同年代設定
『ひざまくら』
柔らかい風が吹く、ホグワーツの丘。
丘の上には針葉樹が一本。その下で、金色の光がキラキラと輝いた。ふんわりと、綿毛のような髪は淡い金。そこにヘルガ・ハッフルパフがいるのだとすぐにわかる確かな目印。
風が柔らかいのも、きっと彼女がいるからなのだろう――そんな気さえしてしまう。
「ゴドリック」
背後からかけられた静麗な声に、俺は振り返った。
陽光の下で、銀糸が輝いた。すらりとした肢体で立つのはロウェナ・レイブンクロー。細く、癖ひとつない髪は川の流れのように真っ直ぐで、かすかな動きにもさらりと音を立てる。玲瓏な容貌は、あまり「喜」の感情を出すことがなく、氷のように冷ややかだった。
だが、俺は、初めて彼女を見たときの思いそのままに、心臓が高鳴っていく。
彼女から話しかけてくることは、とても珍しく。
俺はまぶしさに目を細めた。
「ロウェナ」
「どうしたの、ぼうっと突っ立って」
怪訝そうに顔をしかめるロウェナに、俺は笑んで、黙ったまま丘の上を指差した。
「……？」
ロウェナが怪訝そうに瞬いた。指の先に目を向けると、彼女の透けるような長い睫毛がピクリとゆれる。ぴくぴくぴく……。端整で小さな彼女の口が、ひとつの言葉を紡いだ。
「ヘルガ」
「と、サラがいる」
視線の先、柔らかい光の下には、ヘルガのほかにサラザール・スリザリンがいるのだ。ヘルガの膝を枕にしている男が。
それは、人を嫌う孤高の野良猫が、人に懐いているに等しく。
「……いちいち言わなくてもわかるわよ」
ロウェナの機嫌は悪くなる。丘の上を睨みつけたまま、さらにぶつぶつとつぶやいた。きっとサラザールを呪う言葉でも口にしているのだろう。宿敵を見るような目で、ロウェナはサラザールを見る。彼女はヘルガが大好きなので、親友を独占する男が許せないのだ。
「――足、しびれねえのかな」
俺が疑問を口にすると、ロウェナの眉間に皺が出来た。きれいな顔なんだから、あまり険しい顔をしないほうがいいのに――。
「しびれるに決まってるでしょ」
「だよなあ」
「ときどきヘルガを抱いてくるじゃない」
「ああ――うん。お姫様抱っこで。珍しいよな」
そして、そのまま眠っているヘルガを寝台まで運ぶことが多かった。
「で？」
ぴくり。ロウェナの眉が上がった。そこまで説明しないと分からないのか、と彼女の表情が物語る。
「足がしびれて動けないからよ！」
「ああ！」
なるほど、そうだそうだ。俺は手と拳を打ち鳴らしてうんうんとうなずいた。
でも、何度もそれがあるということは……。
「確信犯？」
「それ以外のなにが！」
「てっきり、そこらで眠っているヘルガを見つけたサラが、運んでいるだけかと」
「――」
あんたはもう……とロウェナは肩を落とした。
「そんなわけないでしょう」
「――だよなあ」
俺は声を出して笑った。
ヘルガのことだ。おそらく、運んでいる途中で寝てしまうのだろう。猛獣の腕の中であんなに安らかに眠れるのは、ヘルガだけに違いない。いや待てよ？ 蛇に睨まれた小動物のごとく、まさか、気絶しているんじゃないだろうな――なんて冗談は、ロウェナの手前、口にできない。
サラザール・スリザリンがヘルガのそばを心地いいと思うように、ヘルガにとってもサラの腕の中は心地いいのだろう。
「いいなあ……」
思わずつぶやくと、ロウェナが俺を見上げてくる。
「ひざまくら。男のロマンだ」
「……」
さらに、足がしびれた彼女をお姫様抱っこで運ぶのだ。うん、それはいい！！
「なあ、ロウェナ」
「なによ」
「なあなあ」
「……だから、なに、よ」
「ひざまくらしたい」
「……」
「ひざまくら」
「……」
「ひざ――」
ペシ！ とロウェナが俺の額を叩いた。
「うるさい！」
「ひざまくらひざまくら、ひざまく」
「しないわよ！」
「なんで！」
「なんでって、当たり前でしょう！ なんであんたと」
「ひざまくらひざまくら！」
「うるさい！ だったら別の人にしてもらえば？」
「別の人って……ヘルガ？」
「――――ああもう！ 分かったわよ！ すればいいんでしょ、でも今回限りよ！」
言い捨てると、ロウェナは丘の上に向かって歩き出した。ずんずん、と音がしそうな歩き方だ。ロウェナの長い髪が左右に揺れる。だが、もっと揺れていたのは、俺の心の尻尾に違いなかった。
――よし！
無言でガッツポーズをすると、俺は慌ててロウェナの後を追った。
「ロウェナ、ゴドリック――」
丘の途中で俺たちの姿に気づいたヘルガは、声の届くところまで行くと、サラザールを起こさないくらいの囁きで、嬉しそうに目を細めて俺たちの名を呼んだ。
「二人ともどうしたの？」
「この馬鹿もひざまくらをしたいんですって」
この馬鹿、とロウェナは俺を親指で差す。
にっこりとヘルガは笑った。へにゃ、と崩れるような笑みだ。
「そっかあ。今日はすごく気持ちのいい風が吹いているもんね」
俺たちは、ヘルガの膝で眠りに落ちている黒髪の男を見つめた。あれほど人の気配に敏感な男が、熟睡している。
「すげえな」
「いつもいつも早朝まで起きているからよ」
ふん、とロウェナは鼻を鳴らした。
「いつまで寝かせておくの」
「日が暮れ始めるまで」
「じゃあ、そのときに私たちも起こして」
「いいよ」
「ヘルガ、足がしびれる前に起こしなさいよ？ その馬鹿を甘やかす必要なんてぜんぜんないんだから」
「んっ」
ヘルガは元気に笑うが、おそらく足がしびれたとしても日が暮れ始めるまでは起こさないだろう。
それが分かるのか、ロウェナは軽く肩をあげると、俺の袖を引いて幹を回り込んだ。ちょうどヘルガたちがいる反対側だ。しばらく視線を上下に彷徨わせた彼女は、これから日が移動しても陰のままの場所を選んでそこを指差した。
「ここがいいわ」
「うん」
「……」
「……」
「なに突っ立っているの、早く座って」
「え？」
俺は慌てて、彼女が指差した場所に座った。胡坐を組み、ロウェナを見上げる。
「ここでいいか？」
「ええ」
ロウェナが前のめりになると、長い髪がさらりと揺れて、俺のひざにかかった。
あれ？ と思う間に、ロウェナは草の上に腰を下ろして、上半身を倒した。頭が俺のひざに乗る。心臓が高鳴った。
あれ？
「……ロウェナ」
「硬いわねえ」
ロウェナは頭を左右に揺らして、居心地のいい場所を探している。
あれ？
あれ？？
そのうち、ぴた、と頭の動きが止まった。ロウェナは目を閉じると、ふう、と身体の力を抜くように息を吐いた。
「――まあ、悪くはないわね」
あれえ？
「ロウェナ」
「なによ」
「ひざまくら……」
「したかったんでしょ？」
「いや……その」
俺がしたかったのは、する方じゃなくて、してもらうほうなんだけど……。
「あんたの足がしびれても、運ばないからね」
背後で、くすりとヘルガが笑った。
「……」
俺は、先ほどヘルガがサラザールにしていた行為を思い出し、恐る恐る、ロウェナの髪に手を伸ばした。そっと触れると、柔らかい髪が指の間をさらりと流れていく。
――うわ。さらさらだ……気持ちいい……。
いつもなら触れると嫌そうな顔をするのに、ロウェナはおとなしく目を閉じたまま、まるで毛を撫でられる動物のように動かない。
かわいい……。
俺はすごく感動した。
ヘルガが言うように、本当にここは風が心地よくて。
ひざの上の彼女もまた気持ちがよさそうに目を閉じている。
――ま、いっかあ。
俺は笑うと、ロウェナの頭にそっと手を添えた。
了
2005.08.31