延王×陽子
『月下』
陽子がふと目を覚ますと、かすかな寝息が耳元をくすぐる。
慣れたようで慣れない男の匂い。だが、ほっとするのは確かだった。
陽子は静かに深呼吸をして周囲を見回した。
二人が寝るには広すぎる寝台。はじめはその大きさに戸惑っていたけれど、さすがに慣れてきていた。大理石なのか、白くて巨大な石を削って作られた――おそらく特注品。頭上と側面には瑞兆の獣が描かれてあった。
なんでこんなに大きいのか、と前に聞いたとき、「さあ、前王のときからだからな」と返ってきた。首をかしげる陽子に、「俺とは違い、共に寝るのが一人じゃないからだろう」と意味ありげに言われてさすがに分かったけれど。
ここで寝たことがある女性は陽子だけだ、という男の言葉を陽子は信じている。 陽子はすぐ目の前にある男の顔を見つめ、これからもそうであればいい、と祈るように思う。
男の腕が動き、陽子は漏れそうになる声を押さえた。
自分が何も身に付けていないことはすぐに分かる。その身体を包み込むように毛布が巻かれ、男はその上から陽子を抱きしめていた。
腰にかかる腕の重みに、陽子は頬を染めた。
「延王……」
小さくつぶやいてみる。
「延王」
対する男から返る言葉はない。だが、陽子の口からは自然と笑みが漏れていた。
陽子のことは風邪を引かないようにと気遣ってくれるくせに、自分は薄い着物を軽く羽織っただけの男が愛しくて――。
陽子は延王の腕を外すと、彼に毛布を掛け、自分は男の隣に潜り込んだ。
延王は軽くうめくが、目を覚ます気配はない。その腕が何かを探すように動き、陽子を捕らえると引き寄せるようにして抱きしめた。
素肌が触れ合って、互いの鼓動が聞こえる。
男の胸の中にすっぽりとおさまって心地よい反面、男の片手がゆっくりと背中、腰とを撫でさ迷っている。おそらく無意識なのだろうが、陽子は顔を赤くして、声が漏れるのを押さえるのに必死だ。
陽子が離れようと男の胸に手を当てると、ぎゅっ、と背中から強く抱きしめられた。
「え……延王っ」
陽子は、大切なものを見つけた、というような安堵の溜め息を耳元で聞く。
陽子を抱きしめる男の鼓動は穏やかだった。
「……」
陽子は微笑を漏らす。
そんな小さなことが嬉しかった。
すりすりと頬を延王の胸につけて笑った。目を閉じて、そっとつぶやく。
「離さないでくださいね」
ずっと。
ずっと。
これからも。
ずっと。
――離さないでくださいね、
二人は王だ。いつでも会えるわけじゃない。
いつまでもそばにいられるわけじゃない。
でも。
一緒にいるときだけは――。
「延王……」
返る答えは相変わらずなくて、ただ、胸がつぶれるほど強く抱きしめられて、陽子は吐息を漏らす。
「延王……」
陽子は、男の背に手を回した。
「ふふ……暖かい」
「陽子……？」
延王が目を覚まして、陽子の名をつぶやいた。かすれた声が、陽子だけに聞かせるものだと分かる。
「どうした……？ 陽子……」
くすくすと笑って、陽子は延王の胸に口付けた。
あなただけを見ていよう。
たとえ背を向けていても――たとえ他の誰かと話していても――。
見えない目で、あなたを見ている。
あなただけを感じている。
この安らぎを、延王も感じてくれているのだろうか？
「陽子……？」
延王の問いに、陽子はただ笑うだけ。
男はちょっとだけ困惑した表情を見せたが、やがて静かな笑みを浮かべて陽子の頭上に口付けた。
優しく。
愛しい者を労わるように。
感謝を捧げるように。
「陽子……」
眠りの中で、声を聞いたような気がした。
――離さないでくださいね。
男は、答えを返すように陽子を強く抱きしめた。
部屋には月の光だけが漏れ入ってくる。
波の音を背に、二人は穏やかな眠りに落ちていった。
雲海の空に輝く月だけが――。
静かに二人を見つめ続ける。
これからも。
ずっと。
離れることなく、互いを支えあう二人を、いつまでもいつまでも――。
見守っていくのだ。
了
2001.06.21