ナル×まどか
『桜』
「ナル。ねえ、ここに座って」
まどかが自分の隣をぽんぽんと叩いた。
大学構内にある桜。それは西裏門に向かう歩道を挟むようにして左右に植えられ、その下にあるベンチで子供のように無邪気に桜を見上げていたまどかを見つけたのはつい先ほどのことだ。ちなみに本来の待ち合わせはここよりも２００メートルほど離れた場所だった。待ち合わせ時間も３０分はすぎている。
ナルの記憶にあるかぎり、この通りにベンチは置いてなかった。まどかが運んできたのか、それとも桜の花咲く季節だけ設置してあるのか。
ナルの顔が幾分か険しくなったが、まどかはそんなことを気にもせず、ニコニコと笑みを浮かべたまま「ほら」と急かす。まどかの笑みは日本人特有のごまかすような笑みとは違い、「お願い」に対する強制力があった。意識して使っているのか無意識なのかは微妙なところだ。特にナルには。
逆らうのも疲れるので、ナルは大人しくまどかの隣に腰をおろした。まどかはにっこりと笑って、椅子の背にもたれて桜の木を見上げる。
ナルは持っていた本を開いて読み始めた。確か「昼をおごってあげる」と言って呼び出したのはまどかだったように思うのだが、すっかり忘れているようだ。どうせあと数分――もしくは数十分経てば、突然立ち上がって「忘れてたわ！ ごはんごはん！」と言いだすに違いない。
「この桜、日本から贈られて来たのよ」
桜の花はすでに満開で、花びらが止めどなく降ってくる。風が吹くと、ピンクの花びらがいっせいに舞い上がった。――いや、散っているのか。数本の桜しかないのに、大学のいたるところで風に飛ばされてきたピンクの花びらを見ることが出来た。舞う、という言葉がこれほど適した花はないだろう。
桜を見つめる彼女が、花の風情を楽しんでいるのか、故郷を思い出しているのかナルには分からない。
広げている本にも花びらは落ちてくる。ナルはそれを気にすることなく本を読み続けた。いつか、時が経ってこの本を開いたときにまどかといたときの思い出がふと現れるのかもしれない。
横を見れば、まどかの目がとろんとしている。
「……眠いのか？」
答えはなく。しばらくして、「え、なに、なんか言った？」と瞬きをしてくる。
おごる、などとやけに気前がいいと思ったが、どうやら煮詰まっていた論文か研究から解放されたらしい。よく見れば化粧っけのない
（でも、日本人特有の綺麗な）肌は荒れ、目元はクマがひどい。
ナルは小さな溜め息をついて本を閉じた。腕を組んで、目を閉じる。
「眠くなったから寝る」
ふう、と溜め息を付いて、ナルはそのまま静かに眠り始めてしまった。
「……」
まどかは瞬き、ナルの突然の行動に驚いた表情を見せたが、少し考える仕草を見せ、目を細めてくすりと笑った。そのままナルの横で同じように目を閉じた。しばらくして、まどかの寝息が確かなものになると、頭がナルの肩に当たってくる。
「……ったく」
ナルは目を開けて、まどかの柔らかそうな髪を見つめた。髪に絡まる桜の花びらをいくつも見つける。いったい、いつからここにいたのやら。
ナルは桜の木を見上げた。
自分の身体に流れる半分の血。その国からやってきたもの。そして、まどかが幼いころから見続けてきたのであろう季節を思う。
桜か……。
母親が好きだったな、とナルは思う。ハンカチに刺繍されていたのを見ただけだが。
門のほうからジーンがやってくるのが見えた。ナルたちに気づいて大きく手を振っている。
ジーンは覚えているだろうか。
あのハンカチは……どうしたのだったか。
――ナル……
ふと、桜の風が懐かしい声を運んできたように思えて硬直した。
もちろん、耳の錯覚でしかないのだけれど。
「すごい桜だね！」
「――！」
ジーンの声に気づいたまどかが目を覚まし、次の瞬間「ごはん！」と叫んだ。
了
【レス小説】
2002.05.08
キリリクで頂いた碧さんのイラスト（桜の下のまどか）のレス小説です