リクエスト「尚隆×陽子」 雛菊様へ。
『待人（まちびと）』
赤く柔らかい髪に触れた。
長い毛先に指を絡め、どこまで気づかないだろうかと、少しずつ引っ張っていく。
「いたっ」
陽子が振り返って、怒った表情を見せながらも笑う。
「もう！」
顔に、枕を押し付けられた。
「あと少しだから！」
「さっきも同じことを言ったぞ」
「あとちょっと！」
「それも言った」
「もう！ 黙ってて」
怒りながらも陽子の顔は笑っている。
俺は降参、というように両手を軽くあげ、溜め息をついて枕に後頭部を沈めた。
明日、浩瀚による試験があるのだという。
陽子は広い寝台の上で、俺とはＶ字になって布団に身体を入れている。そのまま、かすかな明かりで試験に出る範囲を予習しているのだった。そんなものはいいから来い、と言いたいが、その試験の結果で休みがもらえる――つまり、雁国に来れるかどうかが決まると言われては下手に邪魔も出来ない。
本来、明日迎えにくるところを一日早めた……しかも着いたのは夜。それはまあ、俺の独断に過ぎないが、この仕打ちはないだろうと訴えた答えが――。
「女官を起こして部屋をご用意しましょうか？」
「……」
文句も言えない。
しかも、まるで猫が尻尾を振るように、時折、陽子の足がゆれて俺の足に絡んでくる。それなのに、本人には誘っている気はまったくないのだ。
からみたくなっても仕方なかろう？
きれいな鼻筋の横顔を俺は見つめた。
真剣な表情。
女王である彼女は、普通の娘として育っていたのであれば覚える必要のないことまで覚えなくてはいけない。施政者として必要なのは知識と経験だ。その圧倒的に少ない経験を、陽子は少しでも多くの知識を得ることで補おうとしている。
教本を見たが、大学で習ってもおかしくない内容を、小学の子供でも理解できるように作ってあった。端整で几帳面な字は浩瀚のものだろう。難しいことを教えることは誰にも出来るが、難しいことを誰にでもわかるように教えることは難しい。――それをこなせる技量。中身の練習問題も、実践で起こりそうな内容をちゃんと選んでいる。
いや――すでに対処を求められている事柄なのかもしれない。曲者の慶国冢宰の顔を思い浮かべて、なるほど、と思わず苦笑いをもらしてしまう。
――試験。明日、奏上があるということだろう。
「お前のところの冢宰は優秀だな」
「え？」
陽子はきょとんと瞬き、不思議そうな顔で俺を見つめてきた。いきなり何を、といった表情だ。俺が何も言わないと、陽子は再び視線を手元に戻した。
「ええ、もちろんです」
陽子がくすくすと笑う。
「陽子」
「はい……」
「陽子」
「……はい」
ペラ、ペラ、と紙をめくる音だけが続く。何度呼んでも、俺のほうを見ようとしない。
陽子の長い髪は勉強の邪魔だと最初軽く結っていたが、先ほど俺が解いてしまっていた。広がっている髪をひと房つかみ、俺はそれを口元に運ぶ。
わざと、音をたてて口付けた。
「……」
視線がやっと俺に向いた。
「尚隆？」
「なんだ」
陽子の髪に口付けていく。何度も、愛しげに。
「……どうした？ 勉強するのだろう、早く終わらせてくれ」
言いながらも、口付けはやめない。髪に、心からの愛情を込めて。
「……」
陽子が自分の髪を引いた。
「だめ」
「何がだ」
「だめ……とにかく、だめ」
陽子は自分の髪をまとめると、俺がいる反対側に持っていき、前にたらした。なぜか怒った様子で再び手元に目を向ける。
「なんだ……髪に嫉妬したのか？」
「――！」
陽子の顔が赤く染まったのがわかった。
「してません！」
「そうか？ 耳が赤いぞ」
「尚隆！ もう、からかわないで！」
腹にこぶしを食らう。
俺は笑って、自分の唇を親指で擦った。
「口付けてくれ。そうしたら大人しく待っていてやる」
「〜〜〜！！」
陽子は眉をひそめたが、溜め息をつき、こんなんじゃ、とぶつぶつと言いながら身体をひねった。布団を跳ねのけると、俺の胸に手を乗せて、そのまま、身体を乗せてくる。
「勉強できません！」
俺の腹を跨ぎ、体重を乗せて座った陽子が鼻を鳴らす。
「それは悪いことをしたな」
「思ってないくせに」
瞳の色を深くして、陽子は恨めしげに見下ろしながら頬を膨らませた。
陽子の腰に手をあて、軽く誘導するように引き寄せると、彼女は溜め息をひとつ、身をかがめて口付けてきた。が、すぐに身を起こしてしまう。しかも、口付けたのは唇ではなく、あご。
「終わりです。もう、大人しくしていてください」
「それで終りか！？」
「口付けたら、待っていてくれると言ったでしょう」
「今のは違う！」
「もう！ 子どもみたいなこと言わないで――だめっ！」
バシッ！ と、陽子の太ももに伸ばした腕を叩かれた。
「おまえなあ、この格好でそれはないだろう！」
「だめです！」
「お前は鬼か！」
「だめなものはだめ！ あと少しだから！」
「ここまでしておいてお預けとは鬼の所業だぞ」
「鬼でけっこう！」
「……」
「……」
「……鬼」
「……」
「鬼」
「……」
「鬼」
「尚隆〜？」
陽子がにっこりと笑った。ひくひくと、顔の筋肉が動いている。
「本当に、なってあげましょうかあ？ 大人しく待つの待たないの？」
からかいすぎた。
「……待つ」
「よし！ と」
背中で声がした。
一区切りがついたのか、陽子が本を閉じた。
「尚隆、お待たせ〜」
ぺた、とあごを肩に乗せてくる。俺はわざと起きない。だが、それも陽子は見抜いていたのか、様子をうかがってくる雰囲気がある。
「もう……まだ拗ねてるのー！？」
子供なんだからー、と陽子が溜め息をつく。
陽子に背を向けて寝たふりをしていたが、腕を引かれて倒されてしまう。陽子は毛布を引き寄せると、俺に身体を密着させて横になる。
「えへへ。あったかーい」
居心地のいい場所を探しているのか、しばらくもぞもぞとしていたが、大人しくなったかと思うと、次の瞬間、もう寝息が聞こえてきた。
俺は目を見開く。
「おい」
「……ん……？」
「もしかして、本当に眠るつもりじゃないだろうな」
「んん……」
「陽子」
「だって眠いんでしょう？」
「おい！」
「…………」
「俺は眠くない、起きろ」
「いや〜」
「起きろ、陽子っ！ こら！」
「や〜！！」
陽子が枕に抱きついた。
「起きろっ」
がくがくと、陽子の肩を揺らす。
「…………ぷ、くくく」
陽子はクスクスと枕に顔を押し付けて笑っていた。
「……っは！ あははっ」
声を上げて笑い出す。
「あのなあ」
俺が声を出す前に、陽子が俺に抱きついてきた。
「本気で焦ってたでしょう！」
すりすりと胸に頭をこすりつけてくるのはいつものことだ。
「まったく……」
陽子の身体に手を回し、引き寄せると天井を見上げる。
陽子は嬉しそうに笑っている。
「ふふふふふ」
「ふふふじゃない」
「明日はたくさん暖めてあげますね」
「明日？」
「明日です。もう眠くて……」
「待て！ こんなに待ったんだぞ！」
「こんなにって……３０分も待たせてないでしょう？」
「３０分もだ！ これからやる」
「えぇ〜えええええ〜〜」
「嫌そうに言うな！」
「だって、眠いんですもん」
「絶対にやるからな！ やると言ったらやる！」
「んもーー！！」
そんなに気合入れて、と陽子が呆れたように言った。
「当たり前だ！ これだけ人を待たせておいて一人でさっさと寝るつもりか？」
「も〜」
こ・ど・も、と陽子が声を出さずに口を動かした。そして、くすりと笑うのだ。本当に楽しそうに。
「しょうがないか。子供なんだもんね」
「そうだ。大人しく待っていた良い子にはご褒美を、だ」
陽子はクスクスと笑い、冷えた手が俺の顔を引き寄せる。甘えるように、陽子がささやいた。
「さっき、していたみたいにして？」
「ん？」
何のことか、一瞬わからなかった。
「……髪」
「髪？」
「か、み」
「……ああ」
俺は笑う。身体の向きをかえ、陽子の身体を敷いた。
「さっきみたいなやつでいいのか？」
「うん……」
陽子の額に、瞳に、頬に、くちびるに、愛しげに口付けていく。ふと、あることに気づいて眉を寄せた。
「なんだか俺が陽子にご褒美を与えているみたいだな」
「うん……ご褒美……好き」
「俺がもらうんじゃないのか？」
くちびるを奪いながら、彼女の服を脱がす。
「うん……」
身体を下げていき、陽子の首筋に、鎖骨に口付けていった。
「……ぁ」
陽子の吐息が上がっていく。
陽子が俺の頭を抱えるように、髪に指を差し入れて引き寄せた。だから、と陽子が熱い吐息でささやく。
「ご褒美……あげているでしょう？」
「……」
ちゅ、と額に口付けられた。陽子の胸は温かく、柔らかい感触が顔に触れる。
「ご褒美……いらない？」
陽子の鼓動が高鳴っているのが伝わってくる。
「……いる」
俺は、笑った。
「なるほど……」
確かにもらっているな。
受領の証が必要だろうか？
俺は満足げに笑うと、与えられた肌に顔をうずめた。
了
【THANKS 6000hit】2002.12.16