ナル×麻衣／きりや様
『クリスマスの攻防』
１２月に入るなり街はもう本格的にクリスマスの時期を迎えた。いたるところのショウウィンドウにはさまざまに飾られたツリーが並び、クリスマスらしいラッピングのされたプレゼントも添えられる。ジングルベルなどクリスマスソングの定番が一日中流れ、それは人々の心を浮き立たせた。
「はー、もうクリスマスの時期なんですねぇ」
街中の雰囲気などお構い無しののんびりとした声が、麻衣の座るソファの隣から聞こえる。ふいと横を見れば安原は紅茶の入ったカップを両手で包んでいた。
「安原さん、そんな若者らしくない発言しないでくださいよ」
麻衣が笑って指摘すると、安原はカップを持って背中を丸めて見せた。
「ここでは２番目に年食ってますからね。ほら、そう考えると僕って年寄りでしょう？」
「あたしと２歳しか違わないじゃないですか。そんなんでは年寄りって言いません!!」
麻衣が笑って指摘すると、安原はそうでしたっけととぼける。
「まぁ、僕の年齢はさておいて。今年もクリスマスイヴには皆さんが集まられるんでしょうかねぇ」
先ほど口にしていた話題の続きを上げると、麻衣は、あぁ、と笑った。
「多分来ると思いますよ。この前綾子とぼーさんに今月のここの営業日を聞かれましたから」
クリスマスの日以外にも何か企みがあったのだろうか、特に綾子は麻衣に見せてもらった予定表をじっくりと眺めていたのだ。
「たぶんクリスマスの日にはケーキかなんか持ってきそうですよね」
麻衣は去年のことを思い出して小さく笑うと安原も同じように思い出したのだろう、同じようにくすりと笑った。
「その時期に調査依頼が入らないといいのですけどね。まぁ何はともあれ、このままいけばまた長い休憩時間になりそうですね」
意味ありげに安原が笑うと麻衣も同じように笑い、そうして今まで黙してカップを傾けていたリンに目を向ける。リンもその意味が分かったのだろうか、小さく笑って年下の上司を一瞥した。
ナルは依然としてファイルに目をやっていたが、眉が少し顰められている。二人の話を聞いて、必ず訪れるだろう騒ぎに既に嫌気がさしているのがありありと分かった。そのことに麻衣がつい声を出して笑うと小さく睨んでくるのだった。
ご飯作りに行くからね、そう宣言した麻衣は退社後ナルを連れて駅ビルに入っているデパートの地下に行った。時間も時間なので地下の食品街はこの日も混んでいた。人ごみを嫌うナルは厭そうに眉を顰めるが、麻衣がそんなことに構うはずはない。
夕飯に必要な食材を左手に持つかごの中に放り込んでいった。大体はナルの部屋に揃っているし互いに大食漢ではないからその中身は少ない。さっさと支払いを済ませると、今まで黙って後をついていたナルが食品を詰めた袋を持ち上げた。
麻衣には、このあたりがやはりナルもイギリス紳士なのだなぁと感心するところであるのだが、それを口にするような愚かな真似は決してしなかった。
上りエスカレーターに向かう途中、麻衣は通り過ぎたケーキのショーケースに眼を奪われてしまう。間近のクリスマスを意識していることが分かるものが数種並べられていたのだ。思わず足を止めてしまった麻衣に、先を行くナルが振り返る。
「食べたければ買えば？」
あまりにそっけない言いように麻衣はねめつけるが相手はどこ吹く風だ。ふと思いその変わらない表情に麻衣は笑いかける。
「食べたいって言ったら買ってくれる？」
「お前の食べる分だけを買うんならな」
ナルの慎重な言い回しは、過去に「ナルの分も買ったんだよ」といって麻衣にケーキを食べさせられたことに起因する。麻衣のこの強気な態度は、どう考えても一時期日本支部の所長を務めたまどかの影響があるとしか思えない。
「ほっほー。なら買ってね」
麻衣はナルの言うところの「上司に似た」笑顔を見せると、ショーケースを覗き込んだ。その様子に奥で様子を伺っていた店員が傍にやってくる。ミニノエルとサバランを頼むと、すぐ隣に来ていたナルが前言どおりに支払った。
してやったりといわんばかりに笑う麻衣がケーキの箱を持ち、彼らは漸く帰路に着くのだった。
在日外国人を対象としたナルのマンションに着くなり、麻衣は手際よく夕飯の支度を始める。綾子に料理を習っているから、最初はおぼつかなかった麻衣の手際も料理自体も上達していた。
一時間もかからずに作り終えると書斎に篭っていたナルを引きずり出す。ナルは相変わらず「上手い」とも「まずい」とも言わないが、こうしてご飯を作ることは最近の麻衣の自己満足になりつつあるから別に気にしていない。
やはり無言で食事を終え、お茶をリビングに運ぶと珍しくナルがまだソファにいた。
他人を意識しないナルに構ってもらおうという気は、すでに麻衣の中にはなくなっている。それに自分からナルに過剰に構うこともなくなっているから、彼が自ずから「殻」に篭らず麻衣の傍にいることは素直に嬉しいことだった。
「珍しいこともあるもんだね」
素直にそのことを告げると、それが気に入らなかったのかナルは小さく眉を顰めた。
英字新聞に目を落としたままのナルの目の前にカップを置き、麻衣はその隣に自分の分とそうしてケーキを並べた。２個ともに並んでいるのを見て、ナルは呆れたように溜息をついた。
「二つ食べるのか」
「うっさい。別にナルが食べるんじゃないんだから文句は言わないの!!」
麻衣は最初にカップに口をつけ喉を潤すと嬉しそうにフォークを手にした。そのにこにこ笑顔の前では食べられるケーキも本望というところだろう。
「んじゃ、いただきまーす」
麻衣は買ってくれたナルに向かっていうと、彼は「どうぞ」とだけ返事をくれた。返事をくれるということも珍しいなぁと思ったが、麻衣の意識はすぐにケーキに向かった。
最初にミニノエルにフォークをさして麻衣はそのクリームを味わった。
「んー、美味しい」
隣でナルが笑う気配がしたが、それ以上でもそれ以下でもない。あまりに予想通りの麻衣の反応に笑ってしまったのだろう。
「ねぇ、ナルはやっぱり、クリスマス、嫌？」
ふと思い、麻衣は隣を少し見上げて気になっていたことを尋ねる。
「みんなが来て騒ぐのって、あんた嫌いでしょ」
「嫌だといったら、当日は静かにしてくれるのか」
はらりと新聞を捲ってナルが聞き返す。しかしその答えは彼自身の中にある。短くはない付き合いの中で、あの事務所に集まる連中は揃いも揃ってナルの都合など気にかけるようなやつらではないことを身をもって知っていたから。
その考えを肯定するように麻衣は乾いた笑いを漏らす。気まずい雰囲気を誤魔化そうと、また一口ケーキを食べた。
ナルはそれを見て内心で溜息をつく。答えの分かりきっている質問などするものではないのだ。手間の無駄だと知っていても、連中相手なら時折応えてしまう自分にもあきれ返っていた。
もっとも、感化されたのか自分が丸くなったのか、そのあたりの判別は出来ないが。
「以前から皆さんが僕に構わず騒いでいましたからね、今更許可は必要じゃないのですか」
新聞から目を離してにっこりと笑顔で言うと、麻衣は非常に嫌そうな顔でナルを睨んだ。
「あんたって、本当、性格悪いよね」
「お褒めの言葉、ありがとうございます」
さらににっこりと笑まれてしまっては麻衣のストレスが溜まるだけ。この件に関しては決行しても構わないだろうと勝手に結論を出すと、麻衣はティーポットに作ってあった紅茶を己のカップに注いだ。
「そういえばさぁ」
麻衣は最後の一口を食べ終えて、ふと思いついたように言葉を漏らした。サバランには、今はまだ手を出さない。
「ナル、家に帰らないの？」
１２月の予定を聞いてからずっと思っていたことだ。クリスマスの時期にイギリスに帰らないのは例年のこととして、今年は年も日本で越すつもりなのだろか。
ナルはそれに少しだけ眉を顰める。
「今帰っても疲れるだけだ」
家に帰るだけならまだしも、それがSPR本部に知れるとどんな騒ぎになるか知ったものだ。本部にある資料は確かにナルの気を惹くけれど、新年のパーティに連れまわされるのだけは勘弁したいことであった。相手がパトロンだけならばまだ我慢も出来るが、それ以外からの招待も多いのが真実だ。
本当に資料が見たいのならば送ってもらうなり、時期を外して行っても良いのだ。わざわざ新年の時期に行って必要以上に見世物になる義理もない。
「でもねぇ」
麻衣はそれでも納得できないのか唸っている。
「あんたはそれでいいかもしれないけどさ。家族はどうするの？ ルエラさんとマーティンさんは待っているんじゃないの？」
年に数度しか帰ってこないただ一人の息子を、彼らは首を長くして待っているのではないのだろか。そう指摘してもナルは知らん顔だ。その変わらない表情を見て、麻衣はナルに両親への愛情は本当にあるのだろうかと疑ってしまった。
「どうせリンが僕の様子は話しているだろうから。それに帰るにしても新年には帰らない」
読み終えた新聞をざっとたたんでナルは言った。
「……まぁ、事務所開いていたほうがあたしも助かるけどさ」
ＳＰＲの破格のバイト代が生活の支えとなっている苦学生の麻衣にはそれは喜ぶべきこと。そのはずなのだが、なんだか素直に喜べないのはなぜだろうか。あまり深く考えるのも疲れたので、麻衣はケーキ皿に乗っているサバランをつつき始めた。
口に入れて思ったより洋酒が効いていたのか、麻衣は軽く眉を顰める。決して酒に弱いわけではないから、食べるその手を止めることはない。
「ねぇ、ナールー」
気のない呼びかけにナルが振り返ると、行儀悪くもフォークを咥えたまま麻衣が見上げてきていた。
「クリスマスにさ、何か欲しいものある？」
「……『プレゼントは相手の驚いた顔を見たいから中身は秘密にする』んじゃなかったのか？」
以前麻衣がナルに語った言葉をそらんじて見せると、麻衣は睨み付ける。
「あんたは驚かし甲斐がないからもういいの。だったら最初から欲しいもの聞いておいたほうがいいからね」
出会ってからの彼との付き合いで、ナルに人並みの期待を抱くことは諦めた。それは他のメンバーにもいえるのだろう、経験で学んでいったナルとの交際術には「期待」という字はない。
「欲しいもの、ね……」
「あまり高いものとかは要求しないように!!」
すでに意識はケーキに戻して麻衣は念のため釘をさす。毎回のことだからナルも分かっていると思うが、言ってしまったのは流れだ。
「ならば特に欲しいものはないけどね」
思ったとおりの答えが返ってきて麻衣は呆れ返った。こういうときばかりはもう少し物欲があってもいいのにと心の片隅で呟いてしまったのは仕方ないこと。とりあえずリクエストがなかった場合を考え手袋にしようかとは考えていたのだが。
どうしようかなぁと独り言を言っている麻衣を置いて、ナルは書斎へ移動するため立ち上がる。立ち上がったところでひとつ言うことを思い出したのか、少し躊躇うようにすぐ隣に座っていた麻衣を見おろす。
「……クリスマスの日は、どうする？」
簡潔に問いかければ麻衣が顔をあげた。隣に立つ背の高い男の顔を見上げながら瞬いた。そうして珍しくも彼のほうから問いかけてきたその意図に気付き、嬉しくもある内心の動揺を隠して彼女はにっこりと笑った。
「宿り木があっても、キスしなくていいんならね」
からかうように答えてやるとナルも麻衣の小さなイタズラ心に気づいたが、それ以上は口を開かなかった。珍しくも口に出した彼の誘いに、彼女が乗ってきたのは確かなのだから。
それでも麻衣の答えに苦笑すると、クリスマスの小さな約束に、ナルは身をかがめて麻衣の唇にそっとキスを落とすのだった。
了
2003.01.07
……きりや様のコメント……
私の書くナル麻衣って、どこかナルの立場が弱いというのか、踏み切れていません。
つーよか、妙に麻衣の方が強いのは私の好みゆえなのでしょうか（笑）