ペル×ビビ
『水の王妃』
彼女に初めて出会ったのは、母に連れられて、はじめて王宮に出仕したときだった。
母はアラバスタ王妃の侍女だったが、その王妃が、私に会いたいと言ったのだという。貿易商である父とともに、いつも海に出ていた自分には、個人的に呼び出される覚えがまったくなかった。
アラバスタでは、ちょうどひと月ほど前に王女が生まれ、国中が王位継承者の誕生に賑わっていた。だが、私の興味はその王女よりも、母親である王妃にあった。
砂漠の王国アラバスタにあって、豊かな水を思わせる青い髪の王妃。王妃はこの国の生まれではなかった。王妃の美貌は他国にも知れ渡っており、国王夫婦の出会いと結婚までの経緯は世界的にも有名だった。
その、砂漠の青い宝石を目の前に、私は硬直した。母が笑って背中を押す。
「ご挨拶なさい。王妃様と王女殿下よ」
「ぺ……ペルと申します、王妃様」
国王と初めて会ったときでさえ、これほど緊張はしなかったと思う。
王妃は柔らかく笑い、水を湛えた髪が日に透けて輝いた。
「こちらへ来てちょうだい、ペル」
澄んだ水を思わせるきれいな声だった。
窓際に座る王妃が手を差し伸べた。だが、反応できずにいる私を母が叱咤する。まるで機械になったかのようにぎこちない動きで、私は王妃に近づいた。
腕に抱くのは、生まれたばかりの王女だろうか。
王妃の手は伸ばされたままで、私はその手を恭しく取って、身をかがめると細い指にそっと口付けた。背後で母が満足げに息を吐くのが分かった。とりあえず、最初の難関は突破したらしい。
王妃はそのまま私の指をつかむと、そっと引き寄せた。自然、王妃の横に立つ形になってしまう。王妃は手を握ったまま微笑んだ。その目が腕の中の赤子に向かう。
「ビビと言うのよ。ペル」
産着に包まれた王女は、驚くほど白くきれいな顔立ちで、かすかに生えた産毛は、母親譲りの銀を思わせるほどの淡い水色。顔立ちはあきらかに母親似で、思わずホッとしてしまったのは国王に不敬だろうか。
「ビビ……さま」
王妃に言われるまでもなく、その名はすでに王国中で讃えられていたので知っていたが、口に出したのは初めてだった。
王妃は、私の手をそのまま王女の顔に近づける。
「お――王妃様」
「いいのよ、触れてあげて。この子には、多くの人に触れてほしいの。その手の暖かさを。人の優しさを。人の強さを知ってもらいたいのよ」
ちょん、と指先が桃のような頬に触れると、小さな目がぱちりと開いた。犬や猫ではないのだから目は見えているはずなのに、思わず見えていないのではないかと思ってしまうくらいにその目は動かず――。
「ビビ」
愛しげな母親の声に、ようやく視線が動いた。
「ぁう」
その声の響きに、心臓が止まりそうになった。声と共に、王女が笑ったから。
「ペルよ。ビビ」
「うぅ、ぁあーぅ」
うれしそうにキャッキャと笑う。小さな手が何かをつかもうと動いている。
ふふふ、と王妃が笑った。
「あの人やイガラムがいたら悔しがるでしょうね。ビビはペルのことが好きみたいよ」
私はなぜか誇らしく。全身の血が沸騰する気がした。伸ばされた小さな指に人差し指で触れると、ギュッと握られる。
「ビビ様」
愛しげに、その名をつぶやく。
そのときの感情をどういえばいいのか。
それは王族に対する敬愛だったのか。
それとも、小さな赤子に対する保護欲だったのか。
「ビ……、ビビ様」
なかなか放してくれない指に、どうしたものかと困っている私を、王妃が笑う。ころころと、喉を鳴らして。
――それが、最後に見た王妃の姿であり、私が次に幼い王女と出会うのは、２年後のことだった。
了
2002.09.05
ビビが王妃によく似ている容貌だということだけは確かなのですが、つまりそれ以外の、ペルとビビの出会いや両親とかはすべてオリジナル設定です。