慶国異聞
『穏やかな笑み』
「景麒、あと何かやることは」
「ございません」
「……よし」
最後の判を力強く押して、離す。とたんに、少女は花が咲き開くように笑った。
「じゃあ、今日はおしまいっと！ お疲れ様ー」
彼女は御璽を置いて、椅子の背もたれにどっともたれた。「疲れた」と口にしながらも、嬉しそうに肩と首を回す。私は、処理済の文書を文箱に収めながら、
「お疲れ様です」
――と言った。
景王赤子。
彼女が即位して数年が経っている。
胎果である王は、こちらの文字に対して何らかのコツをつかんだのだろうか、このところとみに政務のはかどりがいい。私たちの手を借りずとも、通常の処理は確実にこなせるようになっていた。それは彼女にも分かるらしく、こうして仕事を終えると、疲れた様子は見せるものの、常に満足そうな笑みが浮かぶ。
今まで冢宰や私が分担していた仕事も、目に見えて少なくなった。喜ばしいことだと心ではわかっているのだが。
机につっぷして目を閉じている主を見て、私は静かに礼をして下がった。
もれたのは微苦笑。
こんなことを思うのはおかしいのだろう。手がかからなくなっていくことがさみしい、などと。
先王の時には、ついに感じることのなかった思い。
「――鈴」
女御を見つけ、声をかけた。
「主上にお茶を」
「はい――」
振り返った少女が、驚いたように私を見た。呆けたように口を開けている。
私は問うように眉間にしわを寄せた。――これをすると「また眉間にしわを寄せて！」とすぐに主が怒るけれど。
「なにか」
「い――いえ」
慌てて首を振り、
「すぐに用意いたします」
弾むように娘が答えた。
そして、嬉しいことでもあったかのように、私を見てくすりと笑った。
了
【十二国記御題百選／098】
2004.07.08