ハーマイオニー×スネイプ
『雨』
雨が降っていた――。
今日中に返さなくてはいけない本を思い出したのは、その本の題名に「雨」という言葉が入っていたからだった。夕食を終え、みんなと一緒に寮へ戻った私は、ひとり部屋に戻って本を手に図書館へ向かった。
雨は今朝からずっと降り続いている。
心なしか、先生方の顔も暗い。そして、みんながハリーの頭を言葉もなく撫でていく。ハリーは首をかしげていたが、私はそれで気づいてしまった。
今日は――。
言葉にすることは出来なくて、私はただハリーの悪戯を見ても目をつむってあげることしか出来なかった。
ハリーは知っているのだろうか。……たぶん、知らないのだろう。
図書館から出て、ふと外を見たら黒い人影が目に入った。
「……誰？」
私は窓に近づく。曇る窓ガラスを手で拭き、目を凝らした。
スネイプ先生だった。
傘も差さずに、先生は真っ直ぐに遠くを見ている。黒いマントは水を含んで重く、まるでそこに溶け込んでしまっているようだった。
……見てはいけなかったのかも知れない。
私は先生から目をそらし、寮に向かった。自然と足が小走りになり、今、目に焼きついたものを脳裏から払おうとする。でも、足が止まった。
――何をしようとしているの？
自分でもわからない。ただ――先生が泣いているように思えて――。
ひとりで泣いているように思えて――。
「先生……。濡れてしまいますよ」
傘を持ち、先生の背後に立った。反応はしばらくなく、私が腕を伸ばして傘を先生の頭上に持っていき、雨が当たらなくなってからようやく気づいたみたいだった。
「……ミス……グレンジャー」
先生の目に疑問符が浮かんでいた。
「何の用だ」
「……」
用、と言われても困ってしまう。私が黙ったままなので、先生は自分で勝手に解釈したようだった。
「用がないのであれば行きたまえ」
「濡れてしまいます……」
もう濡れているけれど。
「……行きたまえ」
「……はい」
私は傘を先生にグイッと押し付けて、そのまま踵を返した。
「グレンジャー！」
先生が鋭い声で私を呼んだ。
怖くてビクッと震えて立ち止まった私に近づくと、先生は私の手首を取って、そのまま引きずるように屋根のあるところまで連れて行った。
「す、すみません……」
私は頭を下げた。
きっと、よけいなことをしてしまったのだ。傘のことにしても、いつもおせっかいが過ぎるとみんなが言う。――減点されたらどうしよう。
「傘を貸すつもりならば、自分の分も用意しておくことだ」
先生は傘についている水滴を一瞬で弾き飛ばすと、傘を閉じて私に手渡した。
「ついて来なさい」
私が先生を見上げると、先生は重いマントを身につけたままズンズンと歩いて行ってしまう。私は呆然とそれを見つめた。先生は立ち止まると、振り返って不快げに眉をひそめた。
「グレンジャー、聞こえなかったのか」
「は！ はい！！」
私は先生の後を追った。
先生はそのまま魔法薬学教室の隣にある準備室に入って行った。入り口のドアを開け、先生がそのままなので、私はドキドキしながら先生の腕の下を通った。地下にある教室に入ったことは何度もあるけれど、準備室に入るのは初めてだ。
想像していたよりも温かな光がそこにはあった。大量の資料と本と、乾燥した薬草、薬品、貴重な素材が多くあった。どれも綺麗に並べられている。綺麗好きなのか……几帳面なのかもしれない。
机には、学会から送られてきたばかりと思われる報告書が広げられていた。大きな机と、座りごこちのよさそうな椅子。
先生は重いマントを脱ぐと、そのままハンガーにかけて窓際にかける。滴る水が床に水溜りを作っていた。
先生はどこからかタオルを持ってきて、私の頭にかけた。
「どこでもいいから座りなさい」
「はい」
私はソファーに腰をおろす。頭にタオルをかけたまま、私はテーブルの上に置いてあった本を手にとった。持ち出し厳禁の文字がある。
私が開こうとすると、スネイプ先生が私の名を呼んだ。
「ハーマイオニー・グレンジャー、減点がほしいのかね」
「……」
私はそっと本を戻した。
先生が少し笑ったように思えたのは気のせいだろうか。先生は紅茶を私の目の前に出した。
「持ち出し厳禁の本を持ち出したことを黙っていてくれるのであれば１点やろう」
私はくすりと笑った。紅茶を受け取り、右手を上げて誓う。
「黙っています」
「グリフィンドールに１点」
くすくすと私は笑った。
「１点の差でグリフィンドールが優勝したらどうしましょう」
先生が複雑な顔をして、私はまた笑う。
「それ以上笑うと、減点だぞ。ハーマイオニー・グレンジャー」
「はい」
私は顔を引き締めた。それでも、なんだか先生の憮然とした顔が今までのように怖くは感じなかった。
先生は自分の分の紅茶を持って、向かいのソファーに腰をおろす。
「先生、まだ濡れていますよ」
「ああ……、別にいい」
「頭も……」
雨で濡れた先生の髪は真っ直ぐになっている。なんだか別人みたいで不思議な感じだ。
「そうだ！」
私が叫ぶと、先生はビクッと身をすくめた。
「先生！ 頭、乾かしましょう！」
「？？」
先生は何を言われたのか分からないといった表情で私を見た。
「確か授業で使うドライヤーが……」
私は立ちあがると、この準備室とは別の道具室に向かう。ドライヤーを持ってくると、準備室の入り口で私を見ていた先生にドライヤーを見せて笑った。
「櫛はお持ちですか？」
「くし……？ いや……」
何が起こっているのか分からないという表情の先生に私は笑い、ポケットに入れてあった櫛を取り出した。
「先生、ここに座ってください！」
ソファーをぽんぽんと私は叩く。先生が何かを言う前にどんどんと強引に話を進めていく。――そう。それがコツなのかも。
先生がソファーに座るまで、私はコンセントを探す。差し込んで立ち上がると、先生が大人しく座っていた。なんだかすごくかわいくて、声には出さずに笑ってしまう。
「先生の髪って真っ黒ですね」
私は自分の頭にあったタオルをスネイプ先生の頭にかけて、ごしごしと髪をふき取った。
「グレンジャー！」
先生の焦った声。
「黙ってください！ 今、乾かしているんですから」
「……」
「先生こそ、このままでは風邪を引いてしまいます」
「べつにこのままでも……」
「よくないです！ だって、先生が風邪を引いて喜ぶのって誰だと思います？」
「……」
先生が黙り込んだ。
私はくすくすと笑った。先生がますます憮然とした表情となったのは背後からでも分かる。
「そのときはポッターが悲鳴をあげて許しを請うくらいの宿題を出してやる」
「楽しみにしてます。そのときはドラコ・マルフォイの悲鳴も聞こえるかもしれませんね」
「……」
「もちろん、先生のこと、贔屓なんてしないでしょうし……」
「……」
――勝った！
内心で私はガッツポーズ。
髪の水気を取り、櫛でとかし始める。真っ直ぐになった先生の髪。私はドライヤーを使いながら丁寧に髪の毛を乾かしていった。
「……前にも……」
先生がポツリとつぶやいた。
「前にも同じことを私にした者がいる」
私はドライヤーを切った。
「……生徒ですか？」
「……生徒だ。最も、私も生徒だったころだが」
先生が、またあの雨の中のような表情になったのが分かった。
今日は――。
ハリーの両親が殺された日だ。
「名前は……？」
「……」
先生は答えてくれなかった。
私は再びドライヤーをつけて先生の髪を乾かしはじめる。
それっきり、先生は何も言ってくれなくて、私も聞くのがためらわれて、ただ先生の髪をやさしく梳いた。
「出来ました」
真っ直ぐになった先生の髪。サラサラと揺れて、天使の輪も出来ている。いつもこうしていたらいいのに……。
先生は「ありがとう」とは言ってくれなくて。ただ、もう戻るようにと言った。
「失礼します――紅茶、ありがとうございました」
準備室を出る直前――。
目を閉じていた先生が、膝に肘をつき、顔を覆ったのが見えた――。
二日後にはいつものスネイプ先生の髪に戻っていたけれど。
スリザリン寮でスネイプ先生の髪の毛を見たか見ないかという噂が流れているのを知った私は、少しだけ秘密を持ったような気がして嬉しくなるのだった。
了
2002.07.03