ドラコ×ハーマイオニー
『バースデー』
リージェンツ・パークに行こうと言い出したのはママだった。
突然なに、と思っていたら、
「患者さんに、まだ一度も行ったことがないの？ と言われてね」
パパが小さな声で片目を瞑った。
イギリスに住んでいるからといって、観光名所すべてを見知っているとは限らない。むしろ、外国の観光客のほうがイギリスのことをよく知っているんじゃないだろうか。
整備された広い公園にはきれいな若葉色の芝生が広がっている。
もともとはヘンリー八世の狩場であったという園内は、常に花が絶えず、中央にあるクイーン・メアリーズ・ガーデンは特に有名だ。
百合のように強烈な芳香を放つわけではないが、途切れることのない花々のせいか、公園内は確かに空気の匂いが違った。清涼な、大人っぽくて落ち着いた香り。
「うわっ！ すごいっ」
咲き乱れる薔薇に、思わず叫んでしまう。
円形のローズガーデンに入ると、芳香はいっそう強まった。
「お花屋さんの匂いだなあ」
パパが笑った。
大輪の薔薇が緩やかに風にゆれた。ピンクに白、赤。さらにそのグラデーションで、いったい何種類の薔薇が植えられているのだろう。
7月の半ばで、シーズン中とはいえ一番の見ごろは過ぎていたが、咲き乱れた色とりどりの薔薇は豪華の一言に尽きた。
「ハーマイオニー、こっちを向いて」
写真を撮るのが好きなパパがレンズを構える。私を撮った後、レンズは別の方向へと向かった。
私は花びらにそっと触れながら、小さく笑った。
「こんなところに恋人と来れたらいいのに」
もっとも、楽しいのは女性だけに違いない。
ハリーやロンなら「クィディッチがやれそうだ」などと言いかねない。ま、あの二人にロマンチックを期待するのが間違っているのだけれど。
円形のローズガーデン内を一周し、堪能したのか、ママが私を呼んだ。
「ハーマイオニー、お昼にしましょう」
「うんっ」
視界の隅で、その声に反応した人がいたことに私は気づかなかった。
テラスで売られている土産物が並ぶ木目の棚には、薔薇を象った小物入れやポプリ、カード、アクセサリーが並ぶ。その一角にそろえられたグリーティングカードの前で私は足を止めていた。
7月の末はハリーの、8月の初めはジニーの誕生日。プレゼントはすでに買っていたが、それに添えるカードだけまだ用意していなかったのだ。
グリーティングカードはいつでも使えるので、気に入ったものがあればいくつ買っても無駄にはならないのだけれど、こんなに素敵なカードがたくさんあっては、どれを選んでいいのか迷ってしまう。ジニーになら同じ女の子として選びやすいけど、男の子へのカードって、どんなものをあげたらいいのだろう。正直、ホグワーツに入るまで、私は家族以外へカードを渡したことがなかったのでこういうときに困ってしまう。
これまでハリーやロンに何度もカードをあげたけど、そのときも悩みに悩んだ末に無難なものしか選べなかったのだ。
「どれにしよう〜」
「早く選べよ、カードなんてどれも同じだろう」
背後からそんな声がかけられたので、思わず「ぜんぜん違うわっ！」と眉を吊り上げた。
「――って」
振り返った私は口を丸くあけてしまう。
「マルフォイ！？」
学内ではオールバックにしているプラチナ・ブロンドの長い前髪が下りていたから、一瞬誰かと思ったが、前髪の隙間から宝石のような冷たい光を放つ瞳が皮肉げに私を見ていた。
白い半そでのワイシャツにベスト、紫紺のネクタイ、タータンチェックのスラックス、どこの坊ちゃんだと問いたくなるような出で立ち。実際に「お坊ちゃん」なわけだけど、貴族然とした――という言い方が適しているのだろう、センスよく着こなして似合っているのがなんだか悔しい。
夏休みの間に、また身長が伸びたんじゃないだろうか。
「何でこんなところに……」
「それは俺の台詞だ」
ふん、とマルフォイは鼻を鳴らした。
私はマルフォイの背後を覗き込むようにした。
「まさか一人で薔薇を見に来たの？」
「来るかっ。母とだっ」
「ああ……」
テラスに座っている金髪のきれいな女の人がすぐに目に入って、私はうなずいた。
「きれいよね、あなたのお母さん」
「当たり前だ」
あまりにも胸を張って言うので、私は小さく笑ってしまった。別に馬鹿にしたわけじゃなくて、そういうところは嫌いじゃない。
マルフォイは怪訝そうに片眉を上げた。
「土産か？」
「ええ。あ――そうだ、ねえ、この中から貴方がもらってもいいなって思うのがあったら教えてよ」
「――」
「誕生日に送りたいんだけど」
「誕生日……？」
「男の子に薔薇の匂いが付いたカードってどうなのかなあ」
私はカードのいくつかを選んで、ううむと唸った。
「あんまり華々しいと、もらっても恥ずかしそう」
「……別に、どれでもいいんじゃないか」
「そう？ ――そうね。ハリーもそんなこと気にしなさそう」
「――――」
適当にカードを手に取っていたマルフォイの動きが止まった。やっぱりハリーのライバルである彼にカードを選んでもらうのが間違っていたかしら。
「……ポッター？」
「ええ。7月の末が誕生日なの」
私がマルフォイを見ると、彼は赤く染まった顔を片手で覆っていた。でも、それを見たのは一瞬で、すぐにス――と背を向けられてしまった。
「マルフォイ？」
「母が呼んでいる」
「あ、うん」
お母さんのところに向かっていく彼の背に、私は礼を口にしたが、マルフォイは最後まで振り返らなかった。そんな冷たい態度はいつものことだ。
きっと彼の誕生日には、たくさんのカードが届くのだろう。
そう思って――。
「あ――」
私は口を押さえた。
学校の健康診断では寮に関係なく生年月日順で並ぶが、そのとき、ハリーの前がマルフォイだったとロンとハリーが話していたこともある。
――あいつ、すごい目で俺のこと睨んでたな。
――身長でロンに負けたからじゃない？
それに、6月のはじめあたりにパンジー・パーキンソンがドラコの誕生日がどうのと騒いでいたこともあった。
それが確かなら、ドラコの誕生日はとっくに終わっているが。
「もしかして……」
誤解させてしまった？
「うわ……」
恥ずかしさのあまり、顔に血が上った。
きっと、マルフォイも勘違いしてしまったのだ。だから、それに気づいて――。
「ああ――」
どうしよう、と思った。
彼に恥をかかせてしまうつもりはなかったのだけれど、結果としてはそうなってしまったわけで。
「ハーマイオニー、もう行くよ」
「あ――うん、今行くっ」
パパの言葉に片手を挙げる。
「……」
私はもう一度マルフォイの方を見た。
頑なに私の存在を拒絶する背中。
何で私に声をかけてきたのだろう――？
マルフォイと二人で話すことが、そんなにイヤじゃない自分に気づく。
私はため息を一つ、すばやくジニーとハリーへのカードを選んで――ついでにもう一枚、先ほどマルフォイが持っていたカードを手に取った。
一年後、マルフォイにカードを送ろう。
差出人の名は書かず、それを捨てようが焼こうが彼の自由。誕生日に彼がもらうたくさんのカードのうちの一つに過ぎず、気にも留めないだろう。
ただ、ここで買ったカードなので、もしかすると気づくかもしれないけれど――。
それを想像するのはなんだか楽しかった。
※
9月15日、新学期が始まって間もなく、私の誕生日が来る。
ふくろう便で両親や祖父母からプレゼントが届き、そしてハリーやロン、グリフィンドールの人たちからお祝いしてもらったその夜、「Happy
birthday」とだけ書かれた匿名のカードが届いた。
カードを届けたのは学校のメンフクロウだ。これは生徒の誰もが使うことができるので、相手を特定することができない。
「誰から？」
「きれいなカードね」
同室のパーバティ・パチルとラベンダー・ブラウンがカードを覗き込んできた。
「あら。いい匂い」
「薔薇？」
「……たぶん」
届けられたのは、絹糸のような手触りの上品なカードだった。特に色は付いてなくて、薔薇の模様だけが浮き上がるようになっている。中には達筆な――やや細身の字でたった一行。
これだけでは、誰の文字なのか当てるのは難しい。
でも、私にはすぐにわかった。
昨日、学校ですれ違ったときもそれらしいそぶりは何も見せなかったし、これがドラコ・マルフォイからのものであることを示す証拠は何もないけれど。
――先にやられた。
きゃあきゃあと、パーバティとラベンダーは二人して盛り上がっている。
「誰かしら、イニシャルもないじゃない。すごくミステリアス」
「さらにロマンチックだわ」
「ねえ、どんな人か、占ってあげましょうか？」
「え？」
「カードの送り主よ」
「ああ――」
私は首を横に振った。
「ありがとう、でもいいわ。こういうのは秘密なままのほうがいいの」
「……そう？」
占い好きな二人は、残念そうに肩をすくめた。
だって、占わなくてもわかっているんだもの。
私は、薔薇の匂いがするカードを、今までもらった手紙を大切にしまってある箱にはしまわずに、枕の下に置いた。この匂いをそのまま閉じ込めてしまうのはもったいない気がしたのだ。
マルフォイからカードが届くなど、これが最初で最後かもしれない。
「夢の中でお礼を言うわ」
「あら、素敵！」
パーバティが笑った。
「いい夢をね、おやすみハーマイオニー」
「おやすみなさい」
私はカーテンを閉めて横になった。
枕元には、もらったばかりの誕生日プレゼントが並んでいる。みんなからの祝いの言葉が脳裏によみがえって、胸がいっぱいになった。
時々不安になってしまう。
こんなに幸せでいいんだろうか。
たくさんの友達、たくさんの仲間。
プレゼントを渡して、渡されて。
いつもこんな自分を夢見ていた小さな私。
「みんなありがとう――」
幸せに胸を高鳴らせた静かな夜に、私は薔薇の匂いに包まれる。
そして私は、カードの送り主と、メアリー女王のローズガーデンで会う夢を見た――。
了
2005.06.02、2010.05.09（改）