シリアス（セブルス×リリー）
『守人』
赤子が泣いている。
黒髪に、緑の目の子供だ。
大きなオムツに支えられるようにペタリと座り、豪快に泣いている。周囲のおもちゃが浮いては跳び、勝手に動いている。
子供はずっと泣いていて。
泣いて泣いて――ずっと泣いて、すると、慌てたように白い手がのびてきて、その子供を抱き上げた。
母親に抱き上げられた子供はピタリと泣き止んだ。ぐずってはいるが、安心したように母親の服をつかみ、胸に頬をつけて嬉しそうに笑う。
「ハリー」
愛しげにその名を口にする女性は、子供の額に口づけた。緑の慈愛に満ちた優しい瞳。そこにあるのは子供に対する愛情。
その目が、こちらに向いた。
「ジェームズ！」
声は聞こえないが、彼女の口がそう動く。眉を上げ、怒っている。
「もう！ 面白がって！」
彼女が近づいてくる。
白い手が伸ばされ――。
カメラを取り上げたところで一瞬暗くなった。
写真は、それを繰り返す。
リリー・エバンズ・ポッターから届いた、一枚の写真。
闇の勢力と戦っている彼らが世間から姿を隠して行方が知れない最中――マグルの、普通の郵便によってもたらされた手紙。
そこには一枚の紙と写真が同封されていた。
「また――その写真を見ているのかね、セブルス」
ダンブルドアの静かな声が響いた。魔法薬学の準備室には鍵をかけていたのだが、この校長はその意味をわかっていないらしい。
私は無視した。
だが、そんな私の態度もダンブルドアは気にしない。いつものように応接のソファーに座った。
「リリーは、よほどそなたを信頼していたのだな」
「……」
私は写真を見つめた。
――信頼？
今でもわからない。
リリーの願い。
自分たちが亡くなった時にだけ発生する、契約。
写真とともに入れられていた手紙には「この紙を捨てないで」という文字だけが書いてあり――、その文字は彼女の死とともに言葉を変えた。
それに気づいたのは、彼女の死のずっと後のことだったけれど。
それは、誰にも知らせることのない、本当に秘密の願いだった。
私は写真を伏せた。
「何か？」
「ああ、闇の防衛術の新しい先生のことじゃ。リーマスを呼ぶことにしたよ」
「――！？」
「驚いたかね」
私は立ち上がった。湧き上がる感情に全身の血がざわめく。
「反対です！」
「なぜかな」
「なぜ！？ 彼は人狼ですぞ！」
「だが、優秀な教師だ」
「教師！？ 人に教えたこともない者が教師！？ 教える資格もない者が教師！？」
「言い直そう。優秀な教師になるだろう」
「――」
「明日には知れると思うが――シリウス・ブラックがアズカバンを脱走した」
「な――」
その衝撃は計り知れなくて、私は本当に言葉を失った。その事実を先に知ることが出来たことを、後々までずっと感謝することになる。でなければ、人前でそれを知ったとき、感情を隠すことは出来なかっただろう。
「ハリーは大丈夫じゃ。あの一家の元にいるかぎりはの。……ここでハリーを守るには限界がある。少しでも多くあの子を守る者が欲しいのじゃ」
「……」
「セブルス」
ダンブルドアは立ち上がった。
「そなたは表立って守ろうとはせんしの。……リーマスのために脱狼薬も頼むぞ」
ダンブルドアを見送り、私は、机の上に置かれたままの手紙を手にとった。
それは一枚の契約書。
それも、一方的な――。彼女の死とともに発動した契約。
笑わせてくれる。
リリーは、何を考えているのだろう。
何を考えて――この手紙を残したのだろう。
誰が敵で誰が味方なのかもわからない、猜疑に満ちたあのときに――。
「私が、秘密の守人だと……」
それなら――。
それならば。
「それならば！ 最初から秘密の守人にすればよかったのだ！」
私は手紙に拳を下ろした。
ダン！ と、まるでホグワーツ全体に響くような音をさせて机が軋んだ。空気の振動はしばらく止まず、写真が机から落ちる。
何度も握りつぶしたその手紙はくしゃくしゃで、中にある文字はすでに読めない。
「最初から……守人にしていれば……っ」
声が震えた。
そんなことは不可能だとわかっている。彼らが選んだのは自分ではないし、守人の選択に私を入れるはずもない。それに、もし頼まれたとしても私のほうが拒否しただろう。
私はしびれる拳を眉間に当てた。噛みしめた唇が切れ、口の中に鉄の味が広がる。
「リリー……」
彼女を失って後――、秘密の守人になって何の意味がある。
私は床に落ちた写真を見つめた。
赤子が泣いている。
黒髪に、緑の目の子供だ。
子供はずっと泣いていて。
泣いて泣いて――ずっと泣いて、すると、慌てたように白い手がのびてきて、その子供を抱き上げた。
優しい瞳が子供を見つめる。その目が、こちらに向いた。
「ジェームズ！」
声は聞こえないが、彼女の口がそう動く。眉を上げ、怒っている。
怒ってはいるが――そこには笑みも含まれていて。
写真に残る、永遠。
「ひどい女だ……」
私は笑う。
残酷で。
一方的で。
私の気持ちなど考えもしない。
「……ひどい女だ……」
彼女が子供の額に口付ける。未来――そこに稲妻の傷がつくことを彼女は知らない。
そこに残る、思い。
ホグワーツに雨が降る。
城を守るように、それは降り続き湖になる。
新しい年の始まりを意味する、それは新たな結界。
そして、新学期。あの時代をともにすごした者たちが集まる。
失われた存在は大きく、互いにその穴をふさぐことが出来ぬまま――私たちは再び出会う。
「シリウス・ブラック……リーマス・ルーピン……」
そして――。
もうひとり。
了
2003.02.02