石で繋がれた首飾りだった。派手ではないが、上品で美しく、こちらの大げさな飾りとは異なり、どちらかといえば蓬莱の宝石店に飾られているものに近いと陽子は思った。
「あの・・・」
戸惑っている陽子に氾王は笑みを浮かべた。
「思った通り、よう似合う」
「これは非常に高価なものでは？」
上目遣いで見上げる陽子に氾王は声を上げて笑った。
「気にするでない。せっかく景王に似合うものをと誂えたというに。気に入らぬかえ？」
「とんでもありません。これならば官服と合わせても派手には見えませんね」
「そうであろ？おや、もう片がついたと見えるね」
氾王はそう言って空を見上げた。そこには月明かりの下、金波宮に向かう延王と虎嘯の姿があった。

　延王と虎嘯だけが戻ったという知らせを受けて、浩瀚は自身で黒毛が勝る趨虞を引いて出て来た。
「まさか、お前が捜しに行くではあるまいな」
延王は呆れ果てていった。
「わたしもお供しますよ！」
虎嘯が慌てて後を追おうとすると、浩瀚は冷たい視線を向けてきた。
「足手まといだ」
そう言って浩瀚は堯天の街に向かって飛び出した。それを見送って項垂れる虎嘯の肩に延王は手を載せた。
「気にするな。お前の落ち度じゃない」

　浩瀚は氾王が好みそうな場所を選んで二人を捜していた。そして、すぐに堯天を見渡せる丘の上で白毛が勝った趨虞を見つけて、舞い降りた。
「主上、おいでになるのでしょう？主上！」
声を張り上げたが、声はあたりに空しく響き、木々の葉ずれの音と虫の鳴き声だけが返ってきた。
「いかに一国の王とはいえ、悪ふざけが過ぎませぬか、氾王！」
浩瀚の押し殺した声に、今度は忍び笑いが返ってきた。
「そたなは、われが景王に不埒な真似をするとでも思っておるのかえ？」
氾王は浩瀚の後ろにある木の陰から現れた。それに、陽子が続いて現れた。
「いいえ。ただ、わが国では主上と正丁を二人きりにすることはございませんので、お知りおき下さい」
「それは、そなたも同様なのであろうな」
「もちろんでございます」
氾王はくつくつと笑って、陽子を振り向いた。
「今日はここまでのようじゃ。いろいろと邪魔が多かったが、楽しかったの」
「そう言って頂けると、慶に来ていただいた面目が立ちます」
「どうせ、気まぐれじゃ。気にせずともよい」
氾王はそう言ってふわりと笑った。陽子も微笑んで一礼した。
「ありがとうございます」
「主上はこちらへ」
浩瀚は自らが騎乗してきた趨虞の前で手を差し出した。陽子はその手を借りて、軽やかに趨虞に乗った。浩瀚がその後ろに付いて、氾王が飛び立った後を追った。
「浩瀚、お前の先程の言い方は一国の王に対して失礼だろう？」
「そうですか？」
「あれじゃ、氾王がわたしに気があると疑っているようなものじゃないか。大体、氾王がわたしのような小娘を相手にするわけがないだろう？」
浩瀚は陽子の言葉に深い溜息をついた。
「それと、これとは話が違います。主上はご自身の妙齢についてお考えになることはないのでしょうが、周りのものは意識せずにはいられないのです。われらの無用な心労を取り払うため、と我慢して頂くほかございません」
浩瀚の言葉に陽子は声を上げて笑った。
「とてもお前の科白とは思えないが、お前がそこまで言うのならば以後は気を付けるよ」
「よろしくお願いします」
こうして、二騎と二人の王と女王の臣下は慶の月夜を翔けて行った。

　了

2003.11.18

氾王の書き方が秀逸ですわっ！　上手いっ！と読みながらドキドキしてしまいました。
延王、浩瀚、氾王、虎嘯。男たちがとにかくステキｖ
いや、ラストの虎嘯は可愛そうですが(笑)

恋に無自覚な陽子がまたいい～ｖｖｖ
そこがまた陽子の魅力でもあって。
陽子至上主義の私にはたまらない話です！

しかし、この浩瀚から陽子を奪うにはホント命がけ(^.^)

翠玉様、ステキな小説ありがとうございましたｖｖ