ジェームズ×リリー
『忘れ物』
「あれ？」
教室へ移動する最中、突然立ち止まり、やっべ、とつぶやいたシリウスに、ジェームズが小首をかしげた。
「どうした？」
ぱたぱたと、シリウスは自分の胸や腰、主にポケットのあたりを叩いている。
「ナイフ落とした」
「どこで」
叔父からもらったという万能ナイフを、シリウスが大切にしていることをジェームズは知っている。
「捜しに行こうか？」
「いや――」
シリウスは持っていた教科書とノートを親友に押し付けた。
「多分、さっきの教室だ。上着脱いだときに落としたのかも」
「じゃあ、先に行ってる」
「ああ」
片手を上げながら、シリウスは踵を返した。
前の授業は魔法薬学だ。薄暗い地下の教室まで一分もしないうちにつくと、次の授業がないのか、教室はシンと静まり返っていた。
シリウスは自分が座っていた席に向かい、椅子の下に折りたたんだナイフが落ちているのを見つけて胸を撫で下ろした。
長身をかがめてナイフを拾ったとき、目線の先に折りたたんだ紙が落ちているのに気づいた。ゴミと思えなかったのは、それが綺麗な便箋だったからだろう。
「なんだ？」
シリウスが四つ折りのそれを拾い、軽い気持ちで開くと、そこに書かれていたのは時間割だった。
女の字だとすぐにわかる。読みやすく、細くて綺麗な文字。表になっている時間割は、いくつかの授業が赤いペンで丸く囲ってあった。
「さっきの授業に出てたやつか？」
今の授業も赤丸で囲んである。
座っていた場所は自分たちの斜め後ろだ。前ならばともかく、後ろに座っていたのが誰なのかまではわからない。
だが、次の選択科目も同じだ。それならば、そのまま持っていって聞けばいいか、とシリウスがそれを胸ポケットに入れたとき、教室のドアが大きな音を立てて開いた。
はあはあはあ、と大きく肩で息をするのは、リリー・エバンズだった。
「リリー、どうした？」
「シリウス……？」
呼吸が整わないのか荒い呼吸をしたまま、赤毛の少女はヨロヨロとシリウスに向かってくる。――いや、正確には自分が先ほど座っていた席に向かって。
リリーは自分が座っていた席を覗き込む。机の中、椅子の下、周囲。
漏れたのは落胆の溜め息だった。
「何か落としたのか？」
「え――ええ」
「俺も」
落としたナイフを軽く振るシリウスに、リリーが笑んだ。
「なにを落としたんだ？」
「え――」
「捜しているんだろう？」
ジェームズに知らせたら、きっと彼女のために必死に見つけ出すだろうと思ったときだった。
「あ！」
リリーの目が、シリウスの胸ポケットに入った便箋の紙に釘付けになった。
「それ」
「あ？ ――ああ、これ、お前のか」
シリウスは便箋をリリーに手渡した。
「ありがとう……」
リリーの顔が紅潮している。
「あ……あの、中……見た？」
ふだん明朗で快活な少女のあまり見ることのない姿に、シリウスはきょとんとした。
「時間割だろ？ 手紙とかじゃなかったぜ？」
「そ……」
リリーは反射的に顔を上げて、恥ずかしげにうつむいた。
「……うん」
「見ちゃまずかったか？」
「え？ ――ううん、違うの」
リリーは真っ赤な顔のまま首を左右に振った。
「――じゃあ、私、次の授業があるから行くわね。拾ってくれてありがとう」
ニッコリと笑むと、リリーは便箋を大事そうに胸に抱えたまま、そそくさと教室から出て行った。
シリウスは怪訝な表情で小首を傾げた。
「……なんだ？」
変なヤツ、とつぶやいたシリウスは、自分もまた次の授業があることに気づいて慌てて教室を飛び出した。
シリウスがマグル学の教室に着くと同時に始業のベルがなった。
「セーフ！」
ジェームズが笑った。彼の隣に腰をおろしたシリウスに、小声で囁いた。
「あったの？」
「ああ」
リリーと会ったことを口にしたらジェームズが羨ましく思うかも……と思ったシリウスは、ふと教室内を見回した。
「リリーは？」
「え？」
「リリー・エバンズ」
「リリーはいないよ。今は水晶占い」
「だって……」
「リリーがどうかした？」
「いや……」
確かにあの時間割だと、今の時間は「マグル学」と書いてあったのに。
ジェームズが眉を寄せた。
「リリーに何か？」
「別に」
「シリウス」
ジェームズが睨んでくる。何かあったんだね、言わないと後が怖いよ――と。
シリウスは溜め息をついた。
「……今、会った」
「え！ どこで」
「魔法薬学の教室」
「残ってたの？」
「ちがう、時間割の紙を落としたらしい。ちょうど俺が拾ったところに来たんだ」
「なんか話した？ 口説いてなんていないだろうな」
「ばーか」
シリウスは苦笑して、親友の額を小突いた。リリー・エバンズのことになると独占欲が強くなり、急に心が狭くなる友人を半ば呆れつつ――。
「焼きもちやいてるんじゃねえよ。あいつもこの授業をとっているのかと思っただけだ」
「とってない。リリーの授業は全部把握してる。さっきは同じだったけどね」
「はいはい。――あ」
シリウスはある事実に気づいて吹きだした。
「なるほど」
くくく、と笑うシリウスを、ジェームズが怪訝そうに見つめてくる。
どこかで見たことがあると思ったら、あれは自分の時間割と同じなのだ。つまり、ジェームズと。
あの赤丸は、リリーが選択している授業とジェームズがとっている授業が同じということを意味するのだろう。
「素直じゃないねえ」
「なにが」
「お前じゃないよ」
シリウスは、顔を真っ赤にしていた少女を思う。たかが時間割、されど――ということか。
シリウスは、ジェームズを見てニッコリと笑った。その収まりのつかない髪に手を乗せて、よしよし、と撫でる。
「良かったな、ジェームズ」
「なにが」
「良かった良かった」
「なにがっ」
「がんばれよ」
「なにがだっ！」
「ジェームズ・ポッター、シリウス･ブラック」
静かな声が頭上から降ってくる。
視線を上げると、マグル学の教授がニッコリと笑顔で立っていた。
静まり返る教室。すでに授業が始まっていたことを失念していた――。
「安心なさい。減点はしません」
その手には、四つのバケツ。
「マグル界ではこういうとき、水の入ったバケツを持たせて、廊下で立たせるものと決まっているのですよ――」
了
【親世代好に57のお題／030】
2005.04.04