堂上×郁
『今も昔も』
警備に出る前の事務室で、姿見に映った自分の姿を見てヘラヘラと相好を崩している部下を見つけて、堂上は呆れたように目を細めた。なにをやっているんだあいつは、と溜め息が漏れる。
「今度は何の練習だ」
郁の右後ろから鏡を覗き込み、気持ちが悪い、と付け加える前に、郁が飛び上がってキャー！と叫んだ。
事務所内にいた他の隊員たちがざわめく。
「馬鹿か！ お前はすぐに」
堂上は郁の頭を叩いた。何かあるたびにキャアキャアと悲鳴を上げられては、痴漢でもしているようじゃないか。
「だっていきなり現れるから」
「元からいたわ！」
郁はぷうと頬を膨らませた。
「そういうときは見ないふりしてください」
「勝手なことを」
職場であんな悲鳴を上げること自体どうかしている。班長である堂上だけでなく、他班の者から叱責を食らってもおかしくないが、図書特殊部隊においては、初めての女性――しかも若いとあって、タスクフォースの面々は郁に甘い。
甘すぎる、と堂上は思う。
思わず愚痴ると、うちは長いこと男ばかりだったからねえ、と小牧などは苦笑を返してくる。その上、郁に一番甘いのは他でもなく堂上なのだと言われた日には。
ふと、郁の右手がつい先日新しくなったばかりの階級章に触れているのに気付いて堂上は溜め息をついた。
「そんなに嬉しいか」
線が一本増えた階級章。
堂上の視線に気付いて、郁はてへっと笑う。
「うれしい」
その無邪気な笑みに、堂上は微苦笑を返した。
「よかったな」
頭に手を伸ばして改めて褒めてやると、郁は嬉しそうに頬を染めた。まったく、と堂上は思う。まるで犬のようだ。褒めて褒めて、と尻尾を振る。
可愛い――という単語が脳裏を走って、堂上はすぐに手を離した。
「教官」
郁の視線は堂上の階級章へと向けられている。カミツレが二つ付いたニ等図書正の証。
「教官のときも昇任したときは嬉しかったですか？」
「まあな」
「いいなあ、カミツレ」
溜め息をつく郁の額を堂上は拳で軽く叩いた。
「お前の場合、三正になって見計らい権限が欲しいだけだろうが。そんな危ない奴に簡単にやれるか」
「え！ ――あ！ そっか！ 見計らい権限がもらえるんだッ！」
「忘れていたのか！」
堂上の拳を頭に受けて、嬉々と輝いていた郁の顔はたちまち苦痛にゆがんだ。
「もーぉ、頭ぽこぽこするのやめてくださいよー。ただでさえ馬鹿なのに、もっと馬鹿になっちゃいます」
自分で言うな、と堂上はツッコむ。
「安心しろ。お前はもう馬鹿だから、それ以上馬鹿になりようがない」
「馬鹿馬鹿言うのも反対ー！」
「お前が先に言ったんだろうが」
時計を見た堂上は、行くぞ、と事務室を出、郁はぶつぶつと呟きながらそれに続く。
あれだけ絞られておきながら、まだ見計らい権限を行使する気満々なところが末恐ろしい。
――こちらは関東図書隊よ！
良化隊員に向けて発せられた彼女の言葉は、書店へと急ぐ堂上たちの所にまで響いてきた。
「図書館法第三十条に基づく資料収集権と一等図書士の執行権限を以て、図書館法施行令に定めるところの見計らい図書にすることを宣言します！」
本来、図書正以上にしか認められていない見計らい権限の文句を、一等図書士の分際で空で言えるあたりがありえない。
それと同じ文句を、最初に口にしたのは堂上だ。彼女はあれからその言葉をどれほど脳裏で繰り返していたのだろう――。
「教官！」
郁が堂上の横に並んだ。
「教官が三正になったのって何歳のときですか？」
「お前が入隊した年」
「……え？」
あ、と郁は口を開ける。
「そっか……」
堂上が図書大学校卒であることを思い出したのだろう。
図書隊が優秀な隊員を早期育成させるために運営していた図書大学校。堂上と小牧はその運営最後の卒業生だ。在学中から準隊員として扱われ、卒業後と同時に士長か三正に任命されるシステムだった。
「最初からカミツレ……」
「羨ましいか？」
く、と堂上が笑った。
横目で郁を見ると顔が紅潮している。眉を寄せ、ずるいと思っているのか、その道がなかったことが悔しいのか。
思わず堂上は目を和ませ、郁の頭に手を乗せた。慰めるようにくしゃりと一回軽く撫でる。
郁が図書隊員を目指したのは高校三年のときだ。あのまま図書大学校の運営が続いていれば、郁も入学を希望したに違いない。――まあ、手塚や柴崎ならともかく、郁が試験に合格できたかどうかは怪しいところだが。
「あ、あの？」
突然頭を撫でられ、何事ですか、と混乱している郁に再度笑う。
「お前は徐々に進んでいった方がいい」
郁は驚いたように堂上を見、
「……はい」
小さく頷いた。
急に大人しくなった郁はそのまま黙って隣を歩く。うるさかったり静かだったりの差が激しい。
女というのは、いったい、どういう思考回路をしているのだろう。
「あの、教官」
「なんだ」
何を言い出すのかと黙っていると、郁は堂上の袖を掴んだ。
「教官」
「だからなんだ。早く話せ」
「あたしが三正になったら、教官の階級章ください！」
「はあ？」
「教官が三正の時の階級章をください。――欲しいです。もしかして、もう捨ててしまいました……？」
「いや、まだあるが。お前には新しいのが支給されるだろうが」
「それはそうなんですけど、……その、そういうことじゃなくて……」
何か言いたそうな顔をするが、いろいろと考えた挙句、結局ひとりで結論付けたのか、それともまとまらなかったのか、郁は口に出さぬまま言葉を飲み込んだ。しゅん、と肩を落とした郁に溜め息をついて、堂上は立ち止まった。
「俺のでいいのか」
「え」
「階級章、欲しいんだろう？」
郁は呆けたように瞬き、こくこく、と慌てたように頷く。
まったく、と堂上は再び歩き出した。
「ボロいとか言ったら絞め殺すからな」
「言いません！ 絶対！！」
叫ぶように主張した郁に叫ぶなと注意しようと振り返り、堂上は慌てて郁から顔をそらした。
思わず顔が赤くなる。
――この、馬鹿。
なんて顔で笑いやがる。
堂上の動揺には気付かないまま、
「約束ですよ！」
郁は嬉しそうに笑った。
了
【恋したくなるお題／07. 今も昔も遠い未来もすぐ側に】
2007.03.28
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