榎木津×美由紀
『透き通る』
チリリン……
薔薇十字探偵社に清涼な音が響く。
チリリン……
今までここで鳴る音といえば、探偵がドアを乱暴に開けたときや刑事が机を蹴ったとき、当人たちの奇声や怒声、下僕の悲鳴ばかりであったので、呉美由紀がもたらした風鈴に、益田も寅吉も思わず顔の筋肉が弛緩するほどに和んでしまう。
風が吹くたびに鳴るガラスの音色。
目を瞑って耳を傾ければ、漏れるのは安らぎの溜め息。
平和だなあ、と益田は思った。
この職場に今までなかったのは、こういう風流さだったのだ。
呉美由紀がガラス工房へと見学に行った際に作ったという手作りの風鈴には、可愛い絵が描いてある。笑っている人の顔とネコ。それが「榎木津礼二郎」と「京極堂の飼い猫」であることはひと目でわかった。
「これ、作ったんですけど」
風鈴を手に探偵社へと遊びに来た少女は、あまり上手く作れなかったので恥ずかしいと頬を染めたが、探偵の喜びようを見ればそんなことは問題ではないと分かっただろう。
今まで暑い暑いと口にしていた男は、嬉々としながら窓枠に釘を打ち、それを飾った。
その探偵は――。
「女学生君女学生君」
少女を手招くとソファーに座るように指示し、彼女の膝を枕に眠っている。
「暑くないんですか、探偵さん」
「暑くないよ」
榎木津は、冬は寒いからといって彼女を招き、夏は暑いからといって彼女を招く。
結局はただ美由紀のそばにいたいだけなのだと誰もがわかる。おそらく、分かっていないのは当の少女だけだろう。
益田も寅吉も、二人のことは見て見ぬ振り。会話は聞いて聞かぬ振りと決めている。
「そうですね」
美由紀がくすりと笑った。
「今日は気持ちのいい風が吹いているから」
美由紀は窓の外に目をやって、青空に目を細めた。その視線を益田も追う。
白いカーテンがふわりと風に揺れ、風鈴が鳴る。
「今年の夏は――」
美由紀の落ち着いた声。
今年の夏は――。
その先は、風に流れた。
暑くなりそうですねと云ったのか、涼しいといいですねと云ったのか。益田はそれを問うかのように美由紀へと視線を向けた。
「――！」
ドキリと胸が高鳴ったのは、美由紀がまるで慈母のような笑みを榎木津へと向けているからだ。
美由紀は榎木津の瞼の上に手のひらを重ねて光を遮っている。
榎木津の口元には笑みが浮かんでいて、本当に気持ちがよさそうだった。
目の疲労が激しい榎木津のために、美由紀がそうやっている姿をよく目にするようになったのはここ最近だ。
母親の手は癒し手というが、榎木津にとって美由紀の手はそれに近いものがあるにちがいない。
いや、と益田は苦笑した。
存在そのものに癒されるのか――。
今年も暑い夏になりそうだった。
どんな事件が待ち受けているのか、想像もつかない。
それでも――。
美由紀がいれば、いつでも清涼な風を運んでくれるだろう。
益田は笑うと、風鈴の音に顔を上げて目を細めた。
了
【古風気味な百の題目／034】
2006.07.30
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