ギャグ
『ルーピン先生と秘密』
わなわな、と。
それは言葉にしたらそう擬音されるだろう、ルーピン先生を前に、スネイプの身体が震えていた。
「なんだね、それは」
スネイプの声は震えていた。ふだん険悪な表情を、さらに極悪に変えて、スネイプがルーピン先生を睨んだとき、僕――ロナルド・ウィーズリーの隣で「キャア」と可愛らしい声が響いた。
「かわいいっ！！」
ハーマイオニーだ。栗色の髪を綿毛のように揺らして、紅潮した頬に両手を当てている。
「そのコ、どうしたんですかっ！ ルーピン先生っ！」
「拾ったんだよ」
「うわ〜、かわいい〜！！」
ハーマイオニーは、ルーピン先生に駆け寄り、裾を握ると先生の肩に見え隠れする小さな生き物を見上げた。
「みー」
それが鳴いた。なんとも愛らしい声で。
「かわいい〜！！」
とろけそうなハーマイオニーの声。
それは、黒猫だった。
正しくは、数時間前までは黒猫だった……生き物だった。
魔法薬学教室に入ってきたルーピン先生の声は弾んでいた。
「セブルス、いる？」
無敵の笑顔でルーピン先生が言ったとき、教室には居残りを命じられた僕とハリー、それに付き添って残ったハーマイオニー、そしてスネイプしかいなかった。
「ルーピン……」
先生を見るスネイプの表情はなんとも複雑だ。スネイプがルーピン先生を嫌っているのがはたから見ても明らかなのに、当の「闇の魔術に対する防衛術」の教師はそのことをまったく気にしていないのだ。
先生は僕たちに気づいて笑んだ。
「ハリーたちもいたのか。三人とも居残りかい？」
「こんにちは、ルーピン先生。私は居残りじゃありません」
「こんにちは、ハーマイオニー。そうだろう、君は優秀だもの」
にっこりと笑うルーピン先生は、楽しげに歩いてくる。
「何の用だ、ルーピン」
「セブルス、ほらほら」
ルーピン先生は、うれしそうに自分の顔を親指で指している。再度「何の用だ」と嫌悪感あらわに言い放ったスネイプと、首をかしげた僕たちの前で、先生の後ろ髪が揺れたかと思うと、小さな黒い物体が姿を見せたのだった。
みー、とそれは鳴いた。
「あ」
「わ」
「わあｖ」
「……」
全長１０センチほど、黒い猫耳を生やした小さな人形のような生き物が、しっかとルーピン先生の襟元にしがみついている。しかも、その姿はあつらえたようにスネイプをミニチュアにしたような格好だった。肩までの黒い髪、ロングの黒服。容貌は愛らしくてスネイプとはまったく似ていないが、そう、まさに幼いスネイプのミニチュア人形に黒い猫耳が生えているかのよう。
「かわいいっ！！」
ハーマイオニーが華やぐ。
「そのコ、どうしたんですかっ！ ルーピン先生っ！」
「かわいい子猫だろう、拾ったんだ」
「……拾った？」
スネイプの声が低い。いや、もともと低いけど、それがさらに低くなった。ハリーと僕は二人の会話にドキドキしていたけど、隣のハーマイオニーは別のことでドキドキしているみたいだった。ちらり、と見やれば、頬は紅潮して瞳をキラキラさせた乙女モードに突入している。ジニーが可愛い人形を目にしたときと同じ表情をしているので、僕にはそれがよくわかった。触りたくてウズウズしているのだ。ついに我慢できなくなったハーマイオニーが、ルーピン先生に駆け寄った。
スネイプは親の仇を見るかのような形相でルーピン先生を――いや、その生き物を見ていた。
「なんだね、それは」
「猫。子猫だよ」
同意するかのように、みー、と可愛らしく子猫が鳴く。……それを子猫と言ってしまっていいのかは疑問だが、ほかに言いようがない。
「かわいい〜っ！」
ルーピン先生の懐でウサギのように跳ねるハーマイオニー。その肩をそっと抱き寄せて、先生は笑う。――スネイプに。
「かわいいって」
「可愛くなどない。どうしたのだ、それは」
「だから、拾ったって言ったじゃない」
「拾ったものになにをした、と聞いているのだ」
「いやだなあ、普通にミルクをあげただけだよ」
「普通にミルク？ 普通の、ミルク？」
スネイプの声がさらに一オクターブ下がった。地獄から響くような重低音だ。
「普通のミルクか？」
の、を強調するスネイプに、ルーピン先生は笑う。
「あはは」
「あははじゃない！」
スネイプが声を荒げた。
「それのどこが猫だ！ お前は昔からあれほど！！ あれほど！！ あれほど人に迷惑をかけておいて――」
じ、と見つめる僕たちに気づいて、スネイプが言葉をとぎらせた。
いったい過去に何があったというのか。
「とと、とにかく、それを早く元の姿に戻せ！」
「わたしが？」
「う――」
スネイプが珍しく押し黙る。
ルーピン先生が身をかがめて、ハーマイオニーに猫を手渡した。
「このままでもいいと思わないか？ すごく可愛いし、生徒にも可愛がられると思うよ」
ハーマイオニーの目はハートになっていて、「ハイ、カワイガリマス」と語っていた。
「そういう問題じゃない！」
「いいじゃないか、ちゃんと可愛い姿なんだから」
「だから、そういう問題じゃないと言っている！」
「怒りっぽいんだから、このオジさんは」
「オジサン言うなっ。とにかく、それをよこせ、私が処分する！」
「ええええええーー！」
「えええええーー！！」
「えええええーー！」
「えええー！！！」
僕たち四人の非難を受けて、スネイプが耳を塞ぐ。バン、と机を叩いた。
「お前たちはわかっておらんのだ！ この、ルーピンの恐ろしさが！」
「ひどい言いようだなあ」
「真実だ！ お前の過去を知る１００人に１００人がそう答える！」
どういう意味だろう、と僕は思った。
「とにかくそれをよこせ」
スネイプがハーマイオニーに手を伸ばす。だが、ハーマイオニーはそれを胸にギュッと抱いて非難するようにスネイプを見上げた。
「う……」
スネイプが怯む。
「だめです」
ハーマイオニーの目が潤む。
「だめ……っ」
「う……」
みー、と猫がまた愛らしく鳴いた。
ルーピン先生がニコニコと笑って、ハーマイオニーの頭に手を置いた。
「危険はないよ、セブルス」
「お前の言うことなど当てにならん！」
「手乗りスーと名付けてみた」
「名付けるなっ！」
「この服はもちろんわたしが縫ったんだよ」
「だからなんだ！」
「生地がないから、職員室に置いてあった君のコートの裾をちょっともらってしまったけどね」
「な――！ か！ 勝手に切るなっ！！！」
僕たちが見ていて気の毒になるくらい、スネイプは発狂寸前だった。
「だって、スーを裸でお披露目するわけにはいかないよ。小さくても小さくても小さくてもアレがちゃんとあるし」
「あれ？」
ハーマイオニーが首をかしげた。
「え！」
僕の瞳が輝いた。
「あるんですかっ！？」
「そりゃああるよ、男の子だからね」
「うあ。ハーマイオニー、見せろよ」
「僕も」
「やだ、ちょっと、なに――？」
「「あ、本当だ、かわいいーー！！」」
スーの黒く長い裾をめくった僕とハリーの声がシンクロした。顔を真っ赤にしたハーマイオニーがスーを慌てて抱き寄せた。
「やだっ！ もうばかっ！！」
「男の子だオトコノコ！」
「うん。立派な男の子だった」
「小さいけどね！ ちなみにセブルスのは大きいよ」
興奮する僕たちの背後で、闇が流出しはじめた。
スネイプの前から慌てて逃げてきた僕たちは、空いている教室に入って一息つく。
「それにしても、本当にどうしたんですか、これ」
ハリーが、視線をスーに向けて言った。スーは、ハーマイオニーの手の中で気持ちよさそうに眠っていた。時折、耳がピクピクと動く。
「今日の授業中に、外で拾ったんだ。かわいいだろう？」
「はい。……ええと、拾ったときからこの姿だったんですか？」
「まさか！ 最初はちゃんとした子猫だったよ。わたしがミルクをあげたらこんな姿になってしまったんだ」
「……」
「最初はまたやってしまった、と思ったんだけどね」
「え？」
……また？
「ミルクを？」
「ああ、弱っていたから元気が出るように特製の栄養剤を作って一緒に混ぜてみたんだ。やっぱり姿が変わってしまった。不思議だ、なぜだろう」
「…………」
「…………」
やっぱり？
「でもほら、この子はちゃんとした形をしているから、問題ないだろう？」
……ちゃんとした形？
このコは？
僕とハリーは、目を合わせて笑った。ナンデスカ。ドウイウ意味デスカ。
「ということで」
ルーピン先生はにこやかに笑った。
「世話は君たちに任せてもいいかな。わたしが餌をあげて、また姿を変えてしまったら、本当にセブルスが発狂してしまうからね。ははははは」
「ははは、はは」
僕たちも笑った。すでに、発狂してましたよ、とは口にせず。
餌ヲアゲルト、ナンデ姿ガ変ワルノデスカ。
頭に渦巻く疑問を口に出来るはずもなく。ふと――以前に、フリットウィック先生にした質問を思い出した。
いつだったか、他の先生たちが日ごろからルーピン先生にお菓子をあげている姿を目にするので、授業を終えた後に聞いてみたのだ。「どうしていつもルーピン先生にお菓子をあげるんですか？」と。
それに対するフリットウィック先生の答えは簡潔だった。
「食べるものがなくなって、彼が自分で作り始めたら困るでしょう」
そのときは、ただ単にルーピン先生がお金を持っていないからそれで困る、という意味なのかと思っていたのだが。
困るのはルーピン先生ではなく――。
「…………」
「…………」
「…………」
僕たちは沈黙し、教室を出たときにハリーがぼそりとつぶやいた。
「そういえば、ルーピン先生が紅茶を作ってくれたとき、ティー・バッグしかないって言ってたよ……」
先の「闇の魔術に対する防衛術」の教師を思い浮かべる。派手でおしゃれ好きで優雅を友達とするあの彼が、安物のティー・バッグを使っていたとは到底思えない。むしろ、ありとあらゆる種類の茶葉を用意していたはずだ……。
「…………処分された？」
ぼそり、とハリーが呟き、ぼくたちはビクリと震える。
「…………ただの紅茶の葉よ？」
「…………でも、あれじゃないのかな、混ぜるな危険……」
僕たちの視線が、ハーマイオニーの指にじゃれ付く小さなスーに集まった。
栄養剤って……なに。
「………」
「このことは私たちだけの秘密にしましょう」
「うん……」
先生の手作りだけは口にするまい、と僕たちは思った。
了
2003.03.22