榎木津×美由紀
『道連れ』
千葉県、房総の興津駅に降りると、磯の香りがした。
電車の中ではずっと寝ていたのだが、じっとしていた分、腰が痛い。大きく伸びをして、ふと反対側の停車場を見ると、電車を待っている女学生の集団が僕を見てざわめいた。中学生なのか高校生なのか。平日だから、帰宅するところなのだろう。僕がニッコリと笑うと、少女たちは顔を真っ赤にして口を覆う。
そして、その集団とは離れた奥に、目的の人物がいた。
赤いコートが鮮やかだ。巻きスカートにブーツを履いた少女が、長椅子に座って本を読んでいた。
「おーい！ 女学生君！！」
元気に手を振ると、「女学生」たちがキャアア……！ と嬌声を上げた。
顔を上げた赤いコートの少女――呉美由紀は、驚いたように口を開いている。
僕は停車場の端から階段を下りて反対の停車場に向かった。
「探偵さん……！」
美由紀が立ち上がって僕を待っていた。
「どうしたんですかこんなところに」
驚いた顔の美由紀が可愛いので、可愛いね！ と云ったら、美由紀は目を丸くして、小さく吹きだすように笑った。
「答えになってないですよ」
「勝浦の海が見たくなったのだ」
美由紀はきょとんと瞬いて、悟ったような顔でやんわりと笑った。私もです、と美由紀は云う。
「私も、海が見たくて」
平日の今日、創立記念日で学校が休みだった美由紀が勝浦に向かったと知ったのは朝だった。
「和寅さんから聞いたんですか？」
美由紀が首をかしげた。
興津には美由紀の祖父が住んでいた家があり、織作家の邸があり、そして、彼女の親友が眠る。
ここへ来る前の和寅とのやり取りを思い出してムッとした。
――なんだ、先生知らなかったんですかい。今日は友達のお誕生日だそうで、朝から勝浦に行くって云ってましたぜ。わざわざお祝いをしに行くなんて、仲がいいんですなあ。
さっきまで彼女が座っていた長椅子に腰を下ろすと、美由紀も隣に腰を下ろした。
「よく私が興津にいるって分かりましたね」
くすりと美由紀が笑う。
「勝浦駅で降りていたらすれ違っていましたよ」
「京極に聞いた」
墓のある場所を。
「ああ――」
そっか、と美由紀は納得したようにつぶやいて前を向いた。
綺麗な横顔だった。通った鼻筋、唇から顎にかけて柔らかな曲線を描き、凛とした視線でまっすぐに前を見ている。
少女たちが遠巻きにこちらを見て囁きあっているが、美由紀の目は彼女たちではなく、さらにその先にある海へと向かっていた。――見ているのは海ではなく、そこにある記憶だ。
おそらく、あんな死に方をしなければ、小夜子という少女は普通に美由紀の前を通り過ぎていくだけの人間だったにちがいない。
「何で和寅には云うのに、僕には云わないのだ」
美由紀の視線が僕のほうを向いた。
「だって、聞かれなかったから」
あっさりと答えられて、僕は眉をあげた。
「聞かなかったら云わないのか、君は」
「別に内緒にしていたわけじゃないですよ？」
「それは分かっている」
思わず溜め息が漏れた。
誘われなかったから、すねているだけだ。
「こういうところには、ひとりで来るべきじゃない」
「一応、地元ですけど」
「そういう意味じゃないよ」
電車が来たので立つと、彼女に手を差し出した。重ねられた手の冷たさに眉をあげ、強く握って美由紀を起こす。
美由紀が笑った。
「探偵さんの手、暖かい」
「君が冷えすぎなんだ」
彼女の手が少しでも温まるように、手を握ったまま電車に乗り込んだ。
ちょうど帰宅時間と重なったのか、空いている席は左側のボックスシートに一つしかない。
通路側の席がひとつしか空いてないので彼女を座らせようとしたのだが、なぜか美由紀は首を横に振って僕に座れと云い張った。
レディーファーストという言葉を知らないのか？ だが、どちらが座る座らないで喧嘩をするのも馬鹿らしいので、美由紀の手荷物を預かって僕が座った。
美由紀は横に寄り添う。
「僕は年寄りじゃないぞ」
彼女を睨んだら、屈託のない笑みが返ってきた。
「このほうが、顔が近くて話しやすいんです」
美由紀は少しだけ顔を傾けて、楽しげに云った。
「ね？」
――確かに、それは認めざるを得ないが。
こんなに可愛い顔をして笑うくせに、そのことをまったく自覚していないから頭にくる。
僕は溜め息をついた。
「混んできたら交代するからな」
はい、と素直な返事が返ってきた。
「海は見なくてもいいんですか？」
「もう見たよ」
美由紀の記憶を。
そのことに彼女も気づいたのか、口元に笑みが浮かぶ。
「それにしても」
美由紀は呆れたような顔で。
「本当に、すれ違ったらどうするつもりだったんですか」
「すれ違わなかったじゃないか」
「それはそうですけど……でも」
美由紀はまだ納得いかない様子だ。それもそうだろう。彼女と合流してまだ五分。
電車が一本ずれていただけで、会うことは出来なかったのだから。
僕はニヤリと笑った。
「仮定の話は意味がないッ！」
「――ッ」
声が高い、と美由紀が僕の口をふさいだ。
――そう、仮定の話は意味がない。
美由紀の手が離れ、僕は静かに笑った。彼女の指を握って軽く引く。
「君がここにいて、僕もここにいる」
美由紀に囁いた。
「ちゃんと出会えたのだからね」
そのことに意味があるのだ。
了
【古風気味な百の題目／098】
2006.11.21
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