延王×陽子
『浴衣（ゆかた）』
祭がある――と。
延王の声で鳥が鳴いた。
朝議から戻ると、私を見つけた鳥が嬉しそうに飛んで来たのだった。浩瀚によると、この言葉を話す鳥はよほど重要な用件の時以外は使わないものらしいけど、雁国と慶国においてはなぜか頻繁に使われている。一国に一羽。王を相手か発信元にしてしか使用することの出来ないそれは、慶国は楽俊を相手に、雁国は私を相手に頻繁に行き来している。まあ、雁国の場合は私以外にもたくさん使っているのだろうが。
「七日に祭がある。来れるか」
明朗な男の声で鳥が鳴いた。
雁国は、それを治める王の性格を現しているのか、国が主催にしろ民が主催にしろ祭が多い。それも娯楽的な祭が多い。中には１０年に一度とか、２０年に一度の大祭もあるらしい。祭は文化だ。それを継続するにはやはり長い治世が必要なのだと、雁国の祭を見るたびに思う。
延王の誘いは、祭があるから、こちらに来る日を早めろ、ということらしかった。
浩瀚にそのことを伝えると、冢宰はくすりと笑って「行ってらっしゃいませ」と言った。
「いいのか？ 三日も早く行ったら執務が……」
「おや、ご自分ではお気づきでないのですね」
おかしそうに浩瀚が笑うから、私が首をかしげると、浩瀚はまた笑う。
「なにやらよほど楽しいことが控えているとみえて、このところ主上の政務のはかどりがいいとの報告が」
くすくすと浩瀚は笑う。
「すでに予定していたよりも４日は早く済ませてしまっておりますよ。――行ってらっしゃいまし」
鈴にそのことを伝えると、彼女は「きゃあ」と楽しげに両手を合わせ、ちょっと待ってと言い置いていなくなったかと思うと、なにやら手に生地を持って現れた。大きな花の柄がついたそれは……
「あら、鈴が縫っていたやつね」
祥瓊が目を細めた。
「確か……浴衣、とか」
「そう！」
鈴が嬉しそうに、じゃん、と私の前に和装の着物を広げた。
「間に合ってよかった」
「浴衣……」
「ええ。そう。――着たことはある？」
「あ、うん。でも着付けは無理」
「大丈夫、陽子に覚えなさいとは言わないから」
鈴がクスクスと笑う。
「向こうの女官長か女御宛に着付けの仕方を書いた手紙を渡してね――。それより……延王君に渡した方がいいかしら」
「……？」
私が首をかしげると、だって、と鈴は言う。
「だって……外で脱いだときに着付けに困るでしょう？」
「……？」
意味がわからず、私が眉をひそめると、鈴は頬を赤くして、祥瓊は爆笑した。
「あはは！ 鈴、まだその心配はいらなさそうよ！」
「――！」
私はようやく意味がわかって。
「鈴……！」
「あーん、だって〜」
鈴が頭を抱える。祥瓊が浴衣を広げて微笑んだ。
「今、着てみる？」
私は鈴の頭に拳をぐりぐりとねじりこみながら、大きく頷いた。
蓬莱の縁日を思わせる屋台が並んでいる。金魚すくいやカメすくい、色玉すくいやお面、綿あめらしきものまである。名前は違うが、たこ焼きやお好み焼き、焼きそば……。
「うそ！ リンゴあめだ！ キャー！ あんずーー！！ うそー！ きゃあああっ！ バナナチョコーーー！！！？？」
キャアキャアとはしゃぐ私を見て、後ろを歩く延王はどこから手に入れたのか、お酒を口に運びながらニコニコと笑っている。その手に、私がとった金魚や綿あめを持ってくれている。
「どうしたんですか、これ！！ 日本の縁日みたいですっ！」
「六太が仕入れてくるんだ」
バナナチョコを口に運んで――それはチョコではなく黒砂糖を溶かしたものだったんだけど――私は興奮が止まらない。
私の浴衣姿に、周囲の視線がちらちらと集まっている。和風の着付けに可愛らしい帯、この世界のものとは違ったつくりであることは一目でわかる。「かわいい」という声が聞こえてきて、私は嬉しくなった。鈴が冬官に頼んで草履まで用意してある。そのうち、この浴衣も流行るんじゃないだろうか。
「海客が多いからな、神輿も作らせた」
「神輿も！？」
「気に入ったか」
「はい！」
「それは良かった。はぐれるなよ」
延王が私に手を伸ばす。私はその手を取ろうとして――彼の背後に飛ぶものを見つけて叫んだ。
「延王！ 輪投げがありますっ」
だだだ、と走っていく私を苦笑して見送り、彼は行く先を失った手で頭をかく。
「風漢、早くっ！」
私はお金を持っていない。輪投げの前で「早く早く」と手招きする私に、彼は「はいはい」と微苦笑をもらしながら懐からお金を出して亭主に渡した。
一回で五つの輪を渡される。私は二回失敗し、三回目の残り二つの輪というところで、救いを求めるように延王を見た。
「何がほしいんだ？」
「あの髪飾り」
白い花が散った――それは手作りの玩具だったけれど。
王宮に行けばもっと高価な本物の簪を手に入れることが出来るだろう、と無粋なことを男は言わず。
「ほれ」
と手を差し出された。私は残った輪を彼に渡す。彼はニヤリと笑うと、軽く輪を振ってから狙いを定めるというよりも適当に投げたという感じでそれを放った。それは髪飾りが掛かっている棒をきれいに通過した。
キャア！ と私は叫ぶ。的屋の老人が延王ではなく、私に髪飾りを手渡してくれる。延王はもうひとつをすでに放って、それはフラフープのように違う棒を回って落ちる。
「すごいっ！」
延王が誇らしげに鼻を鳴らした。
「すごいな、兄ちゃん、ほら、彼女にどうぞ」
それはガラスで作った耳飾り。
老人の手から渡されたそれを、延王は私の耳につけた。
「痛くないか」
「はい……」
「……」
彼の口から溜め息が漏れる。
「おまえにやるものがこんなものとはな」
私は彼を見上げて瞬く。
「なんで？ すごく嬉しいです！」
延王は眉をひそめた。
「……おまえは安いものほど喜ぶ」
どこが憮然とした表情、その物言いに私は笑った。延王は私の手から髪飾りをとると、それも髪に挿してくれる。
「ありがとうございます」
私が照れたように笑うと、彼はやっぱり憮然とした表情で。
「やはり安いものの方が喜ぶ」
「……」
私は延王を見上げ、ぷ、と吹きだして笑ってしまった。
「何がおかしい」
「だって……」
言ってもいいのだろうか。
「延王……かわいいから」
「……」
延王は溜め息をついて歩き始めてしまった。私は慌てて彼の腕を取って、ぴた、と寄り添うと、背の高い彼を覗き込んだ。
「怒ってしまいました？」
「怒ってはいないが」
「いないが？」
「……なんでもない」
やっぱり怒ってる。でも、やっぱりなぜか延王が可愛くて。
「笑うな」
延王が私のアゴを右手でつかむ。
「すみません、だって……」
可愛くて。
私は笑いながら延王の首に手を伸ばして、すばやく彼の頬に軽く口付けた。
「許してください」
かわいい子供に口付けてしまう感覚。
延王は目を見開いて、私を見下ろす。少しだけ機嫌が直っているのがわかった。
「もう一度」
「はい？」
「今の、もう一度してくれ」
「……」
延王が真面目に言う。少し頬を染めて。
私はやっぱり彼が可愛くて。
彼の首に手を伸ばすと、笑って彼に口付けた。
了
2002.08.19