榎木津×美由紀
『ふわふわ』
ガタゴトと、電車が揺れる。
ふと目を覚ましたら、中野についたら起こすからそれまで寝ていていいですよ――と云った少女が隣で眠っていた。
少しだけうつむいて、両脚と両手をそろえて寝ている。
電車の揺れにあわせて美由紀も揺れる。前に落ちた髪も揺れて、ふわりとシャンプーの匂いがした。
もうすぐ中野だよ、女学生君。
視線を前に向けると、ずっと美由紀を見ている男がいたので睨み付けてやった。こんなことは珍しいことじゃない。
肩に軽い重みを感じて振り向くと、美由紀の頭が肩に当たっている。しばらくすると、美由紀の頭が離れ、今度は反対側のほうへと向かった。
こらこら、離れるんじゃない。
美由紀の腕を引いて自分の肩に安定させると、今度はちゃんと身体ごと寄りかかってきた。
美由紀は脱力して、気持ちよさそうな息を吐く。安心した場所にいる時に漏れるそれ。うん、それでいいんだ。
これが甘えているのであれば文句ないのだけれど。
肩に触れる髪の毛に触りたくなる。いま口付けたら――怒るだろうな。寝ているから気づかないか。
このままずっと美由紀が寝たままならいいのに――。そう思うと、とてもよい考えのように思えた。そうしたら、そのままお持ち帰りしてしまおう。眠り姫は棘に囲まれた城の最上階に眠るという。榎木津ビルヂングの三階だって最上階だ。
中野についたが、美由紀が起きる様子はない。当然、彼女を起こすつもりもない。
扉が閉まり、発車。中野駅の停車場を過ぎていく。
日曜日の昼すぎ。もともと乗客は少なかったが、終着駅に着くと、残っていた乗客も僕たち以外全員が降りてしまった。
停車場にも人はなく、入って来る者もいない。
どうせユーターンするのだから、このまま座ったままでいればいいわけだが、急に静かになった車内で、美由紀はすやすやと眠り続けている。
うん、電車の中で二人っきりというのも悪くない。
美由紀は気持ちよさそうだし、僕も気持ちがいい。この状況が楽しくなってくる。
急に手を繋ぎたくなって、彼女の腕と交差させて左手を握った。暇なので、美由紀の指を弄る。さらさらと滑る肌さわり。親指で手を擦っても美由紀は起きない。
いったい、どんな夢を見ているのだろう。
健康的で、艶々と綺麗な爪。力を入れたら、簡単に折れてしまいそうな細い指。
車掌が歩いてきて声をかけてきそうだったので、空いている指を口に立てて制止する。親父くらいの年齢の車掌は美由紀を見て頷くと、微笑ましかったのか小さく笑い、会釈してそのまま通り過ぎていった。
美由紀は眠り続ける。
――眠り姫は、百年もの間、いったいどんな夢を見ているのだろう。
いずれ救いに現れる王子の夢か、それとも過去の幸せな日々を繰り返し夢見ているのか――。
ガタゴトと、電車が揺れる。
ふと彼女が目覚めた気配が伝わってきて、おはよう、と声をかけたら、美由紀は不思議そうに瞬いて僕を見る。虚ろな目のまま首をかしげた。
「探偵さん……？」
だが、すぐにハッとして姿勢を正した。
「今、どこですか」
「次が飯田橋」
「――ああ、よかった」
美由紀は脱力した。そのままぼうっと窓の外を見ていたが、次第に怪訝な顔に変わっていく。電車が寝る前とは逆走しているのだから、当たり前だろう。
僕は笑いを堪えるのが苦しくなってくる。
美由紀はついに気づいて飛び跳ねんばかりに驚いた。
「探偵さん……！」
「気づくのが遅いぞ！」
「だって……！ え！？」
「駅名を云った時点で気づきたまえ」
「そんな、でも、え――？」
混乱している彼女も可愛い。そして、今ごろ手を握っていたことに気づいたらしい。真っ赤になって手を離そうとするが、誰が離してなどやるものか。
「探偵さん……！」
「女学生君が寝ぼけて手を握って来たのだ」
と嘘をついたら、美由紀はあっさりとだまされて、さらに顔を紅潮させた。浮かせた腰を下ろし、あの、その、と声を落として、すみませんでしたと謝った。
僕は笑う。
神田駅で電車を降りる。結局、中野には行かずに事務所に戻ることにした。手は繋いだままだ。
「いい夢は見れたかい？」
「――」
美由紀は僕の顔を見て、視線をそらしてから小さく頷いた。耳が少し赤い。
僕は首をかしげ、美由紀の顔を覗き込んだ。
「僕は出た？」
「……」
美由紀は軽くひるんだ様子を見せ、忘れましたと云った。
「僕に隠し事をしても無駄だぞ、女学生君」
僕は握った手を揺らす。
「白状したまえ！」
「白状――ですか」
「白状だとも！ そのあと御用だ！」
「ええ？」
美由紀は困ったように――だが、どこか楽しげに苦笑した。
「出ましたよ」
握った手に力を入れて。
「大活躍でした」
「当然だなッ！」
僕は声を出して笑った。
「枕が良かったからだぞ！ 今度は女学生君が枕だッ！」
美由紀はきょとんとして、
「はい」
くすりと、目を細めて笑った。
了
【古風気味な百の題目／056】
2006.12.11
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