榎木津×美由紀 ※恋人設定。
『味覚』
「しようか、女学生君！」
おはよう、の次の言葉がこれってどうなの？
「何をですか、探偵さん」
わざと冷たい声で訊くも、探偵はニコニコと笑うばかり。
「分かっているくせに」
「分かりません」
「じゃんけんだよ、じゃんけん！」
右手の拳をブンブンと上下に振って、薔薇十字探偵――榎木津礼二郎は云った。
「じゃんけんしよう！」
「いやです」
ふん、と私は顔をそらした。
「しません！」
「なんで！」
「何でもです！」
「しようよ」
王様じゃんけん、と探偵は云った。
「絶、対、に！ いやです！」
――王様じゃんけん。
探偵がこれを口にするときは、明らかな事実がひとつ。事務所に和寅さんと益田さんがいないのだ。休みを取っているのか、用事で出かけているのか、少なくとも私がいる時間帯には帰ってこない。
探偵は不満げに唇を尖らせるが、表情は楽しげだ。
「いつも負けちゃうから？」
「……」
――分かっているんじゃないか。
私は探偵を睨んだ。
「しません……！」
「じゃあ、オセロ」
「いやです」
「将棋」
「いやです」
「なんだ！ いやばかりじゃないか」
「だから、いやなんです！」
「勝ったら何でも云うことをきいてあげるよ」
「それでいつも私が負けるじゃないですか！」
「うん！」
そうだね、と楽しそうに。
「でも、今日は女学生君が勝つかもしれないじゃないか」
「……」
その手に乗るものか。うっかりそれじゃあ、なんてじゃんけんをして負けると、とんでもない要求を呑まされることになるのだから。
彼は「探偵」と書かれた三角錐の机から立ち上がると、私の方へと歩いてくる。
思わず、腰が引けて逃げたくなったが、探偵に負けるのが悔しくて、その場で堪えた。
「女学生君」
「……なんですか」
目の前に立った男はにっこりと笑った。
「煙草、もう二週間も吸ってないよ」
「……」
どんな台詞が飛び出してくるのかと構えていただけに、思わず、きょとんと瞬いてしまう。
「そう……なんですか？」
「そうだとも」
「……」
「試してみる？」
何を、とは云わない。探偵は静かに私の返答を待っている。
「……」
私はしばらく迷った末に、こく、と頷いた。
馬鹿なことを、と自分でもわかってはいるのだけれど。
思わず頬が紅潮した。
探偵は楽しげに笑うと、私の頬を両手でそっと包み、横髪をそのまま耳の後ろに流した。
「あ、あの――」
「うん」
心臓が高鳴って破裂しそうだ。
私は探偵の胸元に手を伸ばして上着をギュッと握る。笑う気配が伝わってきて、笑うな、と睨みつけようと顔を上げたら、探偵が優しい目で私を見ているから息を飲んだ。
「――」
こういう目をするのは卑怯だ、と思う。いつも私をからかうような目で見ているのに、時々、真面目な顔でひどく優しい笑みを浮かべて私を見る。そんなときはいつも「大丈夫」と声にならない言葉が聞こえてきて。
探偵の顔がゆっくりと下がってきて、前髪が触れる。
吐息が――。
私が目を瞑ると、反応を確かめるようにそっと重ねられた唇はすぐに離れた。
ゆっくりと目を開くと、探偵の端正な唇が目に映る。その感触を思い出して紅潮してしまう。
彼は口角を上げ、くすりと笑った。
「煙草の臭い、した？」
「……よく……わかりません」
正直に云うと、探偵は楽しげに笑った。
「じゃあ、もういちど」
探偵の手が私の髪を掻きあげる。そのまま髪を指に絡め、私の顔を軽く上げるようにして先ほどよりも早く――そして長く唇を重ねてきた。
最初は触れるだけ。
唇が離れて、ほうと息を吐くと、息を吸う前に再度口付けられた。
探偵はゆっくりと、唇の弾力を楽しむかのように、離れたりつけたりと顔の角度を変えながら、何度も啄ばむように戯れる。
乾いた私の唇を探偵の舌が舐めた。
「探偵、さん」
息を止めているのが苦しくなって喘ぐように息を吐くと、今度は少しだけ強く唇を押し付けてくる。
「……ッ」
頭を強く支えられると、自然と口が開いてしまう。その軽く開いた唇に合わせるように、探偵も吐息を重ねてきた。
「探――っ」
「ん」
崩れ落ちそうになる腰を支えられ、腰から抱き寄せられた。
私は軽く仰け反るようにして、探偵の口付けを受けている。
――だめだ。
こうなるともう逃げ出せない。
美由紀、と。
探偵が囁いた。ぞくりと、背中が震えて。
「探偵さん――」
探偵はくすりと笑い、私の唇を吸うように口に含んで遊びだす。歯列を舌がなぞり、喘ぐように開いた口に探偵の舌が入ってきた。
「……ぁ……ッ」
舌を絡ませ、強弱をつけて舌を吸うように深く重ねてくる。まるで犬が餌を食べるみたいに貪欲に。
唾液が混ざって、喉を流れていく。
心臓が破裂しそうなくらい高鳴って、足や腰に力が入らなくなってきた。腰を支えられてはいるが、このまま崩れ落ちてしまいそうで怖い。
離れようと探偵の胸を押すが、
「だめだよ」
笑うように返ってくる。
落ちないように探偵の背中に腕を回すと、頭を押さえていた右手が背中に回って強く抱きしめられた。
「探……偵さ……、ん」
漏れる声はすべて探偵に飲み込まれていく。
苦しいのか、切ないのか、胸の中が締め付けられるように痛い。
彼のことしか考えられなくなって、すべての感覚が麻痺していく。
「……ぁ」
漏れる喘ぎと粘着音が耳に響いた。
求められながら、私も彼を求める。
探偵がこんなことをするなんて、彼と初めて出会ったときには想像もしなかった。
こんなに愛しくて、相手を欲しいと思う気持ちも、求める心も、激しい思いも知らず。
それを失うことの怖さも――。
――あ。
あることに気づいて、小さく笑ってしまう。
探偵は顔を離すと、熱い息を吐いて、不思議そうに私を見下ろした。
「女学生君？」
私の額に口付けて囁く。
「可笑しなことでもあった？」
「探偵さん、……本当に煙草やめたんだなって、思って」
くすくすと、笑いながら探偵の背中をぎゅっと握ると、探偵も笑いながら私の鼻の頭に口付けてきた。
ちゅ、と軽い音を立てて離れる。
「やっぱりちがう？」
「ちがいます」
「こっちのほうがいい？」
楽しげに訊いてくるので、はい――と私は云った。
「またしたくなってくる？」
真面目に聞いてくる探偵が可笑しくて、自然と笑みがこぼれた。
「――なってきます」
愛しくて、仕方がない。
私は笑いながら、彼の唇に自分のそれを重ねた。
了
【古風気味な百の題目／046】
2006.12.06
「京極部屋」に戻る
≪炎帝月帝≫TOP