ドラコ×ハーマイオニー
『バレンタイン』
２月１４日。
バレンタインというのは男性から女性にプレゼントをあげるものだが、アジアの日本という国では、女性から好きな男性にチョコレートをあげるという。本命、義理、感謝、女友達で交換する友チョコなるものもあり、さらにチョコレートは好き、マシュマロだったら嫌い、などという隠れた意味もあるらしい。
そして、ひと月後の３月１４日、今度は男性からチョコレートのお返しをしなくてはならないのだ。
ホグワーツで、その方式が取り入れられたのがいつかはわからない。すでに入学したときからその伝統はあり、結果、冬になるとホグズミードのハニードゥークスではチョコレートが大量に仕入れられることになる。
２月１３日。
「今年も楽しみだねえ」
「どれくらいもらえるんだろう」
ビンセント・クラッブとグレゴリー・ゴイルが嬉しそうに笑う。
「ねえ、ドラコ。今年はどれくらいもらえるんだろう」
「５０個くらいもらえるかな」
二人の視線が僕に集まった。
「さあね」
僕は鼻を鳴らす。ビンセントとグレゴリーがチョコをもらうわけじゃない。二人が期待しているのは、僕がもらうチョコレートなのだ。
５０個のチョコレート？ ふざけるな、と僕は思う。食べるのはすべて二人、そして、お返しをしなければならないのは僕なのだ。僕が金持ちだからといって、金が無限に沸いて出てくるとでも思っているのだろうか。
「チョコレートケーキがいいなあ」
「チョコの詰め合わせもいいよね」
「ゴディバとか」
「うんうん」
談話室では女たちに混じってビンセントとグレゴリーもチョコレートの話に花が咲く。
お前たちはマシュマロでも食ってろ、そう思いながら、ソファーから身を起こした。
「ドラコ？」
「トイレ？ 僕も行く」
「僕も」
「行きたいならひとりで行け」
言い放ち、もたもたとしている二人を置いてさっさと談話室を出た。さらにスリザリンの入り口である肖像画を通り、寮を出た。
「なぜスリザリンは地下にあるんだ……」
蛇といえば地下――そういうことなのだろうけれど。
冬は暖かいからいいけれど、朝、目がさめて朝日が見えないというのは健康に悪い。スリザリン寮全体の雰囲気の暗さと陰険さは、絶対に生活環境の影響を受けていると思うのだ。まあ、その筆頭が自分だったりするのだが。しかも、地下の暗さを気持ちよく感じてしまうのも事実。
外の風を頬に受けて身を震わせた。
「寒いな……」
コートを持ってくれば良かったと思った。
太陽は――。
外に出た途端、目に痛いほどの光が刺してきた。
僕は眼を細めた。
太陽はまぶしすぎて嫌いだった。
「マルフォイ」
少女の声がした。
目が太陽の光に慣れずにいたため、一瞬、声の主を探してしまう。
「なにやっているのよ」
呆れたような声の主は、ハーマイオニー・グレンジャーだった。
「グレンジャー……」
「いくら私の背が小さいからって、きょろきょろして探すほどでもないでしょ！」
そういうわけではなかったのだが、わざわざ言い訳するのも馬鹿らしい。
確かに……以前は向き合っても見下ろすことはなかった。僕の背が高くなったのか、グレンジャーの背が伸びないのか。
「小さいな」
「なんですって？」
「つむじが見える」
思わずつついてみたくなる――とは口にはしないが。
「……」
まったく、とグレンジャーが鼻を鳴らした。
「みんなでよってたかってぐんぐんにょきにょき伸びて……！」
「成長期にのびるのは当たり前だ」
「ふん！」
背が低いことを気にしているのだろうか。なんだか可笑しくて小さく笑ってしまう。
「それで、スリザリンに何のようだ」
「え？」
「この先に用があるのだろう？」
「あ――、ええ、そう」
はい、とグレンジャーが小さな箱を僕に差し出した。とても上品な包装紙に包まれている。
しかも、よく注意をすれば、グレンジャーからはチョコレートの匂いがしていた。
「あなたに」
「……」
「あなたによ！」
僕は瞬きするのを忘れた。
「なに……」
チョコレートか？
「これは……」
「マクゴナガル先生からよ」
「マクゴナガル先生から……」
僕にチョ……。
「え？」
「ちょっと、マルフォイ？ どうしたの？ 大丈夫？」
グレンジャーが心配そうな顔で首をかしげている。
「あなた、マクゴナガル先生に『変身魔法補助新薬』の最新刊を購入するように頼んだんでしょう？」
「本……」
「ちょっと！ 本当に大丈夫なの！？ 私もその本を読みたいのよ、だから……」
僕は――本を彼女から受け取った。
「チョコレートの匂いがするな」
「はあ！？」
グレンジャーが眉をひそめた。
「いきなり、なに！？」
「チョコレートの匂いがする」
「え、――ええ、明日のバレンタイン用にみんなで作っていたから……」
誰にあげるのだろう――そんなのは決まっている。
「グレンジャーの手作り？ 腹でも壊すんじゃないだろな」
「だったら、グリフィンドールの男性全員と先生方が腹痛で倒れるわね」
「全員にあげるのか！？」
驚いて、声が少し高くなった。
「ちがうわよ」
グレンジャーが笑う。
「グリフィンドールの女性みんなで作ったの。私はそうね……」
グレンジャーは視線をさまよわせながら、指を一つずつ折りながらリズムを取る。口元が「ハリー、ロン、ネビル……」と動いていた。
僕がじっと見ているのがわかったのだろう。途中でグレンジャーが数えるのをやめる。
「まあ、とにかく。あなたが倒れることはないから安心して」
グレンジャーはにっこりと嬉しそうに笑う。
僕は彼女から目をそらし――本を見た。
「それは良かった」
その本を、グレンジャーの胸に押し付けた。
「僕は後でいい。先に読め」
「え」
なぜこんなに腹が立つのだろう。だが、わざとその感情を表に出さないように意識した。
「今は別の本を読んでいる。だから、後でいい」
「本当に！？」
グレンジャーの表情が華やいだ。本を両手で抱きしめ、本当に嬉しそうに笑った。
「すぐに読んで渡すわね！」
「明日」
「ええ、明日――は無理よ！」
「冗談だ」
彼女の反応が可笑しくて、くすり、と笑う。
「いつでもいい」
僕は踵を返した。彼女から匂うチョコレートの香りが不快で、早くこの場から離れたかった。
「マルフォイ！」
グレンジャーが僕の袖を引いた。
「ちょっと待って」
グレンジャーがスカートのポケットに手を突っ込む。そして、出したのは銀紙を丸めた鶉の卵くらいの……。
「ゴミか？」
「失礼ね！ チョコレートよ！ あまったチョコレートを丸めたの。中はちゃんとしたチョコレート！」
「腹痛チョコか」
「腹痛チョコよ」
「……で？」
「あげるわ。本のお礼」
「あまりものか」
「あまりものには福があるっていうでしょ」
グレンジャーが笑う。はい、と目の前に出されて落とされたので、思わず手を出して受け取ってしまった。
「明日の朝、あなたが腹痛で朝食に出てこなかったら、みんなにあげるのを考え直さなくっちゃ！ じゃあね！」
栗色の髪がはねながら遠ざかっていった。
僕は手の中の銀紙を見つめた。それは誰が見てもゴミにしか見えない。
「……本当にこんなものを僕が食べるとでも？」
明日の朝、本当に仮病を使ってやろうか。
「あ！ ドラコ、こんなところにいたんだ！」
グレゴリーが僕を見つけて駆け寄ってくる。
「うわー！ 寒いー！ あれ？ ドラコからチョコレートの匂いがする」
「……」
こいつの嗅覚はどうなっているんだ、と正直に驚いた。
「チョコレート？ チョコレート？」
瞳が「くれくれ」と訴えていた。
「ドラコ〜」
「これはダメだ」
僕は腹痛チョコを握り締めた拳をズボンのポケットに入れた。
「お前たちには明日のチョコがあるだろう」
「うん！」
グレゴリーの瞳が輝いた。
「明日、いくつくらいもらえるのかなあ」
「さあな」
「ドラコもいくつかは食べるだろ？」
「いらない。お前たちで全部分ければいい。――でも、部屋に行ってからだぞ」
「うん！」
明日食べるチョコレートは一つでいい。
これくらいの量でちょうどいい、と思った。
そして、腹痛になるのだ。
了
2003.02.07