浩瀚×陽子／RUNA様

　　　『節目５』

　その日の夜、桓タイは人もまばらになったころを見計らい冢宰府を訪ねた。陽子が政務を休むようになってから、陽子の仕事をできるだけ軽減させようと浩瀚は自身の仕事量をできる限り増やし、こなしていたため、毎日夜遅くまで冢宰府に残っていた。そのため桓?は夜であるにもかかわらず冢宰府を訪れたのだが、いくら禁軍左軍将軍といえども危急のときではないゆえ、すぐに冢宰に目通りすることは叶わない。しかたなく麦州のときからの顔見知りである浩瀚直属の官吏を捕まえ、浩瀚に会わせてくれるように頼むが、めずらしく浩瀚は官邸に帰ったあとであると言われた。

　浩瀚が自身の官邸に帰るのはおよそ半月振りではなかろうか。普段は遠甫のように冢宰府の敷地内にある邸宅で寝泊りをしていた。いまだ国が安定しきらないのと、陽子の突拍子のない思いつきなどのため、冢宰の仕事が一向に減らないことが官邸に帰れない理由の一つである。また、何か事が起こったときにはすぐさま内宮に上がることができるためというのが二つ目の理由であった。が、こんな風に陽子の側近たちに何も告げずに突然浩瀚が官邸に帰ることは普通にあることではなかった。それも、今日は昼間に祥瓊に呼び出されたりと普段とは違う日であったのだから。浩瀚の行動は、桓タイにますます重症だと認識させる結果としかならなかった。それを思うと気が重いが、浩瀚に会わないことには話にならないので、桓タイは仕方なく浩瀚の官邸へと向かった。

　浩瀚は久しぶりに帰った自邸で一人酒を飲んでいた。

　日が暮れきる前に帰ったはずであるのに、細すぎる月はもう夜の闇に溶け込もうとしていた。浩瀚はずいぶん長いことこうしているのだなと他人事のように思った。

　一人酒を飲んでいて考えるのは、必然的に昼間のことであった。まさか、祥瓊に呼び出されるとは思ってもいなかった上に、自分の想いが周囲に筒抜けであるとも思っていなかった。浩瀚自身、己は感情を表情に上らせることの少ない人間であると信じていた。それでも呼び出された。祥瓊は自分と相対することに恐怖を感じているようであったのに。うまく隠せていると思っていた気持ちが周囲に知られているとなると自嘲するしかない。

「気をつけねばならないな」

　一口酒を飲み一人つぶやく。それでも浩瀚は陽子の側を離れるつもりは無かった。もし冢宰職を辞して陽子の隣からいなくなれば、自分の代わりに他の男が陽子の隣に立つことになる。それを黙って見ていられるわけがない。そんな簡単に身を引けるほどの軽々しい気持ちで陽子を、神を、想ってきた訳ではないのだ。

　桓タイが浩瀚の官邸に着いて中に声をかけると、浩瀚に仕えるようになったときにはすでに浩瀚の邸で働いていた顔馴染みの、齢五十あまりの女性がすぐさま出迎えに出てきた。いつも姿勢正しくある姿は若々しく見えるため実際には見た目よりも歳を重ねているのかもしれない。彼女は昔から浩瀚が唯一側に置く女中であるが、いまだに桓タイは二人の関係を知らなかった。

「いらっしゃいませ、桓タイ殿。お久しぶりでございますね」

「ああ久しぶりだな。中に入ってもいいか？　浩瀚様は中だろう」

「ええ、奥におられますよ。どうぞ中へ。急なお帰りで私も驚いたのですよ」

そう言って老女は微笑み、桓タイを邸の奥へと案内するために来た道を戻り始めた。娘時代はさぞかしの美人であったであろうと思わせる人物である。

「俺も、冢宰府に行ったら帰ったって言われて驚いたんだ。それも月に数度しか帰らない官邸のほうに帰ったって聞いて」

「それはとんだ無駄足でございましたね。何ぞ宮中でございましたか？　珍しくなにやら思い悩まれているご様子」

　後ろをついてくる桓タイを少し振り返り、桓タイの瞳を真正面から見据えた。ほんの一瞬のことではあるがそれだけですべてを見透かされたような気分になってしまい、桓タイは困ったような笑いを浮かべた。

「あなたはやはり浩瀚さまのことになると目ざとい」

「ほほほ。あの方もそうですが、桓タイ殿もなにやら思われておりますでしょう。久方ぶりにゆっくりお話なさりませ。あの方はすこーしばかり癖がおありになる、こちらが気長に居らねばなりませんよ」

「あれを少しと仰るか。ご忠告ありがとうございます」

　ふふっと楽しそうに笑う老女の言葉に桓タイは頬を引きつらせながら返すしかなかった。

「ではここで少々お待ちくださいませ、先に声をかけてまいりましょう」

　そういうと浩瀚のいる部屋より少し手前の廊下で待たされることとなった。

「浩瀚殿、桓?殿が参られましたよ。中にお通し致しますね。桓?殿だけにでも素直に心うちを話しなさいませ。こんなところまで訪ねてくださる数少ない御仁なのですから。ああ、そのような顔をなさらないで下さい。よろしいですね。お食事はしばらく後に持ってまいりますから」

「ああ、すまない。だが、お前の物言いは相変わらずきつい」

「知っていて私を連れてまいったのでございましょうに。浩瀚殿こそ、ひどい言い草ではございませんか」

「ははは、そうかもな」

「まったく。では、お通ししますよ」

「わかった」

　桓タイは廊下でその筒抜けの会話を聞いていてこの老女こそ最強なのではなかろうかと思った。

「お待たせして申し訳ございません。どうぞ中へ。でもあまり浩瀚殿を苛めないでやってくださいませね、あとが大変なのですから」

「おい、いらんことをいうな！」

「事実でございましょうに、ね？」

　老女はいたずらっぽい瞳で桓タイに同意を求めた。

「いやぁ、俺にはなんとも。では失礼させていただきます」

「ではまたのちほど」

　老女は桓?が入室すると頭を下げて部屋を出て行った。

　浩瀚と二人きりにさせられた室内で桓タイは立ったままでいた。

「座らないのか」

　浩瀚は自分の向かい側の席を桓タイに勧めた。

「はぁ」

「座れ」

　あいまいな返事を返す桓?を半眼で見上げると浩瀚は強い調子で命令した。

「・・・」

　桓タイは無言で浩瀚の前にすわった。

「まあ飲め」

「はあ」

「はっきりしないな」

　浩瀚は言いながら使っていない杯に酒を注いだ。

「・・・」

　桓タイは注がれた酒には口をつけなかった。

「言いたい事があるなら言ったらどうだ。そのつもりで此処まで来たのだろう」

「それは、そうなんですがね」

「言えないか？」

　浩瀚が薄く笑うものだから、桓タイは諦めたように息を吐いた。

「言いますよ。あれから祥瓊と話していたんですよ、浩瀚様は何をお考えなのだろうかって」

「ほぅ、あのときお前は隠れていたのか」

　そう言って、楽しそうにくくっと笑った。

「とぼけないでください。最初(はな)っから気づいていた人が」

「ははっ」

「それで？　一体何を考えているんですか？」

　笑うだけの浩瀚に桓タイは少し強く問うた。

「うん？　そうだな、しいて言うならば、何も考えていなかったのかもしれないな」

「あなたがですか？」

　反射的に返された桓タイの言葉に浩瀚は眉間にしわを寄せた。

「どういう意味だそれは。一体人をなんだと思っている」

「有能なる慶国冢宰の浩瀚様です。そのあなたが考えなしの行動をとるなど誰も考えが及ばないですよ」

　桓タイは至極まじめな声音でそう答えた。

「ずいぶんと嫌味だな」

　浩瀚は自嘲気味に笑い、掌の中の杯を回し水面に波を立てた。

「そう聞こえますか」

「聞こえる」

そう言うと一気に杯を空けた。二人の間には少しの静寂が訪れた。

　

浩瀚はふっと伏せていた目を上げ、桓タイ相手に流し目をくれた。じっと浩瀚を見ていた桓タイはまともにそれを受け取ってしまい、渋面を作った。今までに何人かの女を騙したことはあるだろうその表情を見てしまい桓タイは心中で毒づくしかなかった。

（俺相手にそんな顔しないでくださいよ。この酔っ払いが！！）

　浩瀚はそのままの表情で口角を上げ、しかめっ面の桓タイを見て満足そうに笑った。

「恋は盲目だと言うじゃないか」

「はぁ？！」

　突然の言葉に桓タイは目を剥いた。見た目はさほどではないが、これは完璧に酔っている。そんな人間に素面で敵うわけがない。桓タイは目の前で注がれたままになっていた酒をあおり、空になった杯をダンッと卓に置いた。

「ああっ、もう！　ふざけないでください！！」

「ふざけたりしていない」

「ふざけていない人が『恋は盲目』なんて言いますか？　言いませんよ普通！」

　桓タイは自分の杯に酒を注ぎ足しながら吼えた。

「ほかに適当な言葉が無かった」

「要は、周りが見えていなかったってことですか？　って、うわっ、ちょっとひったくらないで下さいって！！」

　桓タイは握っていた素焼きの酒器を無理やり浩瀚に奪われたため、机に突っ伏す形となってしまった。顔だけ上げて反論しても迫力はない。

「うるさい！　見えてると思っていたんだ」

「見えていなかったんでしょ」

「・・・・・・そのようだな」

（はぁ・・・）桓タイは深く深くため息をついた。

「お願いですから、ちゃんと周りを見てください。あなたたち二人の足元を掬おうしている輩はまだまだいるんですから・・・」

「そんなへまはしないがな。これからはもっと気をつける」

　桓タイにとって浩瀚のその言葉は疑わしいものだ。

「俺は、貴方たちが倒されるのは嫌です」

「そう簡単に倒されたりはしないさ、私も主上も」

「それは分かっています。分かっていますがもっと気をつけてください。貴方が一番主上を倒されたくないはずだし、国を傾けたくもないはずだ」

「もちろんだ。私はこの国を雁や奏よりも長く続かせたい。主上を亡くしたくない」

「そう思っておいでなら、ご自分の行動を省みてください」

　桓タイは真剣な面持ちであったため、浩瀚も自身の酔いが引いていくようだった。少し冷めた頭で考え、出した結論は、一番初めに自ら否定したものであった。

「・・・距離を置くしかないのだろうか」

「あなたが主上の側近くにいることは悪いことではないです。ただ、近づき過ぎた気がします。事を急いては仕損じると申すではないですか」

　その言葉に浩瀚はまじまじと桓?を見てしまった。

「桓タイ。お前は時期が来れば私の行為を許せるのか？」

「仕方ないですから、許しますよ。俺にあなたが止められるとは思いませんから。ただし、援護はしませんからね」

　桓タイは本当に仕方ないなという風に笑って見せた。それに対して浩瀚は口の端で笑った。

「ならば、今は国のために距離を置こうではないか。我ながらこの年になってみっともないな」

「有能な冢宰閣下も中身はただの男だったようですね」

「ふん、お前も似たようなものだろう」

「どういう意味ですか」

　浩瀚は鼻を鳴らし、再び手元の杯に口をつけ、聞き返す桓タイの瞳の奥を覗き込んだ。こうされると全てを見透かされているような気がする。こうやって相手の瞳を覗き込むのは浩瀚の癖か、老女の癖か。

「祥瓊のためだろう、わざわざここまで来た本当の理由は」

　やはり見透かされている。

「浩瀚さまがきついこと言うから、あいつ気にしていましたよ」

「お前がなぐさめてやればいいことだ。祥瓊や鈴にしたら、私は主上をたぶらかす悪い男だろうからな」

「そんなことありませんよ。皆浩瀚様のことも好きなのです。だから、祥瓊もがんばってあなたに意見したんですよ。嫌いだったら、あいつは相手を失脚させるでしょうよ」

「違いない。私が失脚するのは百歩譲るとして、私の後にほかの男が冢宰の任に就くのは耐え難い。主上とは、少し距離を置くよ、時期がよくなるまで」

「そうしてください。俺は浩瀚様以外の人間に指図されるのは御免ですからね」

　そのとき、話の切れ目を見計らったかのように堂室の戸が叩かれた。

「どうした？」

「そろそろお食事になさりませんか」

　控えめに主に伺いを立てているようであるが、それを言ったのが彼女であると、食事を持ってくるので話をやめろという風にも聞こえてしまう。

「もうそんなに立つか。わかった、持ってきてくれ。お前も一緒に食わないか？　私のせいで食べていないのだろう」
「よろしいのですか？」
「かまわん。それと酒も新しいのを持ってきてくれ」

「承知いたしました」

　衣擦れの音が遠ざかるのを待ってから、桓?が口を開いた。

「浩瀚様も、あの方には相変わらず頭が上がらないようですね」

「ああ。当たり前だ、あれは私の姉のようなものだからな」

「姉ですか」

「なんだ」

「母のようでもありますよ」

「ぐふっ」

　桓タイの言葉に浩瀚はむせてしまった。

「やめてくれ、あんな親は嫌だ」

「浩瀚様汚い」

　桓タイは間一髪で浩瀚が吹いた飛沫をよけていた。浩瀚は口の周りを拭きながら心底嫌そうな顔をして見せた。

　それからすぐに食事も酒も運ばれてきて、三人は麦州時代の話などをしながら、夜遅くまで和やかなときを過ごした。

　了

2006.05.18

……RUNAさんのコメント……

作中の老女の名前は、玉葉さんです。美人だから。
彼女は、浩瀚より年上の幼馴染で、自分も官吏になって仙になっていたけれど、途中で辞めた人。
それで私的に浩瀚は他人を身の周り置きそうに無いので、見兼ねた玉葉さんが浩瀚の面倒を見ている。みたいな感じです。

（俺相手にそんな顔しないでくださいよ。この酔っ払いが！！）

吹・い・た……！！

ちょ……！
浩瀚様、あなた何してんですか！
相当酔っていますよ！？(笑)

恋は盲目な浩瀚。
酔ってヘタレな浩瀚。
かなりダメダメな浩瀚。

うっわ。たまらんｖ　こんな浩瀚も好きだーーーー！！！！

オリジナルキャラがすごく魅力的でこれから先も楽しみです！！
再登場希望します！！！