ドラコ×ハーマイオニー
『飴』
授業が終り、生徒はとっくに教室を出ている。残っているのはビンセント・クラッブとグレゴリー・ゴイル、そして僕――ドラコ・マルフォイだけだった。補習で残っている二人に付き合っていられない、と教室を出てしばらく、ガタ――という額がずれた物音に足を止めた。
ホグワーツには１４２もの階段がある。特に厄介なのが教室へ向かう階段だ。動く階段は当たり前、毎日が同じ道を通って教室にいけるということは一度としてない。扉や肖像画も多いが、その肖像の中の人物でさえ動き回る。最初は彼らが出した音かと思ったのだが。
「……？」
階段の縁から周囲を見下ろせば、肖像画の前で１人の少女がうずくまっていた。
すぐ下の階段だ。
栗色の髪。小柄だ――下級生だろうか。
何か、探し物をしているようにも見えた。だが、少女は勢いをつけて立ち上がったかと思うと、すぐにふらついて階段の手すりにもたれかかる。あと一歩、足がずれていたら階段から落ちていたに違いない。
「オイ――？」
思わず冷やりとし、柵から身を乗り出した。
少女は熱い息を吐き、頭をもたげた。具合が悪いのだ――すぐに判断すると、駆け寄って、再びよろめいた少女をその腕で支えた。
「大丈夫か」
「あ……ありがとうございます」
その声で、少女が誰であったのかを知った。
「ハーマイオニー・グレンジャー……」
「え？」
思わず舌打ちしそうになった。
彼女はハリー・ポッターや赤毛のウィーズリーとともにいつも行動している――その親しさは、同じ学年や同じ寮というだけではない。
――もしも彼女だと知っていたら、具合が悪いとわかっていても声はかけなかっただろう。
「だれ……？」
うつむき、目が重くて開けられないのか、グレンジャーは僕に気付かなかった。それは僕にとっても都合のいいことだったが。
「だれでもない。黙っていろ」
その言葉づかいに自分でも軽い嫌悪を覚えたが、グレンジャーはそのまま素直に頷いた。
「すみませんが、マグル学の授業があるんです。そこまで送っていただけませんか」
……はあ！？
「何を言っている」
ひどくイラつく。
よりにもよって、付近には他の生徒がひとりもいなかった。最後の授業を受けない者はすでに帰ってしまっているし、その授業さえすでに始まっている時刻だ。
仕方がない、と彼女を支えなおした。
「医務室に連れて行く」
「でも授業に出なくちゃ……無断欠席なんて――」
「黙れ」
「――でも」
まだ言うか！ なんでこいつは……、人がめずらしく親切で言っているというのに！
「僕が――あとでちゃんと伝えておく。だから大人しく医務室に行ってくれないか」
彼女は熱い息を吐いたまましばらく黙っていたが、ようやく結論が出たのか、静かに頷く仕草を見せた。
「お願いします……」
「よし」
最初から素直にうなずけばいいんだ。馬鹿が。
グレンジャーの腕を肩にかけ、彼女の腰を支えると、一緒に階段を下りはじめた。動く階段では声をかけ、タイミングを取って移動しないと最下層にまで落ちてしまう。
医務室まで行く途中でグリフィンドール生か女子に出会ったら交代するつもりだったが、こういうときに限って誰も現れない。スリザリンとは宿敵のグリフィンドールの者に親切にする――それとは別の不思議な感情に苛立っていると、結局医務室の前まで来てしまう。
彼女の重みで腕がもげそうだ。
やっと医務室につき、ドアを叩くが返答がない。
「マダム・ポンフリー？」
戸を開け、中を覗くと舌打ちが漏れた。
「いない……！」
僕は、ほとんど意識を失いかけている――重い身体を寝台に腰掛けさせ、ゆっくりと横にさせた。
額に手を当てれば、すごい熱だ。
「いま先生を呼んで来るから待ってろ」
「あ――あの――」
「なんだ」
「ありがとうございました……」
「……」
ぺこりと頭をさげるようにグレンジャーが顎を動かした。くしゃくしゃの髪が柔らかく揺れる。
ふん、と鼻を鳴らし、僕はカーテンを勢いよく閉めた。
――ありがとうございました？ きっとその助けてくれたのがドラコ・マルフォイだと知ったなら、そんなに殊勝な言葉はでてこなかったにちがいない。
僕はマダム・ポンフリーを探し、「医務室に急病人がいるみたいです」と伝えると、そのまま寮に戻った。
グレンジャーにはマグル学の授業に彼女が欠席することを伝えると言ったが、もちろん伝えない。
そこまでする義務はない。
腕には痺れと、通常よりも高い体温の記憶だけが残った。
そして、三日後。
「ハーマイオニー・グレンジャー……」
回廊から外を見た僕は彼女を見つけて溜め息をついた。
「今度は何なんだ……」
周囲を見回すが、また誰もいない。
グレンジャーは左手で顔を隠し、右手を前にさまよわせながら歩いていた。
具合が悪いというわけではないようだが、とにかく様子が変だ。
昨日まで、食堂や授業にも姿を見せなかった彼女は、今日は授業にも出て、元気に挙手してはよどみなく発言してグリフィンドールの点数を地道に上げていた。
すっかり良くなったらしい、と思ったのだが。
「ポッターはなにしている」
いつもつるんで歩いているくせに、ハリー・ポッターもロナルド・ウィーズリーもこういうときにかぎって彼女のそばにいないのだから頭にくる。
おそらく森の番人の所に行くつもりなのだろうが、その足先は禁じられた森に向かっている。
「くそっ」
――なんで僕が――なんで僕が――なんで僕が……！
「ハーマイオニー・グレンジャー！」
森に入る寸前でその腕を取った。
「え――！？」
「死にたいのなら止めないが！？」
「え？ その声、マルフォイ？」
「今度はちゃんとわかるらしいな」
「え？？」
「なんでもない」
グレンジャーは目をぎゅっと瞑ったままだ。そのまま軽く首をかしげた。
「死にたいってなに？」
「――ハグリッドはいないぞ。ダンブルドア校長と歩いているのを見た」
「あ――ああ、そう。ありがとう」
「……」
彼女の腕を握ったままだったことに気づき、慌てて手を離した。
「眩暈でもするのか？」
「……え？ ああ、違うの。なんだか目に何か入ってしまったみたい。痛くて開けられないのよ。へたにこすらないほうがいいかな、って」
人に助けを求めるということを知らないのか、こいつは。
「それは懸命な判断だな。それで禁じられた森で迷子になろうというわけだ」
くすり、と彼女が笑った。
「相変わらず、イヤミな言い方ね」
「ポッターはどうした」
「クィディッチの練習」
「……赤毛もか」
「赤毛もよ」
何がおかしいのか、やはり小さく彼女は笑う。
溜め息が漏れた。
「目を見――」
せてみろ、と言おうとして、慌てて言葉を飲み込んだ。そんなところを誰かに見られでもしたら誤解されかねない。
「医務室に1人で行けるか」
「ええ、大丈夫だと思うわ。ありがとう」
「――」
ありがとう、という言い方が、感謝しての言葉ではなく、早く行ってよ、という意味に聞こえてしまう。
ふと、自分の右手に栗色の髪の毛が一本巻き付いているのに気付いた。先ほど彼女の腕を取ったときに絡んで抜けてしまったのだろう。長く波打つ毛を取り、風に流した。
ふわふわの、触ると気持ちよさそうな髪の毛だ。
「クリスマスパーティーの時――」
「え？」
「髪がまっすぐだったな」
「ええ」
歯を見せて、グレンジャーは大きく笑う。その楽しげな笑みに僕がひどく驚いたことを彼女は知らない。
「ストレートアイロンをかけたの。大変だったのよ。時間がかかって。――いいわね、あなたはストレートのきれいな髪だから」
「……純血だからだ」
「ふふ。そうかもね」
グレンジャーはふだん見せることのない顔で柔らかく笑う。
ポッターやウィーズリーにはいつもこういう笑顔を見せているのだろうか――。
僕は一瞬彼女の髪に手を伸ばしかけ――慌てて手を引いた。
「…………」
自分でも上手く理解できない感情に苛立ちを覚え、彼女の手首を取って歩き出した。
「マルフォイ！？」
「医務室まで連れて行くだけだ」
「あ――ありがとう」
「ふん！」
「この前も！」
「――」
僕は立ち止まった。
「何のことだ」
自然と声が低くなる。
「三日前」
「…………気付いていたのか」
「あら、違うわよ。欠席のことを伝えてくれるって言ったのに、忘れたひどい人は誰なんだろうって調べただけ」
「……」
「あの時間はもう授業が始まっていたでしょう？ ということは、遅刻して通りかかったというわけじゃなければ、その前の授業で残っていた生徒ということ。その時間の教室を探して、各先生に聞いたの。あの授業で居残っていた生徒はいますかって。返ってきた答えは３人」
「憎きドラコ・マルフォイとその一味というわけか。嫌な女だ」
「褒められたと思っておくわ。そういえば、今もお供の二人がいないみたいだけど……？」
「補習にまで付き合っている義務はない」
なるほど、と彼女は肩をすくめた。
「でも、あなた頭がいいんだから、少しくらいコツでも教えてあげたら？ 友達でしょう」
「僕の頭がいい？ グレンジャーの口からそんな言葉が聞けるとは思ってもみなかったよ」
「あら、実際にそうじゃない」
「……」
「クラッブとゴイルだって、慕っている人に置いてけぼりなんて悲しいと思うけど」
「あいつらにそんな感情などあるものか」
「あらそう？ なら、私を医務室に届けた後、二人のところに行ってごらんなさいよ」
「……」
僕は無言で歩き続けた。彼女も特に話し掛けては来ない。彼女の手首の細さをなぜこんなに意識してしまうのだろう。
自分の体温が――鼓動が彼女に伝わらなければいいけれど。
先日とは違って、医務室にはマダム・ポンフリーがいた。僕たちが入ると、意外な組み合わせに驚いたようだが、グレンジャーの説明を聞き、僕を見るマダム・ポンフリーの目は優しかった。もしかすると、三日前のことも気付いてしまったのかも知れない、とドキリとした。
マダム・ポンフリーが笑う。
「スリザリンに５点あげましょう」
僕は軽く目を見張った。
「……あ。ありがとうございます」
頬が紅潮するのがわかった。改めて、らしくない行為をしてしまった、と思った。
「マルフォイ！」
医務室を出ようとする僕をグレンジャーが呼び止めた。無視して出ようかと思ったが、マダム・ポンフリーがいるのでそれもできない。黙って立ち止まって彼女を見ると、グレンジャーはポケットから何かを取り出し、右手のこぶしを前に差し出した。
「これ、あげるわ」
「なにを」
「いいから」
「……」
彼女に近づき、差し出された手の下に右手を置いた。目をつむったままの彼女にそれがわかるように、親指で軽く触れる。
ポト、と落ちてきたのは飴。
「二人の所に行くんでしょう？」
「……」
「行くわよね？」
「…………」
「マルフォイ」
「……ああ」
「うん」
満足そうにグレンジャーが笑う。
――どうして、こういう風に笑うんだ。
「つれてきてくれてありがとう。それ、二人にもあげてね」
飴の数は三つ。数えないということは、最初からポケットの中には三つしか入っていなかったのだ。きっと、ポッターとウィーズリーと自分で食べる分――。
それだけのことが、なぜか腹立たしかった。
「失礼します」
僕はマダム・ポンフリーに礼をして医務室を出た。
教室では、ビンセントとグレゴリーが机に伏せていた。すでにやる気無しの状態だ。
「まだ終わらないのか？」
背後から声をかけると、二人は驚いたように飛び起きた。
「ドラコ！？」
「まだ終わらないのかと聞いている」
「あ、ああ、うん、おなかがすいてて」
「あともう少し……なんだけど」
あともう少しどころか、僕が教室を出たときからページはまったく進んでいなかった。おどおどと言い訳をはじめる二人に溜め息をつき、彼らに向かって手を差し出した。
「……？」
「なに？」
「手を出せ」
肉太の大きな手をあわせて受け皿を作る二人の手に、先ほどの飴を落とした。
二人が叫んだ。
「飴だ！」
「くれるの！？」
「待っていてやるから、早く終わらせろ」
「うん！」
二人の顔が輝く。
――その笑みが、飴をもらって嬉しかったからなのか、自分が戻ってきてくれたことが嬉しかったのか、僕には判断できない。
手元に残った飴を口に運び、教卓につく。そのまま、二人の補習を待ち続けた。
手元に残るのは、飴の包み紙。
それを平らに伸ばし、――しばらく見つめたあとポケットにしまった。
了
2003/01/14、2003.10,10改稿