ネジ×ヒナタ／和泉さま
『かみかくしの宵』
ドンドンと太鼓が鳴る。カンカンと鐘が鳴る。きゃらきゃらと賑やかな声が、そこかしこから聞こえて同じ方向へ流れていく。祭り独特の空気が里を包んでいる。誰もが浮かれる空気だが、ヒナタは居心地の悪い思いをしていた。いつもヒナタは周りが盛り上がるほどにひとり置いてきぼりにされたように感じる。
里の人々がスムーズに神社に流れていくなか、ヒナタはひとり道端で足を止めていた。道は暗く、外灯もない。屋台はもっと先からしか出ておらず、ヒナタは背後の格子とほとんど同化して目立たなかった。
家族や友人、恋人たちと連れ立っていく人々は、道端のヒナタに気づかない。素通りしていく人々を見て、ヒナタは幽霊にでもなったようだ、と思った。
誰の目にも止まらず、視線がヒナタを上滑りしていくのは今にはじまったことではない。目立たず、宗家の人間としての力量もなく、積極的にもなれないヒナタを日向の当主は見切りをつけている。そのことを寂しいと思う時期はとうに過ぎていた。妹を選んだ父を当然だと思っている。恨む気もない。
ドンドン、カンカン。
太鼓と鐘にあわせて笛が鳴り始めた。
風のような笛の音に、子どもたちが「はやく、はやく」と親の手を引っぱる。親はなおざりな態度で返事をしながらも、少しだけ足をはやめた。ヒナタがじっとその親子を見送っていると、馴染んだ人の気配が近づいてきた。
「……ネジ兄さん」
「待たせた」
短く言ってネジは先ほどまでヒナタが見ていた方を同じように見遣った。白眼の薄い色の眸が、あの親子連れを見たときにこぼしたヒナタの思いを見透かしたようで、ヒナタは焦って「なんでもない」と誤魔化した。もちろん彼がそんな言葉で誤魔化されてはくれないと、よく知ってはいたけれど。
ネジは困ったような寂しいような顔をしてうつむくヒナタを見つめると、わずかに躊躇ったのちに軽く頭を撫でた。
「え……あ、あの……？」
「何でもない」
行くぞ、とうながされ、ヒナタはとまどいながらもネジについて歩き出した。
ネジの隣から半歩さがった位置が、ヒナタの定位置だった。隣に、とネジは言うのだが、ヒナタは彼に気後れして隣に並ぶことができなかった。そうすると彼は小さく溜め息をつくのだが、ヒナタの気のすむようにしてくれる。
今年から暗部の仕事をするようになったネジの後ろ姿は、半歩の距離しかないというのにヒナタにははるか遠くにあるように見える。手をのばせば届くように見えて、あとほんの少しというところで届かないようだ。だからヒナタは、せっかくネジとふたりでいてもうつむくばかりになってしまう。
――いつもそうだ。
きゅっと唇を噛んで、ヒナタは自分を情けなく思った。
嬉しい、幸せだと思った次の瞬間、それは不安に変わる。不安になる理由などないのに、決してその不安を消すことが出来ないでいる。漣(さざなみ)のように心を揺るがす不安に、まるで呼応するかのように太鼓が鳴った。ヒナタは覚えず身をすくめた。
祭りの夜は神隠しにあう子どもが多いのだと、誰かが言っていた。それを聞いた幼い頃のヒナタは、だったらわたしを連れていってほしいと思った。そうしたら誰も悩まずに、妹のハナビを宗主に選べるのにと思ったのだ。
祭りの夜、神社の暗がりをのぞいてみては「つれていって」と囁きまわった。そうしていれば、いつか闇の中からそっとヒナタの腕をひっぱっていくものがあるだろうと思っていた。けれどヒナタを連れていくものはいなかった。
時がたつにつれてそんなこともしなくなったが、かわりにヒナタは自分から宗家を出ることを考えた。妹に宗家の重責を背負わせることに心が痛んだが、それ以外にヒナタにできることが見つからなかった。
石造りの鳥居が見えてくると、同時に境内に山のように連なった灯が見えた。竹で組んだ足場に、千もの蝋燭が並んで明々と闇を照らしている。
ヒナタ、とネジが呼んで振り向いた。
「はぐれるから手を」
「え、あ……は、はい」
おそるおそる差し出した手を、ネジがぐいと引っぱってむりやり隣に並ばせた。
「ネ、ネジ兄さん！」
赤くなってうつむいた頭上で、楽しそうにくつくつと笑う声がした。
「こうでもしないとあなたは並んで歩いてくれないからな」
「だ、だけど……」
「もう慣れてもいいだろう。来年からは夫婦として並んでもらうんだからな」
はっとしてネジを振り仰いだ。彼は微笑している。
「今日、ヒアシさまにお許しをいただいた。式や一族への披露はまだ先になるが、とりあえず一歩踏み出せた」
茫然としたヒナタをネジが人波に逆らわずに端へと連れていく。
「大丈夫かヒナタ」
こくこくとうなずいて、ヒナタは手水舎の柱に背をあずけた。なぜか涙があふれて止まらない。
「ヒナタ……」
いたわるネジの声にヒナタは胸が震えるのを感じた。もう彼の隣にいることを咎められなくてもすむのだ。
あふれる涙をネジの手がぬぐう。ヒナタは彼に嬉しいと言いたかった。けれどあとからあとから涙があふれ、嗚咽がとまらない。
「兄さ、ん……」
もう大丈夫だ、というネジの言葉にヒナタはようやく自分の居場所を得たのだと思った。つれていってと囁かなくても彼がいてくれる。きっと迷子になっても彼はみつけてくれるだろう。
ドンドンと太鼓が鳴る。カンカンと鐘が鳴る。風のように笛が鳴る。祭り囃子にまぎれて、どこからか「つれていって」と囁きが聞こえた気がした。
ぼやけた視界の中で、櫓の光が神様のように神々しく見えた。
了