スネイプ×ハーマイオニー（セブルス×リリー）
『なぜ』
そのことに気づいたのはいつからだろう。
ハーマイオニー・グレンジャー。
彼女を見ると、記憶の奥にしまったものが呼び起こされて不快な気持ちになる。
まっすぐな心。はきはきとした話し方。交友関係。魔術への姿勢。成績。生まれ。
そのすべてが重なり合って、ひとりの女性の姿をとるのだ。
彼女の髪が赤ければ――。
彼女の瞳が緑ならば――。
そう思ってしまう一瞬、私は確実に言葉を失って彼女を見つめてしまう。しかも、彼女から目をそらせば、求める瞳の色はいつも隣にいる人物が持っていた。緑色の――確かにその身に彼女の血が流れるのだと、その輝きが証明する。そして、さらに隣には求める髪の色をもつ人物までいるのだ。
不快にならないはずがない。
緑の目の子供――ハリー・ポッターが両親を失った後、愛情のある家庭で育ってはいないことを私は知っている。
だが、両親や母親の愛情を知らずに育った子供は彼だけではない。
ハリーの隣で少女が笑う。
失ったものが、すぐ隣にあるということに――なぜ気付かない。
ネビル・ロングボトムはそれに気付いているぞ。
得たくても得られないものは多い。
技術、才能、機知、能力……それを天から与えられる者は本当に少ない。だが、逆にすべてを与えられる人物もいるのだ。
心・技・体――すべてがそろい、与えられるものを当たり前のように、自然に受け入れてしまう人物をひとり知っていた。
人の憧憬には気づかない。
人の嫉妬にも気づかない。
ハリー・ポッターは、その血を継いでいる。
それに、本人が気づかないだけ。
欠けているのは……心だけ。
たったひとつだけ欲しいと思ったものがある。
自分にのみ向けられる笑み――言葉。
その存在。
今では、失われてしまったもの――。
永遠に――。
私の手には入らないもの――。
※
私を見る先生は、いつも呼吸を止める。それはほんの一瞬。私が瞬きをすると消える視線。
私は知っている。先生の目は私を見ていて――そして、「私」を見ていないことを。
いつも、舌打ちしそうな感情をのぞかせるが、その苛立ちの原因が私にはわからない。
私たちは先生に嫌われているのだとずっと思っていた。
でも、ハリーは気付かない。
先生の行動、そのすべてがハリーを守る、その一点に集中していることを。
嫌いな態度などいくらでも見せよう。でも、ハリーの身に何か起こりそうなとき――起こったとき――先生はいつもいる。あとで気付く――それが警告であったことに。
先生はハリーを守っている。
もしかすると自分では気付いていないのかもしれない。
過去に囚われた先生。
過去を失った先生。
先生が本当の感情を覗かせることは少なくて、でも、一部の生徒には確かに慕われているのだと――その意外な思いは、真実に気づけば気付くほど納得のできるもので。
――不器用なのだ。
はてしなく。
ねえ――。
ねえ、私の中に――誰を見ているの？
※
「スネイプ先生」
授業が終わり、生徒は全員退出したと思っていたのだろうか、いきなり話しかけられて、先生は驚いた表情を浮かべた。
「――なんだ、ミス・グレンジャー」
「私って、誰かに似ていますか？」
「――」
直球すぎただろうか。
先生の目がまっすぐに私を見て、そしていつもみたいに、私の中に誰かを見る。
そらされた視線。
「なぜ――そんなことを聞く」
「……なんとなく、です」
「くだらない質問だな」
「ハリーの――お母さんに似ていますか？」
先生は、本当に言葉を失った。
「なぜそんなことを聞く」
私を見る先生の目はとても怖い。そこには、確かな怒りがあった。
「ハグリッド――ハグリッド先生が、似ている、と」
「……」
先生は視線を下げ、広がっている教材を集めはじめる。
「用がないのであれば行きたまえ」
「……」
「次の授業に遅れるぞ、ハーマイオニー・グレンジャー！」
「は、はい！」
私は教科書を胸に強く抱くと、そのまま踵を返した。
顔に血が上る。
なぜ――あんなことを聞いてしまったのだろう。
恥ずかしさと、締め付けられる胸の痛みに泣きそうになる。
「ハーマイオニー・グレンジャー」
教室を出る直前、先生の声が私を呼び止めた。
「カエルは好きか」
「……は？」
先生の質問の意味がわからなかった。
「蜘蛛は好きか」
「…………え？」
「虫が、好きか」
「……」
疑問符がいくつも頭に浮かぶ。先生は何が言いたいのだろう。
「あまり……好きではありません」
「では似ていない。ハリー・ポッターの母親はハグリッドと気が合うくらい、そういったものが好きだった」
「首席だったと……」
「ああ。だが、右手に蜘蛛、左手に蝦蟇をつかんで笑えるような女だ」
「…………それは……」
「似ていない」
そういえば、ロンからハリーが禁じられた森で蜘蛛の巣に向かったときも、ぜんぜん平気そうだったと聞いたことがある。
よけいなことを言ってしまった、という顔で先生が口を曲げた。
「行け」
「は！ はいっ」
私は自分の胸に湧き上がる感情に、笑みを浮かべてしまったんじゃないだろうか。
「失礼しますっ」
声が――思わず弾んでしまった。
※
ハーマイオニー・グレンジャーを見送って、私は疲れたように椅子に身を落とした。
なぜ――似ていないなどと？
リーマス・ルーピンが人狼であったことに気付いても黙っていた。普通に付き合っていた――。
それがどんなにすごいことなのか、彼女は知っているのだろうか。
彼女も――リリーもまた、そのひとりだった。しかも、彼女は最初から知っていたのだ。
親友のジェームズ・ポッターたちがその秘密に気付く前に。
私が――怪我をする前に、リーマス・ルーピンが狼人間であることを知っていたのだ。
彼女はいつから知っていたのだろう。
いつ、知ったのだろう。
彼女が知っていることを、誰も知らない。知らないまま彼女はこの世を去った。
リーマス・ルーピンは、今でも知らない。彼女が――、いつも隣で笑っていたリリーが、彼の正体を知っていたことを。
脱狼薬――それを作ったのがリリーであることを。
暴れ柳を抜けて、秘密の屋敷で狼に変わるリーマス・ルーピンを見た。
どうやって助けられたのか――。
ジェームズ・ポッターの声だけが耳に残る。
記憶の断片。
そして、深夜。
医務室に――彼女は来たのだ。
当然、私はリーマスのことを口止めされていた。だが、話し掛けてきたのは彼女だったのだ。
「知ってしまったのね」
その言葉の驚きがわかるだろうか。
彼女は、私がリーマス・ルーピンの秘密を知ったとわかると、知識と協力を求めてきたのだ。
脱狼薬を作る技術は、闇の魔術に近く、自分ひとりでは限界がある、と。
見せられた研究内容に私は驚いた。
蛇や蜘蛛、虫、動物。それらは、脱狼薬を作るための研究に必要なもの。扱い慣れていて当たり前だったのだ。
脱狼薬は魔法薬だ。高度で微妙な調合と同時に、魔法呪文をかけて薬品を変化させなければいけない。簡単に行えるものではないのだ。
もっとも、私が秘密を知らなければ彼女は最後までひとりで作り上げてしまったかも知れない。
「お願い、手伝って――」
彼女の真剣な瞳を――声を、忘れることは一生ない。
彼を助けたいのだという彼女の思いに胸を打たれたからじゃない。
それはポッターやブラックたちにさえ秘密だということを知ったから。
だから、協力した。
脱狼薬――そのオリジナルは、本当はとてつもなく甘い。だが、そのことを知っているのは私だけだ。
それは、リリーが彼のために作ったから。
彼女の死後、正式に認められ薬に、その飲みやすさはない。
闇の魔術に近いその精製。だから、その技術が世間に広まることはない。作ることの出来る者は限られていて、その彼らが狼人間の「飲みやすさ」にまで気を使うはずもなく。
それくらいの意地悪は許される――。
ホグワーツに教師としてリーマス・ルーピンが来たときに、私はハーマイオニー・グレンジャーを試してみたくなった。
狼人間だと知っても普通に彼と接することが出来るだろうか。
先生、と呼び親しげに声をかけ、楽しそうに笑えるだろうか。
――その答えは、すぐに出た。
「似ていない？」
とんでもない。
なにから何まで重なる。そのことに気付き、私は混乱した。
彼女を試した意味――。
それは危険な賭けではなく、確信だった――。
変わらないことを知っていた――？
私は――自分で何をしたいのだろうか。
ハーマイオニー・グレンジャーがリリー・エバンズと似ているからなんだというのだろう。
ハリー・ポッターに笑いかける――そのことに、なぜ苛立つのだろう。
なぜ――気がつくと、彼女を目で追ってしまうのだろう。
わからない。
その感情の名前を、認めたくない。
なぜ――彼女は私の前に現れたのだろう。
「リリー」
彼女に似た――。
だが、彼女とは違う少女。
二度と――求めてはいけないと心が警告する。
欲しがってはいけない。
私は顔を覆う。
自分がどういう表情をしているのか――。
彼女は――私のものには、ならないのだから――。
了
2003.01.31