シリアス（パーシー）
忘れられない記憶がある。
優しかった笑顔。
暖かかった手。
大きな手。
落ち着いた声。
賑やかな声。
トクトクと、安心できる心臓の音。
『守るべきもの』
双子の弟たちは、今も昔も変わらない。
赤ん坊には手がかかるというが、元気な弟たちはその倍手がかかり、さらに双子のためか、それが二乗されてしまうようだった。
双子が動けば、家の中にクィディッチのボールを解き放つようなもので、今でも兄たちはホグワーツ時代にクィディッチの優秀な選手になれたことを双子のおかげだと笑う。双子が泣くと、家中の物が浮かび上がったりガラスが割れたりで、本当に大変だった。
父は仕事に忙しく、母も、２人の兄も双子の世話にかかりっきりになっていて、真ん中の僕は放って置かれがちだった。
僕にも弟の世話は出来るのに――。
僕も遊んで欲しいのに――。
そんなことは口には出せなくて、魔法によって語る絵本を広げて、寂しさを紛らわせていたあのころ。
今思えば、僕は昔からかわいげのない子供だったのだ。
弟たちのように泣けば、みんなは僕を見てくれるんだろうか――。
そんなことも思ったが、世話がかかる弟たちに精一杯な母の手をそれ以上煩わせるのは嫌で。
「パーシーは手間がかからないから、お母さん、本当に助かるわ」
そう言って頭を撫でてくれる母の笑顔がとても嬉しかったから。
「パーシーが手伝ってくれるから、お母さん、大助かりよ、ありがとう――」
笑顔とともに、頬にくれる口付け。
褒められることが誇らしかったから、だから、僕は一生懸命、我慢していた。
寂しいということを――。
弟たちみたいに抱いて欲しいということを口には出せず。
両親がそのことに気づいたときには、僕は、両親に甘えることが出来なくなっていたのだった。
甘えることを知らない子供。
甘えることができない子供。
両親が戸惑っているのは僕にも分かった。
でも、戸惑っていたのは僕も同じだった。どうしていいのか――どうすればいいのか、僕には分からなかったのだ。
良い子でいよう、良い子でいなくては――そんな思いで精一杯だった。
ただ、母の負担にならないように――。
父の邪魔にならないようにすることに一生懸命だった。
自分のことは自分でやるんだ。
弟たちから目を離さないようにして。
家事も手伝って。
弟たちのように泥んこ遊びなど出来ない。服が汚れてしまうよ。
いつの間にか、笑顔を忘れてしまった子供。
嬉しいってなに？
楽しいってなに？
僕は、良い子でいなくちゃだめなんだ。
「パーシー！ 大きくなったな！」
ある日、朝起きると、居間のテーブルに赤毛の大きな人が座っていた。
こんにちは、と丁寧に挨拶をする僕を豪快に笑い、大きな手を伸ばしてきて、僕の髪をぐちゃぐちゃにかきまぜた。なんて乱暴な大人だろう、と驚く僕を、ひょいと軽く抱き上げて、ひざの上に座らせた彼は、母の兄だった。
「俺のことを覚えているか？」
僕が首を横に振ると、伯父はニッカと大きな口をあけて笑った。そして、突然、僕の手をぱくりと、手首まで口に咥えたのだった。しかも、ガジガジと噛むのだ。
食べられてしまう！
僕は怖くて怖くて、泣きながら必死に腕を引いた。伯父は口をあけると、げらげらと笑い出した。このひと頭がおかしい！ そう思ったとき、伯父はにっこりと笑って俺の頭を優しく撫でた。
「相変わらず、いい反応だな。思い出したか？」
そんなことを言う。
思い出したか、ということは、昔も同じことをしたのだろう。
「双子にやったら、思いっきり笑われたよ。ああ、つまらん。やっぱり、おまえのように反応が良くないとな」
ぐりぐりと頭を撫でられた。
豪快で、無造作で、元気で、明るい人だった。
「パース、来い！ 釣りに行くぞ」
「パース、おいで。おまえの母さんが掃除の邪魔だと言うんだ。一緒に伯父さんと遊んでおくれ」
優しい声が耳に残る。
ときどき、もう一人の伯父もやってきた。
彼も赤毛で背が高かったが、母やもう一人の伯父と本当に血がつながっているのかと疑問に思うくらい、無口でおとなしい人だった。
穏やかな性格で、本と静かな環境を好むため、僕にとって、彼のそばはとても心地よかった。
お土産は必ず本で、滞在中、持ってきた本を居間や木陰で静かに読むことが多かった。
そして、遊び心も持っている人だった。
彼は、自分の周りで双子がうるさいと、常に杖を取り出してその声を封じるのだった。封じた口からは鳥がさえずり、反対に弟たちの声は外の鳥たちが話すので、弟たちは喜んで外に飛び出していった。それは、たまにカエルであったり、豚であったりした。
「パーシー、お茶にしようか。ダージリンとアールペコ、どちらがいい？」
「パーシー、この本をあげるよ。大きくなってからお読み」
落ち着いた声が耳に残る。
二人とも、僕を気軽に抱き上げて、ひざの上に乗せてくれた。大好きな人の腕の中で眠る――その心地よさ。
トクトクと、安心できる心臓の音。
僕が、唯一、甘えることが出来た人たち。
永遠に続くと思っていた時間。
――それは、母の絶叫とともに途切れた。
ふくろうが届けてきたのは、二人の訃報。
深夜、父の腕の中で、母は気が狂ってしまったのではないかと思うくらいに伯父たちの名を呼び、泣き叫んだ。
二人は、ヴォルデモートに殺されたのだった。
例のあの人が暗躍した――たった数年。
だが、それは間違いなく、恐怖と絶望、疑心に満ちた暗黒の時代だった。
「パーシー」
優しい声に目を覚ますと、夕日に染まりながら、ペネロピー・クリアウォーターの瞳が優しく細められた。
「パーシー」
彼女の細い指が、僕の額に触れる。
「大丈夫？ うなされていたわよ」
「……ペネロピー……」
「悪い夢でも見た？」
ホグワーツの図書室――。
彼女を待ちながら、いつの間にか眠っていたらしい。
彼女の長い髪が夕日で燃える炎のようだった。
いまだ、耳に残る母の悲鳴。
何が起きたのか分からない双子が、泣きながら僕にしがみ付いてきて――僕は布団の中で二人をしっかり抱き寄せた。
失ってしまった大切な人。
「ペネロピー」
「なあに？」
彼女はスカートのポケットからハンカチを出して、僕の額をぬぐった。
彼女の優しい声に泣きたくなってくる。
「君を失いたくない」
「パーシー？」
驚いたように彼女が僕を見た。
「失いたくないんだ。――もう、誰も」
僕の大切な人たち。
「どうしたの――」
「君が石化したとき――僕は何も出来なかった」
「パーシー」
「妹が石化したとき――他の２人も、グリフィンドールの生徒だった――僕の、大切な――」
僕が守るべき人。
僕は監督生で、彼らを守らなくてはいけなかったのに――。
「パーシー、私は生きているわ」
でも、死んでもおかしくなかった。
「僕は――何も出来なくて」
「違う。パーシー、違うわ」
ペネロピーが僕の頭を抱えた。
「私も、ジニーも、ハーマイオニーも、コリンも、みんな生きてる。あなたの大切な人はひとりも失われていないのよ。みんな、ここにいる」
分かっている。だが、それは「今は」というだけに過ぎない。
再び闇の王は復活しようとしているのだ。
闇の王は、また僕の大切な人を奪っていくのだ。
そして、それを守る力が僕にはない。――ないのだと、思い知らされた。
兄や弟妹。
両親。
友人。
恋人。
このまま学校を卒業して、就職して――僕に何が出来るのだろう。
守りたい。
「僕が――」
守りたい。
僕に出来ることがあるなら。
「僕がもし――」
「パーシー？」
彼女の背に腕を伸ばして抱き寄せた。
彼女の胸は温かくて、その鼓動が――いつか途切れるかもしれないことを僕は知っている。
そして、失われるときは、突然やってくるのだ。
大切な恋人。
大切な家族。
大切な友人。
もう、失いたくない。
――そのために、僕が出来ることを。
「いや――なんでも、ないんだ」
父も兄も、弟たちも、その友人も正義感が強くて、闇の勢力とは正反対に位置する者たちばかりだ。
でも、それだけではだめだということに、父は気づいていない。
いざとなったときに守るためには、彼らと同じ場所にいてはだめなんだ。
たとえ誤解されても。
たとえ、反発と反感を食らおうと。
裏切り者と呼ばれようと、僕には守りたいものがある。
欲しいのは名誉じゃない。
誇りでも、力でも、名声でもない。
愛すべき、大事な人たち――。
大切な命。
「パーシー？」
「なんでもないよ。――ごめん」
不安そうな彼女を安心させるように僕は笑んで、軽く唇を重ねた。
「遅くなってしまったね」
立ち上がり、彼女の手を取った。
「行こう――」
「パーシー」
引いた腕を引き返されて、僕は振り返った。
夕日を背に立つ彼女は、少し怒ったように僕を見ている。
「どうした？」
「何も聞かないけど……。私は、あなたを信じているから」
「――」
ペネロピーは、ふわりと目を細めて笑った。
「信じているから。あなたが思うとおりにしていいのよ」
「……」
僕は、泣きたくなる。
「――ありがとう」
ありがとう。
決して失わせたりはしないと――。
そのための決意。
――僕は道化となる。
大切な者を守るために、愚か者を演じてみせる。
最後の最後で、大切な者を守るために。
たとえ、それで僕の命が失われようと、大切なものを失うよりいい――。
もう、これ以上、失いたくないから。
ペネロピーが、くすりと笑って手を引いた。
「行きましょう。夕食に監督生が二人も遅刻したら大変よ」
「ああ――」
この温もりを記憶だけのものにしたくないから。
僕は背筋を伸ばし、まっすぐに前を向いて歩いた。
了
2005.08.17