ペル×ビビ
『誕生日』
「ペルーー！！」
小さな子供が私を呼ぶ。
チャカと剣を交えていた私は、声に振り返り、剣を地に差した。
青空のような髪に白い肌の王女は、危なっかしい走りで私に駆け寄ってくると、抱き上げてくれることを知っているのか両手をあげる。
私は彼女の望みどおりに彼女を抱き上げ、左で抱いた。剣を再び持ち、チャカに向かって構える。
チャカがニヤリと笑った。
「そこの姫をいただこうか」
「姫は渡さぬ。欲しければ奪ってみよ」
それは以前読んだ絵本に書かれていた台詞そのままで。
ビビ様がうれしそうに笑った。
「うばってみよ！」
ビビ様の声に、チャカが不敵な笑いを浮かべる。
「では。覚悟するがいい」
チャカの剣を私は受けた。一合、二合。高い金属音。反動が腕に重く響く。
ビビ様は私の身体にしっかと腕を回して抱きついている。
チャカの太刀筋は決して遊びと言えるほど緩やかなものではなく、私でなければ腕の一本や二本は失っていただろう。練習用の剣といっても本物の剣に変わりはない。だが、チャカがいつもより手加減していることは分かっている。王女を守る私より、王女を傷つけないように剣を振るうチャカのほうが大変に違いない。
もちろん、私のほうがより真剣ではあった。それは、ただの遊びではなく、実際に起こりうることの模擬であったから。
兵士たちが腕を休めて私たちを見ている。すでに、チャカと私の剣技は王宮護衛隊長イガラムに次ぐ腕前となっていた。
そのイガラムさんの悲鳴が聞こえた。
「ビビビビ！ ビビ様ーーーーー！！！！」
腕の中で、ビクッと子供が震える。イガラムさんがズンズンと音をたててこちらに向かってきた。まずは私とチャカの頭にたんこぶを作り、王女に向かって仁王立ちとなる。
「ビビ様！！ 危ないからここへ来てはならぬと何度も申しげましたぞ！！」
「やー！！ ペルとチャカと遊ぶんだもー！」
「ここは遊び場ではございませんっ」
王女の腰をつかみ、イガラムさんが私から引き離そうとする。
ビビ様は必死となって私の服をつかむ。
「やーなーのーー！！」
「ビビ様！！ なりませぬーーー！！！」
「やーーーーなーーーーのーーー！！！！！」
ギャーギャーと、程度の低い言い争いは毎日続く。私は苦笑し、チャカが笑う。
宮殿は王族の住居であるとともに、政の要。当然、子供の出入りなどあるわけがなく、それは、彼女が自分と同じ年頃の子供と出会うことがないことを意味する。
ある日、イガラムさんが読んだ絵本の中に「ともだち」という言葉が出てきた。だが、王女にはそれが理解できなかった。
「ともだちってなに？」
イガラムさんは言葉につまり、「ペルやチャカのことです」と言ったのだという。だから、彼女は私たちを見つけると駆け寄ってくるのだ。
「あそぼう！」
と元気に笑って。
幼い王女には広い王宮こそがすべてで、それ以外の世界があることを彼女は知らなかった。
宮殿内だけでも２歳の児童には広すぎる庭だろうが。
彼女は王宮を出ることを許されなかったのだ。
私は、王女の居場所を侍女たちに聞きながら宮殿内を歩き回った。本当にひとつ所にいたためしがない。同じ場所を何度も往復しながら、やっと見つけた王女は国王の書斎にいた。本棚には王が読む難しい本にまぎれて絵本が並んでいる。王女はそのすべてを直接床に広げて見ていた。
私が声をかけると、ビビ様が顔をあげてうれしそうに笑う。
「ペル！」
私は、駆け寄ってきた王女の目線に合わせて片ひざをついた。王女は抱きつきたい、という表情を隠して、腕を後ろで組むともじもじと身体を揺らす。
「どうしたの？ パパにごよう？」
「いいえ。ビビ様をお探ししていたのですよ。仕事はお休みです」
王女の瞳が輝いた。
王女が「おしごとのじゃましてごめんなさい」と私たちに謝りに来たのは三日前のこと。「友達ならば仕事の邪魔をしてはならん！」と、父親である国王から言われたらしい。
それからは、訓練の間も大人しく隅に座って見ているだけになった。私たちは、休憩になると王女のそばで身体を休めるのだ。王女にはそれがまたうれしいらしい。
チャカを山に見立てての登山、大きな体と格闘して肩車に成功すると、チャカの頭にピタッとしがみつく。
「ねえペル。ビビのおしごとはなあに？」
「ビビ様はまだ子供ですから、お仕事はありません」
「でもビビ、おうじょなんでしょう？」
「そうですよ。ですが、１４歳になり、立志式を迎えるまでは健やかにお育ちくださいませ」
「ビビもおしごとしたいの」
「ビビ様にも大切なお仕事がありますとも」
言ったのはチャカだった。
「ほんとう！？」
「おい、チャカ」
「ビビ様のお仕事は、たくさん笑って、たくさん泣いて、元気に挨拶することです」
王女が確認を求めるように私を見つめてくる。私はニッコリと笑って頷いた。
「うん！ わかった。いっぱいわらって、いっぱいないて、げんきにあいさつする！」
青空の下で王女が笑う。彼女の言葉に、チャカと私が笑い、周りにいた兵士たちもみんな笑った。
今現在、アラバスタの王家に仕えられることの喜びを誰もが感じていた。
「ペル……？」
私の左袖の中でもぞもぞと動く物体に、王女の目が釘付けになっている。興味心をはるかに超えた期待のような光が、その目に浮かんでいた。私は微苦笑をもらして、袖の中から大きな鳥を取り出した。
「一日早いですが、お誕生日プレゼントですよ」
クエ、と元気に鳥が鳴いた。アラバスタに存在する超カルガモという大型の鳥の子供だった。
大きな頭に丸い身体。全体は黄土色の羽で覆われ、手羽の先と目のふち、先の丸い嘴が黒い。嘴の上３分の２だけが鮮やかな橙色だった。細長い足が宙を掻き、クエ、クエ、と大きな嘴を開けて鳴く。
「それ、ビビにくれるの？」
「はい、そうです」
うわああああ、と王女の目や口が丸くなる。頬を紅潮させ、彼女の胸の高鳴りが今にも聞こえてきそうだった。
「超カルガモと申します」
「それ、なまえ？」
私は王女の腕に、超カルガモの子供を移した。だが、私にしては小さい鳥も、王女にしては大きく重たかったらしく、背を仰け反らせて抱きしめる。
「地上を走る、世界最速の鳥ですよ。名前はまだ付けていません。ビビ様がお付けになってください」
「ビビが！？」
「ええ」
私は笑った。
「超カルガモは頭のいい動物です。ビビ様の言葉を理解し、大きくなればあなたを背に乗せて走ることも出来るでしょう」
「空も飛べる？」
「空は飛べません。でも、あなたの友達ですよ」
「ともだち！！」
「ええ。いつでも、いつまでも一緒です」
「ともだち……」
ビビ様は腕の中の鳥を愛しそうに抱きしめた。
「ビビのともだち……」
クエ、と超カルガモが鳴く。うれしそうに。
カルー、と名付けたと、彼女がうれしそうに教えてくれたのは翌日。
王女の、３歳になる誕生日だった。
私がビビ様に「物」をプレゼントしたのは３歳のそのときが最初で最後。それからは彼女の求めに応じて、祝福の口づけだけを彼女に贈る。
それが途絶えた１４歳の誕生日。
一日早い誕生日プレゼントを王女がねだった翌日、書き置きひとつで、王女はカルーとイガラムさんとともに姿を消したのだった。
了
2002.10.03