ドラコ×ハーマイオニー
『ハロウィン』
１０月の最後の日。
その日、ホグワーツでは寮主催のハロウィンパーティーが行われる。
四つの寮が解放されるといってもいいくらい、寮生が入り乱れて学校中が大騒ぎとなる一日。
実行委員は朝から設営にかかり、男子も女子もハロウィンのために作った衣装を身にまとう。特殊メイクに凝る者もいれば、ひと目でどの寮だか分かるように統一した衣装や飾りを用意しているところもあった。
夜６時から真夜中の１２時まで。途中で参加するもよし、途中で帰るもよし。この日は授業もなく、各自、好きに行動することが許されていた。
夜８時にダンスパーティーが行われるとあって、野外に設置されたメイン会場にはぞくぞくと人が集まってくる。
その波に逆らうように、広場の喧騒から抜け出そうとしていた私を呼び止めたのは、同じ寮のラベンダー・ブラウンだった。
「ハーマイオニー！ ダンスが始まるわよ？」
「ええ、でもちょっと疲れたから休むわ」
ラベンダーは、「これからいいところなのに、変な子」という表情を隠さない。私は苦笑した。
「足が痛いの」
嘘だったけれど、こう言わないと納得しないだろう。
ラベンダーは小さく笑った。
「しょうがないわね、早く戻っていらっしゃいよ！」
「ええ」
私は手を振った。
パーティー会場から遠く、けれど離れすぎない場所に私は向かう。人気のない、静かな場所。
遠くにパーティの明かりがゆらゆらと見える――そんな回廊の一角が私の特等席だ。
肌寒さに軽く身体を震わせながら歩いていたが、話し声が聞こえてきて立ち止まった。柱の影からそっと覗くと、いつもの場所には先客がいた。暗くて顔は分からないが、体格差と話し声から、カップルだと分かる。しかも濃厚な雰囲気。
「……だめね」
私は溜め息をついて、彼らに気づかれないようにそっとその場を離れた。もっと早くくれば良かったと思ったけど、こればかりはしょうがない。
人気のないところへ、と動けば、そこから先にはスリザリン寮しかない――という場所に来てしまう。
どうしよう、と迷った末に引き返そうとしたとき――。
「おい」
「キャア！」
急に声をかけられて、私は反射的に短い悲鳴をあげてしまった。慌てて口を押さえ、振り返れば、暗闇に浮かぶ、黒い影。まるで吸魂鬼を思わせる――頭から黒い布を被った背の高い人影。
「誰――」
怯えないほうがおかしい。
でも。
「こんなところで何をしている」
不機嫌そうな声は、ドラコ・マルフォイのものだった。
思わず肩の力が抜けた。
彼の特長であるプラチナブロンドの髪は見えず、端整な口元だけが見えている。
「マルフォイ……？」
どうしてここに、と思った。よく考えればスリザリン寮の付近なのだから、彼がいて当たり前。けれど、彼は自分が誰だか分からない――確認の意味で聞いたのだと思ったらしい。マルフォイの口が皮肉げに歪む。
「五年もここに通っていて、道に迷ったとは言わないでくれよ？」
「別に道に迷ったんじゃないわよ……。１人になりたかっただけ」
ああもう、嫌味な彼とこれ以上話をしたくない。じゃあね、と彼から離れようと踵を返した私は、ふと立ち止まって振り返った。
「ねえ、どこか１人になれるところってないかしら」
「……？」
マルフォイはきっと眉をひそめたに違いない。
「……知らないな。そんなものは自分で探せ」
「ん、そうよね。――ごめん、変なこと聞いたわ」
私はあっさりと肩をすくめて歩き出した。
何であんなことを彼に聞いたのだろう。
そう……なぜか、１人になれそうなところを彼なら知っているような気がしたのだ。彼の周りにはいつも人がたくさんいて、１人でいるところなんて想像も出来ないのに。
進行方向が一緒なのか、私に少し遅れてマルフォイがついてくる。
「トイレならこの先を右だぞ」
ぼそりと呟くから、私はおかしくて笑ってしまった。
「ちがうわよ、ありがとう。ひとりになれる場所を探していただけなの」
マルフォイが意地悪をするときは、いつもハリーやロンと一緒のときだけだということを私は知っている。けっきょく、私はマルフォイにとってハリーやロンにちょっかいを出す口実に過ぎないのだろう。
「そういえば、今日はとり巻きがいないのね」
「別にいつもいるわけじゃない」
「そう？」
なんだか憮然と話す彼がおかしい。
「いつもクラッブとゴイルが一緒じゃない」
「今日は……お菓子を貰いに行っているから……」
ああ、と納得してしまう。私は立ち止まって、振り返る。
「あなたはお菓子を貰いにいかないの？」
『お菓子をくれないと、いたずらしちゃうぞ』
ハロウィンだけに使うことのできる、子供だけの呪文。
私が小さい頃は、両親と祖父母にしか使うことの出来なかった呪文。
近所の子供たちが家々を巡る中、私は家の２階からカボチャの明かりが揺れるのをただ見ていることしか出来なかった。
ハーマイオニー、一緒に行こう――そんな誘いをいつも待っていた。
待っていたけれど――。
「なんだか寒くなってきたわね」
私は手を擦る。コートも持ってくれば良かった。今からグリフィンドールの寮に戻ってもいいが、こことはほとんど正反対の場所にあるので、取りに行くのも一苦労だ。
私が着ているのはマグルのアニメに出てくるような魔女の服。真っ黒いゴシック風の襟や袖。レースを多く使い、スカートが短いのでとにかく寒い。
こんなに短いスカートでホウキに乗ったらパンツが丸見えじゃない、と思う。
――魔女。
まさか、子供のときは私が本当の魔女になるとは夢にも思っていなかった。
私はやっとベンチを見つけてホッとする。駆け寄ると、くるりと回って腰を下ろした。いい具合にパーティ会場の明かりも届き、声も聞こえてくる。
「ふう〜。疲れちゃった」
ぶらぶらと足を揺らした。
マルフォイは私の前に立つ。視線をパーティーの明かりに向けたまま。
「パーティに行かないのか？」
「さっきまでいたわよ。もう、すごい大騒ぎ」
「……」
「あなたこそ早く行きなさいよ、もうそろそろ８時でしょ、ダンスが始まっちゃうわよ？」
会場でパンジー・パーキンソンが誰かを探しているみたいだったけれど、きっとマルフォイを探していたのだ。彼女はまるでどこかの王女のようなドレスを身にまとっていた。ロンは、マルフォイが王子のような服装だったら傑作、と笑っていたけれど。
「マルフォイ？」
いつまでも立ち去らない彼を私は見上げた。
「どうしたの？」
「……」
マルフォイは、頭から被っていた布を脱いで、襟元の留め金を外すと、外套を私に放ってきた。格好は王子――というよりも、ドラキュラ伯爵といった感じ。ある意味、パンジーとはよく合うだろう。それよりも、いつも後ろに流している彼の前髪がおりていることに私は驚いた。思わず彼の顔をまじまじと見つめてしまう。
「前髪があるわ……！」
「当たり前だ」
憮然と呟き、次の瞬間、マルフォイはくっと笑った。綺麗な指で前髪をかきあげてマルフォイは私を見る。切れ長の眉に長い睫毛、綺麗な瞳。鼻筋も綺麗で、端整な顔はどこか中性的な容貌だった。貴族的な顔つきというのは、きっとこういうことを言うのだろう。
かすかに香るシャンプーの匂い。お風呂上りなのだろうか。
「ゴムはあるか？」
「え？」
「髪を結ぶゴムだ」
「あ――うん」
私はスカートのポケットに手を入れて髪の毛のゴムを取り出した。ふだんは使わないけれど、実験や料理をするときには使うので、いつも常備している――それを受け取って、マルフォイは前髪を後ろでひとつに結った。入学したときよりも、伸びた髪。そうすると彼のお父さんにそっくりだった。
「前髪を下ろしていたほうがかっこいいのに」
正直に口にしたら、マルフォイがひどく驚いた表情で私を見るから、思わず睨み返してしまう。
「深い意味はないわよ？」
「いや……別に」
「はい！」
私は彼の外套を前に差し出した。
「行かないと、遅れるわよ」
「……」
「マルフォイ？」
彼は受け取らない。
「今はいらない」
「は？」
「持ってろ」
私は瞬いて――小首をかしげた。
「熱でもあるの？」
「ばっ……！」
マルフォイの顔が朱に染まる。
「あるか！ とにかく、持ってろ」
「えー？」
「寒ければ、別に羽織っていてもいいぞ」
「いいわよ、そんなに寒くないから」
「お前が風邪を引いて、教室で菌をばら撒かれると困る」
「……」
まったく、と私は溜め息をついた。
「なんでそんな言い方しか出来ないのかしら」
「こんなに寒い季節にそんなに短いスカートをはいているのが悪いんだバカ娘」
「バカムスメ！？」
「バカだからバカと言ったんだ。オマケに鈍感だ！」
「はあ？ 鈍感って何のことよ」
「に、ぶ、い！ と言っている！！」
ふん、と鼻息荒くマルフォイが言い放つ。なんでそんなに苛立っているんだろう。
マルフォイは私を見つめて、視線をそらす。くそ、とか口にして。
「とにかく……羽織ってろ」
「じゃあ…………ありがたく借りる。……ありがと」
さっき私が寒いと口にしたからだろうか、マルフォイらしからぬ心遣いに私が小さく笑うと、マルフォイは満足したように頷いた。
「早く行きなさいよ、パンジーが探していたから」
「…………ない」
「は？」
「パンジーとはなんでもない！」
マルフォイが叫ぶ。
私は瞬いた。
「……そうなの？」
「そうだ！」
そんなに力説しなくてもいいと思うけど。
マルフォイはまだ何か言いたげで。ぶつぶつと呟いている。
私は相手にしないで、マルフォイに借りた外套を身にまとった。裾が床につきそうなくらいに長く、袖も指の先まで隠れてしまう。そして、先ほどまでマルフォイが羽織っていたからだろう、少しだけ暖かいのがありがたかった。
「やっぱり大きいわね」
くすりと笑って、軽く一回転してみた。ふわりと裾が広がって、なんだかかっこいい。
マルフォイはそんな私をただずっと見ていて。
まだ何か言いたいことでもあるのかしら。クリーニングして返せ、とか？ その前に、マグルの女が着たものなどもういらない、とか言いそうと私は思った。
ありがとう、ともう一度礼を口にしようとした私に、マルフォイは今日だけ有効の呪文を口にした。
「え？」
「持っているのか？」
「お菓子？ あ――ええと……」
私が貰ったお菓子は、みんな一年の子たちにあげてしまった。
「――ない」
マルフォイは、目を細めて、初めて嬉しそうな表情を見せた。
「じゃあ、いたずらをしても文句は言われないな」
「そんな！」
私は非難するが、マルフォイはニヤニヤと笑うばかり。
手を伸ばされたので、私は恐くなって一歩下がった。そのまま膝が折れてベンチに腰を下ろしてしまう。ベンチの背もたれに彼は手を置き――夜の闇の中でも彼の瞳が青く輝くのがわかった。
なにをされるのか、恐くて肩をすくめながらギュっと目をつむった。
マルフォイの吐息が触れると、
「鈍感女」
そんな呟きとともに、私は唇を奪われたのだった。
「！？」
驚いて目を開けたけど、今度はもっと深く口づけてくる。
「――ッ」
何が起こったのか、本当に分からなかった。逃げなくちゃ、という意識が働く前にマルフォイが身体を起こした。
上から私を見下ろす。
私はどんな表情をしていたんだろう――マルフォイが私から目をそらした。
「いたずらだ……ばか」
「――！」
頭に血が上るのが分かった。
マルフォイの口元に、皮肉な笑みが浮かぶ。
「今度からはお菓子をたくさん持って歩くんだな、ハーマイオニー・グレンジャー」
パーティー会場に向かうマルフォイの背中を私はにらみつけた。視線でマルフォイを殺すことが出来ればいいのに。
「何よ……ばか」
私は、唇に手を当てた。
こぼれるのは涙。
悲しいからか、悔しいからか、分からない。
ただ涙がこぼれて止まらない。でも、このままただ泣いているなんて、私らしくない。
私は、力強く涙を拭った。
「マルフォイ！」
私は叫んで、彼の背中を追いかけた。
マルフォイは立ち止まり、振り返る。どこか優雅で、けれど覚悟を決めたような表情で。
きっと殴られるとでも思っているのだ。
でも、私はマルフォイの前に立つと、彼の胸倉をつかんだ。そして、彼を睨みつける。
「お菓子をくれないと、いたずらするわよ！」
「え」
マルフォイが瞬く。何を言われたのか分からない、といった表情。
「お菓子は！？」
「あ――ああ」
マルフォイはよほど拍子抜けしたのか、動揺するかのように視線を動かす。
深くて青い、綺麗な瞳。
「……ない」
私はニッと笑った。そして、彼の胸元をぐいと引っ張る。
重なるのは唇。
私の場合はすぐに触れて離れたけれど。
彼に向かって私は鼻を鳴らす。
「今度からお菓子をたくさん持って歩くのね、ドラコ・マルフォイ」
私は彼を睨みつける。
「わかった？」
「……」
く、とマルフォイが笑った。
「そうしよう」
どこか嬉しそうな顔で。
私はフンッと鼻をならして、彼を突き放すように手を放す。
一瞬、あんな奴の服なんか借りるものか、と外套を地面に叩きつけようかと思ったけれど、反対にあいつが嫌がるマグルの匂いをうつしてやればいい、と思ってしまう。戻された外套を手に、せいぜい鼻がひん曲がるくらい嫌な顔をすればいいのだ。もちろん――私の体臭が強いって意味ではないけれど。
私は踵を返し、先ほどのベンチに戻った。ベンチに座って膝を抱えると、それまでずっと目で追っていたのだろうか、それを合図のように、彼がパーティー会場に向かって再び歩き出した。
彼が嫌悪するマグルの女からの口付け。
少しは彼に打撃を与えることができただろうか。
サクサク、と。草むらを歩いていくマルフォイの足音が耳に残る。
「暖かい……」
私は膝の上に顔をふせた。ちょうどそのとき８時の鐘が鳴る。同時に、歓声とダンスの音楽が風に乗って流れてきた。
外套からかすかに香るマルフォイの匂い。どこか上品な感じがするのは、使っているものが高級品だからだろう。
顔が赤くなってしまうのはなぜだろう。
「シャンプーの匂いのほうがいいのに」
前髪が下りていたマルフォイの顔を思い出し、私は小さく笑った。絶対にあのままのほうが女の子にもてるだろうに。
だって、いつもより目が優しいかったもの。
マグルじゃない女の子には、ふだんああいう目で見るのだろうか。
なんだかむかつく。
「マルフォイのバカ」
先ほどの口付けといい、本当に嫌なやつでしかなく。
――でも。
それまでのやり取りを思い出すと楽しくて。
「…………」
私は大きな溜め息をつくと、複雑な思いで目を閉じた。
了
2003.12.23