榎木津×美由紀
『触れる許可』
こんなのはずるい。
「女学生君はここにおいで！」
ぽんぽんと自分のひざを叩いて、ニコニコと笑顔で手招く。
探偵の言動に、私だけがいつもあたふたとしている。
おいでと云われて、嬉しく思ってしまう自分がいやだ。
腕を引かれて――。
胸がドキドキして。
突然触ってくるから、いつも私はうろたえてしまう。
「ほら」
探偵の大きな手が私の腕を引けば、触れられた箇所を熱源にして、一気に体温が上がった。
まるで目眩のようにくらくらと。
心臓が高鳴って。
痛みを放つ。
「触らないでください」
私がそう云ったら、探偵は驚いたように目を見張った。
パッと慌てたように両手を離して降参したかのように手を上げる。
「ごめん」
いつも人に謝ることなどない探偵が、すぐに謝ってきた。
真剣な表情で。
「ごめんね」
「……ぁ」
私は探偵の顔を見て、言葉をつなげることができない。
探偵につかまれていた腕を胸に抱く。
とっさとはいえ、どうしてあんなことを口にしてしまったのだろう。
ごめんなさい――と謝らなくては。
探偵が困ったように私を見上げてくる。
どこか泣きそうな顔で。
どうしよう。この人を傷つけてしまった。
違うの。
そう云いたかったんじゃない。
謝らなくてはいけないのに、いくつもの言葉は喉に詰まって出てこなかった。
触って欲しくないなんて本気で思っているわけじゃない。
探偵の暖かい手も、大きな身体も、心地よい腕も、優しい声もみんな大好きだ。
触れられる痛みも、喜びも、すべてが嬉しくて。
でも、いつも私だけがドキドキしていて。
だから、そんなのはずるいと――。
言葉にならないかわりに、探偵に向かって右手を伸ばした。
探偵は、何が起きるのかわからないまま伸びてきた指先を見つめている。
私は探偵に一歩近づき、もう一歩近づいて、彼に触れる寸前で手を止めた。
「女学生君？」
止まった指先を、探偵の長い指がそっとつかんだ。
「なに？」
「……私も」
顔が紅潮していくのがわかる。
口にするのが恥ずかしくて、でも、云わなくてはと大きく息を吸った。
「私も……」
息を吐く勢いで口にしてしまおう――と思ったのに、結局出たのは音のない声。
「どうした？」
触れられている指先にすべての神経があつまっているかのよう。
探偵は、怪訝そうな顔で私を見ている。彼に誤解されたままなのはもっといやだ――と、それはわかっているのに。
私は探偵の顔を見ることができず、俯いたまま消え去るような声で云った。
「私も……探偵さんに触りたいです」
真っ赤になった私は、探偵の顔を見ることができない。それでも、一度口にしてしまえば呼吸が楽になった。
「私も、探偵さんに、触りたい……んです」
ずっとずっと、触りたいと思っていた。
探偵に触れたいと。
それなのに、いつも私だけが触れられてばかりで、私から探偵に触れることはできなかったのだ。
なんてことを口にしてしまったのだろう。
気づけば恥ずかしさのあまりここから逃げたくなってしまう。まったく反応のない探偵が気になって、うかがうようにそろりと視線を向ければ、彼は大きな目をさらに見開いてまっすぐに私を見上げていた。
「あ……あの」
動揺して、思わず一歩足が下がってしまう。それを合図のように、探偵の目がゆっくりと嬉しそうに細くなった。
ふふ、と探偵は笑った。どこかホッとしたように。
「いいよ」
まるで囁くように。
言葉を舌の上で転がすように探偵は云う。
握った指をくいと引かれて、私の身体は一歩探偵に近づいた。
「好きなだけ触りなさい」
握った指に顔を落として、探偵は私の指に口付けた。
「――ぁ」
まるで時が止まってしまったかのように、事務所内はシンと静まり返った。
やがて柔らかい唇が小さな音を立ててそっと離れた。
まるで騎士が女王に恭しく口付けるような優雅な仕草に、彼が元華族であることを思い知らされる。
私の顔は一気に紅潮した。
探偵は顔を上げて、口角を上げた。
「いつでもね」
そして、軽く小首をかしげる。
「――僕も触っていい？」
囁くような声。
顔が熱い。
いつも――。
いつまで経っても、私は彼にかなわないのだろう。
「……もう、触ってます」
探偵は声を出して笑った。
「うん！ そのとおりだッ！」
私は、嬉しそうに笑う探偵に手を伸ばした。
了
【恋をしている十の題 01】
2006.05.19
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