榎木津×美由紀
『どこへ行くの』
11月の末。
美由紀と同じ制服を着ている少女を見かけたのは、中野に向かう電車の中だった。いや、正確には制服を着ているわけではなく、私服なのだが。
「呉先輩が――」
という言葉が耳に入り、視線を向ければそこに十代半ばくらいの少女たちがいたのだった。三人とも可愛らしいコートを着ている。
日曜日の午後だ。電車の中は空いている席こそなかったが、立っているのは彼女たちと僕を含めて数人、三メートルほど離れていても少女たちの甲高い会話が漏れ聞こえてくる。
三人とも美由紀の後輩なのだろう。驚いたのは、彼女たちの記憶の中に「呉美由紀」を探すまでもなく、今までにないくらい彼女の姿が目に入ってきたからだった。登下校、移動中の廊下、昼食、体育、行事、全校集会、すべてにおいて少女たちの視線は呉美由紀を追っている。
――これは面白い。
思わず笑みが漏れるのを抑えきれない。
美由紀の記憶を見ても、結局は彼女の姿を見ることが出来るわけじゃない。だが、少女たちは、美由紀そのものを見ているのだ。
図書室で本を読んでいる姿から、同級生や教師と話す姿、掃除をしているときなど、あらゆる学校生活が見て取れた。時には急接近して、すれ違い様にぶつかったり、わざとハンカチを落として、それを拾ってくれた美由紀と会話を交わしたりもしている。
他人の記憶をこれほど楽しく見ることが出来るのははじめてかも知れなかった。
少女たちは会話に夢中になっているので、自分たちに向けられる視線にはまったく気づいていない。
中野駅に近づいていたが、降りるのは止めてそのまま記憶を見続けようと思った。ところが、中野につくと少女たちが降車したので、僕も離れた扉から停車場に降りる。
「呉先輩がここで降りるって本当なの？」
「間違いないわ。神田にもよく降りるけど、中野でもよく降りるらしいの」
彼女たちの様子から、中野駅へは初めて降りたのだと分かった。
「古本屋なんでしょう？」
「そう。ええと、なんと云ったかしら……極悪堂？」
「ええ、確かそうよ。極悪堂」
「呉先輩の後をつけた子が、人を呪い殺しそうなくらい恐ろしい顔をした店主がいたって云っていたもの」
「ええ！？ それで呉先輩は平気なの？」
「笑顔で入って行くらしいわ」
「すごーい」
少女たちは真剣で、僕は笑いを堪えるのが必死だ。
極 悪 堂！
なんてすばらしい名前なのだろう。
楽しくて仕方がない。
少女たちが歩き出したので、僕もその後をついて行こうとした。
だが。
「探偵さん」
背後から声をかけられ、慌てて振り返れば、今まで制服姿で笑っていた少女――ではなく、現実の呉美由紀がいつもの赤いコートを着て僕の目の前に立っていた。
「女学生、君」
僕は少女たちに振り返り、彼女たちが気づいていないことを確かめてから、改めて美由紀に向きなおった。
「一緒の電車だったのか」
今まで知らなかった彼女の学校生活を見ることが出来た喜びに、僕は嬉しくて笑ってしまう。美由紀は電車に乗っているときから僕のことに気づいていたらしい。
「声をかけてくればよかったのに」
「……」
美由紀は少しだけ困ったように、小さく笑った。
「そう思ったんですけど」
「うん？」
美由紀は先ほどから視線をそらしたままだ。
「女学生君？」
「女の子たちを見てニヤニヤしているから……」
だから、声をかけられなかった、と暗に含めて美由紀がつぶやいた。
僕は思わず声を上げて笑ってしまった。
「焼きもちを焼いてしまったのだナ！」
「ち――！」
美由紀は真っ赤になって眉をあげた。
「違いますっ」
恥ずかしそうに紅潮した頬。困ったように眉が寄っている顔も可愛い。
「女学生君」
彼女の肩に手をかけた。
「抱きしめてもいい？」
「は！？」
「可愛いから、抱きしめたくなってしまったよ」
「なんですかそれは！」
美由紀は一歩下がって僕の手を払うと、探偵さんなんて知りません、と云いながら怒って歩き出してしまう。
「女学生君」
僕は彼女を追うと、空いている彼女の左手をつかんだ。
「一緒に行こう」
美由紀は握った手をほどこうとするが、僕は余計に強く握って、わざと大きく揺らした。そうしているうちに、自然と美由紀が諦めるのを知っている。
――ほら。
彼女をぐいぐいと引っ張っていると、まったくもう、と云った様子で美由紀は溜め息をついた。軽く小走りで僕の隣に並ぶので、歩調を緩める。僕は笑い、美由紀の手を握ったまま改札を出た。
少女たちの姿を探すも見当たらない。
「誰か探しているんですか？」
「うん」
「あ――。す、すみません」
美由紀が急に謝るので視線を向ければ、美由紀は恥ずかしそうに顔を赤くしている。
「お仕事中だったのに」
「仕事？」
「邪魔してすみませんでした」
美由紀はペコリと頭を下げた。
――ああ、なるほど。
恥ずかしいのと申し訳ないのとが入り混じった彼女の感情が手に取るように分かった。美由紀は僕から離れようと、手を引き抜こうとする。
「ダメだよ」
「探偵さん？」
「最後まで責任を取りなさい」
「責任って……」
「仕事を手伝うのだ」
美由紀はきょとんと瞬いて、シャキ、と身を引き締めた。
「はい！」
きりりと眉をあげて、凛とした表情で「お手伝いします」とその目が語っている。僕は思わず吹き出してしまった。
「女学生君」
「はい」
「抱きしめてもいい？」
「――」
は！？ と美由紀は突拍子もない声を上げた。
「もうなんなんですか、さっきから」
仕事中でしょう、と美由紀が険しい顔で睨んでくる。僕は唇を尖らせた。
「急に抱きしめると怒るから聞くのに、聞いても怒るのは納得がいかない」
「理不尽なことばかり云うからです」
「……そうか、聞くからいけないのだな！」
「…………」
美由紀が怪訝な顔になっている。
ふふ、と僕は笑った。
「これから抱きしめたくなったときには、宣言することにしよう」
「……は？」
「だから、抱きしめてもいい？ ではなくて、抱きしめるよ――と云ってから抱きしめるのだ。それなら文句はないのだろう？」
「い……良いわけがないでしょう」
呆れるのを通り越し、唖然とした表情で美由紀がつぶやいた。どこをどうしたらそういう結論にたどり着くのか理解不能といった表情。うん、そんな顔も可愛い！
僕がニコニコと笑っていると、
アホですか。
バカですか。
信じられない。
美由紀の感情が、言葉にしなくてもそのまま伝わってくる。
「なにを考えているんですか、もう」
「いつも……」
美由紀の顔を見た。
「女学生君のことをね」
「……」
美由紀は本気で嫌そうに眉を寄せた。
またからかっていると思っているのだろう。
真剣なのに。
ちょっと傷つく。
美由紀は僕を睨んだ。
「お仕事、して、ください！」
はいはい、と僕は肩をすくめた。
美由紀から視線を外し、駅前にある交番の警察官を半目で見ると、少女たちが道を聞いている姿が見えた。少女たちが向かった先は京極堂の方角だ。警察官から正しく指摘されたのかどうかは分からないが、極悪堂はどこですかと少女たちが口にしたであろう姿を想像して笑ってしまった。
怪訝そうな顔の美由紀に笑い、なんでもないよ、と歩き出した。
「行こう。こんなところで立ち話をしていたら、見失ってしまうぞ女学生君」
「見失うって――」
「彼女たちだよ」
「さっきの子たちですか」
「そうだとも、君の後輩だ」
「私の？」
そういえば、と美由紀の顔を見た。
少女たちの記憶に美由紀がいるように、彼女の記憶の中にも少女たちの姿がいても可笑しくはない。不思議そうな顔の美由紀を半目で見れば、確かに視線のそこかしこに彼女たちの姿が見えた。もっとも、美由紀の中では下級生としか認識はされていないようだが。
僕は笑いを堪えることが出来ずに吹き出してしまった。
「探偵さん！？」
さっきからなんですか、と怒る美由紀に僕は謝った。
「女学生君を笑ったわけじゃないのだ。君はモテるな！」
美由紀の前髪の生え際辺りに掠るように口付けた。
「た――っ」
「――あ、いたぞ」
今日は楽しい一日になりそうだ。
前を行く少女たちを指し、
「尾行だッ」
美由紀の手を引いた。
了
【古風気味な百の題目／077】
2006.11.24
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