フレイ×ファリス
『君二捧グ』
「可愛い」
聞いた誰もが腰の砕けるバリトンの美声で男が囁いた。
身長は見上げるほど高く、美声というだけでなく、その容貌も他の追随を許さない美貌の持ち主、フレイ・アルフォイ少佐。
もしもそれを囁かれたのがファリス・トリエでなければ、たちまち顔を真っ赤にして、言葉を失い、腰が砕けていただろう。
だが。
少佐の熱意も、情熱も、色気も、美貌も、美声も、視線も、少女の「鈍感と誤解」という壁の前にはなんら意味を持たない。彼にとって、そんな彼女の様子すら「可愛い」と思ってしまえるのは、ある意味幸せなことかも知れなかった。
ファリスが頬を紅く染めているのが少佐には嬉しい。
顔を近づけても避けないのが嬉しい。
彼女が自分を見る。笑う。色々な話をしてくれる。
自分の隣にいる。
ふふふ、と少佐は笑う。笑ってしまう。親馬鹿ならぬ、恋人馬鹿な自覚はあった。ファリスなら、目に入れても痛くない。
「可愛い」
「あ、あの」
ファリス嬢は、戸惑うばかり。
「可愛いね、ファリス」
少佐が囁く。
ファリスは自分がどういう顔をしていいのか分からなくなってしまう。普通にしていても可愛いと言われ、戸惑えば可愛いと言われ、きょとんとしても可愛いと言われ、アホの子のように口を開けば可愛いと言われる。怒っても可愛いと言うに違いない。ならば、どうすればいいというのか。
「あああ、あ、あの、少佐」
「ああ――ファリス、泣きそうな顔もなんて可愛いのだろう」
もし、このセリフがくすりと笑われて言われたならば、間違いなく「からかわれている！」と思ったに違いない。だが、男の顔はあくまでも真剣。本気でそう思い、本気でそう口にしているのが分かる。
ファリスは今までの人生で、男性からも女性からも「カッコイイ」と言われたことは幾度もあるが、「可愛い」などと言われた経験はなかった。もし、一生にもらえる「可愛い」という言葉の数が決められているとするなら、そのすべてが今、彼の口によってあっという間に語りつくされてしまうだろう。
「少佐、止めてください」
困ります、とファリスは言う。だが、そんな困ったファリスをも「可愛い」と男は言うのだ。タチが悪いにも程がある。
あああ、マリア、助けて。
――これが嫌いな男だったら一刀両断、「うざい」の一言ですむのにねえ、ファリスちゃん。
楽園の友達、唯一の既婚者である少女のセリフが脳裏をよぎる。
本当にそうだ、とファリスは思った。もっとも、ファリスの性格上、「うざい」なんて言葉で拒否などできない。
だって、ファリスはこの男が好きなのだ。好きだから、可愛いと言われて困れども、心底嫌――と拒否できないのだ。
彼から可愛いと言われることが嬉しい。
嬉しい……のだ、とファリスは思う。だからこそ、困る。
「少佐」
「フレイ、と」
名前で呼びなさい、と少佐は言う。そこには願望というよりも、命令じみた響きがあって。
「……」
ファリスはかすかに口を開くが、漏れた言葉は小さくて聞き取れない。
「なに。ファリス」
本当は、ちゃんと聞こえている。
「ちゃんと、言って」
――名前を。
「フレイ……」
「うん」
真っ赤になった少女に、少佐は心から笑った。
可愛い、ではなく、そこにこめられた、本当に伝えたい言葉を口にする。
さわやかに笑って。
「愛しているよ、ファリス」
了
【楽魔女的25のお題／12】
2006.01.14