浩瀚×陽子 ※キリリクの七夕話の一年後の話です。
『七夕２』
短冊を前に何度も深い溜め息をつく冢宰を、陽子は執務室の入り口からしばらく見ているのだが、浩瀚が気づく様子はなかった。
いや、気づいても顔を上げないのかもしれないと陽子は思う。
「浩瀚には、国政よりも難しい問題らしい」
陽子の声にやっと顔を上げた浩瀚は、微苦笑をもらした。
「いざとなると、なかなか思い浮かばないものですね」
ほう、と浩瀚は軽い溜め息をついた。困ったように手元を見つめる――そこには、短冊の束。
「７２の願いは書いたのですが、残り２９３枚が難題です」
さらりと。
「……」
陽子はきょとんとし、頭の中で足し算をしたのち笑い出した。
※
「四十八手制覇……」
浩瀚が書いた短冊を手に、陽子はそれを読み上げた。
その横で、涼しい顔で口笛を吹き、冢宰は楽しげに執務室を出て行く。
ちょうど浩瀚と入れ替わるように入ってきた桓タイが怪訝そうな顔で振り返った。
「……なにかあったんですか？ 浩瀚さまがやけに楽しそうでしたが」
「ああ、うん」
思わず苦笑してしまう陽子だ。
「短冊を３６５枚、全部書き終えたんだって」
「ははあ……なるほど」
桓タイも苦笑をもらした。先日、浩瀚がひどく悩んでいるので理由を聞いたら、今年の七夕で主上が「浩瀚の願いがかないますように」と短冊に書くので、一日一回３６５日分の願いを考えているのだという。なんともあほらしい話だが、冢宰は３６５枚の短冊を見事に書き終えてしまったらしい。
「見ても？」
「ああ」
桓タイは身体を傾け、陽子の手元を見た瞬間、「ブッ」と吹きだした。
「うわっ！ 桓タイ、汚いなっ」
「す……すみませんっ」
ごほ、ごほ、と桓タイはむせる。
あ、と口にしたのは陽子だ。慌てて短冊を書卓に伏せた。
「浩瀚から誰にも見せるなって言われてたんだ……桓タイ、浩瀚には内緒で頼む」
「は……はあ」
相変わらずむせつつ、桓タイは回廊を渡っていく冢宰の後姿を複雑な表情で見つめた。
「浩瀚さま……あんた」
完全に楽しんでいますね？
桓タイは溜め息をついた。
陽子が小首を傾げた。
「そんなに難しいのか？」
「は？ なにがです」
「四十八手」
「――」
思わず硬直する桓タイに、陽子は追い討ちをかける。
「浩瀚は一日に一手って言っていたけど」
「……そ、そうですか。それは…………がんばってください」
「桓タイもやったことあるのか？」
「は！？」
「四十八手」
「し………………四十八手はさすがに……」
「そうか、やっぱり難しいんだな。まあ、浩瀚のことだからあっさりとやってのけそうな気もするけど」
「……そうです、ね」
頼むからこれ以上口を開かないでくれ、と桓タイは真剣に祈る。
陽子は短冊を見ながら、くすりと笑った。
「でも知らなかったな、浩瀚が武術を嗜んでいたなんて」
「…………」
桓タイは瞬き、え？ と眉を寄せる。さらに眉間の皺を増やして、赤い頭を見つめた。
「え？」
「ん？」
陽子が純粋な顔で桓タイを見上げてきた。
「武道なんだろ？」
「……」
うわー、と桓タイは内心で呟いた。知らないのか……。
「武道……というか」
「やっぱり難しい技なんだろうな」
「はあ、まあ……たぶん」
武道、なんだろうか……？ ある意味、真剣勝負だし寝技だし……。
ブツブツと呟いている桓タイに、陽子は首を捻った。
「空手みたいな感じなのか？ それとも合気道？」
「……ど、どちらかといえば柔術かと……」
真面目に答える桓タイ。そっかー、と陽子は相好を崩した。翠玉の瞳がキラキラと輝く。
「私も浩瀚と一緒にやってみようかな」
「……そうですね、一人では出来ませんから……って何で俺は真剣に答えているんだ！」
うがっ！ と桓タイは自分でツッコんだ。驚く陽子に向かって表情を改めると、その肩にポンと手を乗せる。
「主上、このことは祥瓊や鈴殿には言ってはいけませんよ？ 誰にも内緒です」
「分かっているって」
「本当に」
「もちろんだ！」
「……」
いまいち不安な桓タイだ。ちらりと目をそらせば、書卓の上には短冊が山となっている。桓タイは――。
見なかったことにしよう、と思った。
陽子はむうう、と唸って肩をまわした。
「私も制覇出来るかなあ、このところ、身体がにぶっているんだよね」
「……まあ、その、あれです。きっと浩瀚さまが実地で丁寧に教えてくれますよ」
「そっか」
「はい」
浩瀚さま、が・ん・ば・れ！ と思いながら、桓タイは遠い目をしてやんわりと笑った。
了
2004.10.15