ハリー×ハーマイオニー
『ハロウィン』
18時から四寮主催で行われるハロウィンパーティーのため、ホグワーツには在校生だけでなく、卒業生など多くの魔法使いが集まっていた。前半は下級生たちが「トリックオアトリート！」と言いながら広間や中庭を回ってお菓子をもらい、後半は大人たち限定でダンスパーティーが行われる。
開始まであと30分。
常ならばうるさいフクロウの鳴き声も、今日はかき消されがちだ。
「ハリーったら、どこにいるのかしら……」
私は大きな溜め息をついた。
参加者全員が仮装するので、いつもなら簡単に見つけることが出来る友達すら見つけるのは至難の業だ。どこの寮かひと目で分かる印をつけている生徒もいれば、どこの寮なのか、また誰なのかもわからない姿の人もいる。
「やあ、ハーマイオニー！」
グリフィンドール寮近くのトイレを通り過ぎたとき、背後から狼面のマスクを被った男性から声をかけられた。
「いや、アリス、か」
狼男は気安く笑った。
私は不思議の国のアリスを意識した衣装なので、他の人からは私が誰かはすぐに分かってしまう。
ハリーの親友ということもあってか、私の名前を知る人も多い。
どこかで聞いたことのある声だけど、誰だったかしら。
「探し人かい？」
「ええ」
「僕もだ。赤頭巾を探しているんだよ。見なかった？」
「見なかったわ。私もウサギを探しているの。見かけなかった？」
「ウサギかあ。可愛くて美味そうなウサギならほら、目の前に」
狼面が目前に迫ってきて、私はビクリとしてしまう。だが、マスクの奥からのぞく瞳には見覚えがあった。元グリフィンドール寮の生徒でクディッチチームのキャプテンだったオリバー・ウッドだ。
私が彼の名前を口にしようとすると、彼は毛に包まれた指を私の口に立てて、黙っているように無言で指示を出す。私はこくりとうなずいた。
ウッドはホグワーツ卒業後にプロのクィディッチチーム「パドルミア・ユナイテッド」の選手になった。今は二軍の選手だが、来年にも一軍に上がると噂されている。
ウッドは優しく笑った。
「ウサギはハリー？」
「ええ」
「見なかったなあ……。ウサギを見つけたら、かわいいアリスが探しているって伝えておくよ」
「ありがとう。私も赤頭巾ちゃんを見つけたら逃げるように伝えるわ」
にっこり笑うと、ウッドは楽しげに笑って私の頭をぐりぐりと撫でた。
軽く手を振って分かれると、私はグリフィンドール寮の方へと足を向けた。
アリスがウサギを探して走り回るなんて、本当に不思議の国のアリスのよう。周りにはトランプの兵士もハートの女王もいないけれど。
ホグワーツの寮の入り口にいるはずの番人は姿が見えない。太った夫人もこの日ばかりはどこかのパーティーに参加しているのかもしれない。その代わり、主のいなくなった額の中にある絵のなかに「合言葉は？」と書いてある。私がそれに答えると、グリフィンドール寮への道が開いた。
「ハリー、いるの？」
談話室に人の姿はないが、室内はほんのりと暖かく、オレンジ色のカボチャや蝋燭によって照らされている。
いないのかしら。
でも、と思う。
他にハリーのいる場所が思い当たらない。
私は普段は決して入ることのない男子寮に続く扉に手をかけた。開かないかも、と思ったけれど、扉は簡単に開いた。女子寮のほうは女性しか入れないような呪が掛けられているという噂だ。
「けっこう無用心ね……」
談話室とは違って階段は冷えて真っ暗だった。だが、延々と続きそうな塔の階段は、一歩進むごとに蝋燭が灯って道を照らしてくれる。それが「あがってもいいよ」と招いてくれているようで、少しだけ気持ちを落ち着かせることができた。蝋燭の光。これもハロウィン仕様なのだろうか。いつもよりオレンジの色見が強い感じがする。
ハリーとロンたちが同じ部屋だということは聞いていたが、場所までは分からない。でも、なんとなくいくつもの部屋を通り過ぎて、私はひとつの部屋の前で足を止めた。小さな物音が聞こえてきたわけでもなく、気配がしたのでもなく、霊的な何かに導かれたような感覚。
ドアを開けると、月明かりで室内が照らされていた。
いくつもベッドが並ぶ大部屋。
長く足元まで伸びた影が動く。
キュイと鳥の鳴く声にハッとした。最奥の窓辺に止まり木があり、白いフクロウが止まっていた。
「ヘドウィグ」
私は息を吐いた。動いたのはヘドウィグだったのだ。ここがハリーの部屋であることは確からしい。
止まり木の下には鳥かごや見慣れたトランクもある。
「ハリーを探しているのよ。どこにいるかわかる？」
手紙を運ぶフクロウたちにとって、探し人を見つけるのは天職のようなものだ。
ヘドウィグはここだとハリーの居場所を知らせるようにバサリと片方の羽根を開いた。
月夜に照らされたベッドの多くがパーティーのための支度で選ばれなかった服に埋もれているが、その中のひとつで、もぞりと何かが動いた。
「ハリー」
私は笑った。
透明の空間に、ウサギの耳だけがぴょこんと浮かんでいる。
「耳が隠れていないわよ」
「ハーマイオニー」
透明マントが滑り落ちて、ウサギの耳にホールボーイの格好をしたハリーが苦りきった顔で姿を現した。ベッドの上で膝を抱えて座っている。
「ここは男子寮だよ」
「女子寮だったら大問題よ、ウサギさん」
私は大部屋の中に足を踏み入れ、ハリーのほうへと歩いていく。
「ずっと隠れているつもりだったの？」
「予定ではね」
胡坐をかいたハリーが手を差し伸べてくれるので、私は微笑んで彼の手に自分のそれを重ねた。
ハリーのベッドに上がってそのまま彼の手を握ったまま隣に寝転ぶと、ぼすん、と枕に顔を埋めた。
「探し疲れたわ」
大きく息を吐いて空気を吸うと、ハリーの匂いがした。
「よくここまで入ってこれたな」
「入れてくれたのよ」
「太った婦人が？」
「ちがうわ、寮が」
ふふ、と笑ってハリーの方へを顔を向けた。
「側にいてあげなさい、ってことだと思うわよ？」
ばつが悪そうな顔をするハリーに私は微笑んだ。
今日は魔法界にとっては特別な意味を持つ。ヴォルデモートの恐怖が終わった日。
だが、ハリーにとっては両親を失った日だ。
「ウッドが来ていたわよ」
「そう」
「赤頭巾を探していたわ」
「赤頭巾？」
「そう。食べるためにね」
ハリーは意味が分からなかったらしい。軽く首をかしげている。
私はハリーの手を握ったまま、軽く揺らした。
「ハロウィンパーティーは楽しくない？」
「……」
もしハリーがひとりにしてくれと言ったとしても、私は素直に従わないつもりだった。こんな日だからこそ、側にいてあげたい。
一緒にいたい。
「いいことを教えてあげましょうか」
「なに？」
「んー。やっぱり言うの止めーた」
「ハーマイオニー」
「だって、ハリーはずっとここにいたいんでしょう？」
「気になるから言って」
「そうね。……これを聞いたら、ダンスパーティーに出る？」
「出ない」
「じゃあ言わないわ」
私はハリーから顔をそらして、逆の方を向いた。
「ハーマイオニー」
ハリーが私を覆うように身体を倒してくる。
「言って」
耳元で囁かれて、背筋がゾクリとした。
「い、言わない」
「じゃあ、言わせる」
ハリーが私の耳に口付けて、名前を囁いてくる。
「ハーマイオニー」
「ダ、ダメ！ 絶対に言わない！」
「言って」
「だめーーーー！」
「おかしいなあ。シリウスからこうすれば一発だって聞いたのに」
くくく、とハリーが笑って身を起こした。
「嘘。言わなくてもいいよ」
ハリーが優しく言う。さっきのウッドみたいに、私の頭をくしゃりと撫でて離れた。
「僕はここにいるから、ハーマイオニーは楽しんでおいでよ」
「……」
私はがばりと身体を起こして、スカートの裾を押さえた。
驚くハリーに向き合って正座。膝の上で拳を握る。
「踊りたいわけじゃないの」
「うん」
「その、ね。シリウスに聞いたことなんだけど」
「シリウスに？」
ハリーの顔に初めて「興味」が浮かぶ。それがなんだか悔しかった。
「ホグワーツのハロウィンパーティーって、あなたのお父さんが始めたのよ」
「父さんが……？」
ハリーの目が丸くなった。
「そう。前半のお菓子配りも、後半のダンスパーティーも。ホグワーツにあるお祭りのほとんどはあなたのお父さんやシリウス、ルーピン先生たちが企画したものなのよ。みんなで楽しめるようにって」
もっとも、シリウスに聞いたところによると、ダンスパーティー自体はハリーのお父さんがお母さんと踊りたいがために企画した……というのが真相らしいけど。
「そっか……父さんやシリウスが……」
ハリーが遠くを見るような懐かしい顔をする。
写真だけで見る両親の姿を思い出しているのかもしれない。
「ねえハリー。明日はケルト民族にとっては新年の始まり。イブの今日は先祖の霊が帰ってくる日でもあるのよ。いま、ここにはハリーのお父さんやお母さんもいるのかもしれない。二人は、あなたがここにいることをどう思うかしら」
「……」
「息子が哀悼しているより、楽しく笑っていたほうが喜ぶんじゃないかと思うんだけど」
「……うん」
そうかもしれないね、とハリーは呟いた。
私は笑い返したけれど、もしも私がハリーと同じ立場だとしたら、両親が亡くなった日に笑って楽しく過ごすことなんて出来ないに違いない。
なんてひどいことを言ったのだろう、と思う。
でも。
ハリーは笑うのだ。
「目の前にこんなに可愛い子がいるのにダンスに誘わないなんて、俺の息子なのに、って言われちゃうかな」
「きっとね」
私が笑うと、ハリーは口角を上げるとゆっくりと上体を前にして、私の唇に自分のそれを重ねた。
「不思議の国のアリスとウサギはキスをするんだっけ？」
「そんな話じゃないわよ」
くすりと笑ったとき、外から誰かが階段を上ってくる足音が聞こえてきた。
心臓が軽く１０センチはジャンプした。私がわたわたしていると、ハリーがすばやく私を引き寄せて透明マントを被った。
私の姿が隠れたのと、扉が開いたのはほぼ同時だった。
私は肩を抱き寄せられて、ハリーの胸に頭を押し付けられている。
ハリーの心臓の音が聞こえてきて、私の心臓もまた高鳴った。
「こんな日に忘れ物するなんてどうかしているよ！」
ぶつぶつと文句を言いながら入ってきたのは、ディーンとシェーマスだった。
身を硬くする私の肩を強く抱いて、大丈夫、とハリーが囁いた。私にだけ聞こえるような声だったけど、それでも二人に聞こえてしまうんじゃないかとドキドキしてしまう。
二人は軽い言い争いをしながら、ダンスパーティーに向かうため部屋を飛び出していった。
バタン、と大きな音がして静寂が訪れると、私はようやく肩の力を抜くことが出来た。
私はハリーにもたれて脱力した。
「心臓が止まるかと思った……」
ハリーは何がおかしいのか、肩を揺らして楽しそうに笑っている。緊張が緩んだせいだということは分かるけれど。
「もう、何がおかしいのよ」
「驚いたから」
「そりゃ驚くでしょ」
「そうじゃなくて、君の慌てっぷりがさ」
ハリーは「きゃあ」と小さく叫んで、両手を右に左にうろうろさせた。さっきの私を真似ているつもりらしい。ホント憎たらしい。くくく、と笑い続けているハリーの胸を私は叩いた。
ごめんごめんと笑いながら謝って、ハリーは改めて私の前に手を差し出してきた。これから戦いに挑むときみたいに真面目な顔。
「可愛いお嬢さん、これから一緒に踊っていただけますか？」
「……」
ドキドキする私に、ハリーは片目をつぶった。
「こんな感じでどう？」
私は掴んだ枕をハリーの顔にぶつけて、ベッドから離れた。
「ひとりで踊ったら？」
「うそ、本当に可愛いと思ってる」
「信じない」
歩き続ける私の隣にハリーが並んで、入り口で私の顔を覗き込んできた。
「嘘は言わないよ」
「……」
「ハーマイオニー、一緒に踊ろう」
にっこりと笑うハリーの顔には、無理した様子は見られない。少しだけホッとして、私は小さく呟いた。
「……今日はアリスよ」
「じゃあアリス、一緒に踊ろう。いや――踊ってください」
差し出してくる手は大きく、ハリーはそのままの状態で私の反応を待っている。
両親の命日だからと、ひとりでいることを選んだ彼が悲しかった。
私もロンも貴方の側にいるのよ。
忘れないで。
ハリーの手にそっと指を重ねると力強く握り返してきてくれた。
嬉しそうに笑う彼に、私も笑みを返す。
ハリーは私の手を取ったまま、先に歩いて階段を誘導してくれる。ウサギの耳がぴょこんぴょこんと揺れて、蝋燭が灯る長い大段を影が揺らす。
長く伸びた二つの影。
入ったときには寒かった階段も、今はとても暖かかった。
「ハリー」
振り返った彼の手を握り返す。
「ありがとう」
私の言葉に、ハリーはきょとんと瞬いて、
「それはこっちのセリフだよ」
おかしそうに笑った。
了
【ハロウィン企画】
2009.10.31