「美由紀ちゃん美由紀ちゃん」
　私が事務所に入るなり、益田さんが手招いた。
　なんですか？　と笑って近づけば、益田さんは雑誌を見たまま、
「目が覚めたときに、10センチの榎木津さんがあなたの顔を覗き込んでいました。どうしますか」
　と云った。
「……は？」
　私は瞬いた。
　益田さんは顔を上げる。
「妄想10センチバトンというんだよ。これに載っているんだけどね」
「はあ。……それで何か分かるんですか？」
「ううん特には。――ねえ、目が覚めたときに10センチの榎木津さんが美由紀ちゃんの顔を覗き込んでいたらどうする？　ちゃんと考えてね」
「……ええと……」
　私はソファーに座った。
　朝起きたら探偵が10センチになっていて、私の顔を覗き込んでいたら……。
「どうやってここに入ってきたんですか？　って聞くかな」
「え、突っ込むところ、そこ？」
　益田さんがつぶやいた。
　私は首をかしげた。
「だめですか？」
「ダメってことはないけど……。まあいいや。次の質問」
　まだあるのか。
「その10センチの榎木津さんをあなたは飼いますか？　――ああ、これ、購入する買うじゃなくて、飼育って意味の飼うね」
「10センチの……探偵さんを？」
　三頭身くらいになっているのだろうか。それとも、そのまま小さくなったということ？　
　私は10センチの探偵を想像してみる。きっと小さくても我がままで傍若無人で元気いっぱいに違いない。
　思わず顔がほころんで、ふふと笑いが漏れた。
　そのときカチャリと寝室の戸が開いて、大きなあくびをしながら探偵が姿を現した。
「女学生君、おはよう」
　おはようございます、と返すと、探偵はうんと頷く。
　私は彼が小さくなった姿を思い浮かべた。小さな手でぺちぺちと私の頬を叩いたりして、驚く私に笑って云うのだ。

　――おはよう、女学生君ッ！

　――うわ。
　どうしよう。可愛いかも。
「ええと……その、飼います」
　思わず頬が赤くなった。
　話の流れが分からない探偵が小首をかしげて、私の隣に腰を下ろした。前髪を掻きあげる。
「なんだ、にゃんこでも飼うのか？」
「えっと……」
　そういうわけでは、と否定しようとしたが、その前に益田さんが「そうなんですよ」と云った。
「万年発情期のにゃんこです」
「……」
　探偵が問うように私を見てくるが、どう返せと云うのか。困って益田さんを見れば、喜色満面だ。楽しそうに鼻歌まで聞こえてくる。
「じゃあ、次の質問ね。そのにゃんこがお腹が空いたと主張しています。あなたは何を与えますか」
「なんだシミュレーションか」
　つまらん、と探偵がソファーにもたれた。
　私は探偵が好きなものを想像してみる。……が、探偵の嫌いな物は分かるけど、好物を知らないことに気づいた。だって、何でもよく食べる人だから。
　探偵が好きなものってなんだろう。
　おにぎりとか握ってあげたら食べるだろうか。小さなおにぎりを両手で持って一生懸命食べる探偵を想像したら、可愛くて顔がにやけてしまう。
「えっと、その」
　何をあげよう？　思わず探偵の顔を見てしまう。
　探偵は鼻を鳴らした。
「そんなエロいにゃんこにはモナカでも食べさせれば良いのだッ」
　ぶっ、と益田さんが吹く。探偵の怪訝な視線を受けて笑いを堪えるが、ゴホゴホとわざとらしい咳をしてごまかして、表情を引き締めようとするも、頬がピクピクと痙攣している。
「益田さん……」
「えー、っと。じゃあ、美由紀ちゃんもモナカってことでいいかな？」
「……はい」
　私は苦笑する。
　益田さんは相変わらずわざとらしい咳を漏らしながら、右の拳で口を覆いながら云った。
「にゃんこがトイレに行きたがっています。どうしますか？」
「トイレに……」
　私の指を引っ張って、「お手洗いに行きたい」と主張する探偵を想像してしまう。
　――ああ、どうしよう。可愛い！
「とりあえず、紙の上にしてもらって……そのあと捨てます」
「お風呂に入りたがっています。どうしますか？」
「ええと……お椀にお湯を張って、お椀風呂で」
「お椀？」
　探偵が首をかしげた。
「なんだ、こにゃんこか」
「いやいや、大人ですけどね」
　益田さんが苦笑した。
「美由紀ちゃんと一緒に入るって主張しそうだなあ……」
「そうですね」
　その様子が簡単に想像できて、私がくすりと笑うと、探偵は口をへの字にして眉をあげた。
「女学生君と一緒に入るなんてダメだぞ」
　絶対にだめだ、と探偵は云う。
「僕でさえ一緒に入れないのだからな！」
　私は呆れた。――まったくもう、猫相手に。
「なに云っているんですか」
「ダメといったらダメ。ダメと云いなさい」
　探偵の真面目な主張に、益田さんは笑いを堪えることが出来ず、プフッと吹きだしてしまった。口を押さえたまま顔をそむけるが、肩が激しく震えている。
「益田さん……」
　益田さんを睨むが、彼は笑いを堪えたまま私を見て、ニヤリと意味ありげに笑った。
「だってよ、どうする？　美由紀ちゃん」
「……」
　まったくもう。
　私は宣言するように片手を挙げた。
「分かりました。一緒に入りたいと云っても、絶、対、に、ダメ！　と云います。――益田さん、笑いすぎですよ」
「だって美由紀ちゃん、可笑しくて」
　ひーひーと益田さんは苦しそうに笑っている。
　さすがに探偵も何かがおかしいことに気づいたらしい。片眉をあげて不審そうに私を見る。さらに片目になって記憶を見ているが、私を見たって分かるわけがない。
　――見る相手が違いますよ、探偵さん。
　探偵の視線が益田さんに向かうと、ヤバッといった表情で彼は質問を急いだ。
「にゃんこと初デート！　どこに連れて行きますか？」
「初デート……」
　手に乗せていくのか、それとも、肩に乗せるのか。どちらにしても可愛いだろうな、と思う。
「ええと、公園とか」
「公園ね。じゃあ最後の質問。――そのにゃんこが居たらあなたはどう思いますか？」
「……」
　10センチになってしまった探偵が本当にいたら。
「えっと……」
　自然と顔が緩む。私は両手でニヤけてしまう口を覆った。顔が赤くなってしまう。
「可愛い……と思います」
　でも。

　――でも、なれるものなら私も探偵と同じサイズになりたい、な。

「マスカマ」
　探偵が益田さんに向かって右手を差し出した。
　益田さんはへらへらと笑ったまま、素直に雑誌を手渡す。記憶を見られているから隠しても意味がないのだ。
　探偵は質問内容に目を走らせてから、私を見た。
「小さくなったのは僕か」
「はい」
　私は苦笑し、にっこりと笑った。
「探偵さんが小さくなったら、ちゃんとモナカを食べさせてあげますね」
　探偵が複雑そうな顔になって、益田さんを睨んだ。
「ボケマス」
　けけけ、と益田さんは八重歯を見せて笑った。
「次は美由紀ちゃんが別の人に質問してね」
　私は探偵から雑誌を受け取り、そのページに目を走らせた。リレーのバトンのように、回答者が今度は質問者にかわり、別の人へと回していくという趣旨のようだ。
「じゃあ……」
　益田さんと探偵を見て。
「――探偵さんに」
「うん」
「目が覚めたときに、10センチの益田さんがあなたの顔を覗き込んでいました。どうしますか？」
「踏み潰す」
　寸陰もなく探偵が答え、ええ……！　と益田さんが悲壮な声を上げた。
「やっぱりー！」
「叩き潰してもいいぞ」
「僕は逃げますよ。逃げてみせますとも！　逃げ足なら天下一品ですからネッ」
　ふふん、と益田さんは胸を張るが、それって自慢できることなのだろうか……。
「え、えっと、じゃあ、その10センチの益田さんをあなたは飼いますか？」
「ぃややや。美由紀ちゃん待って待って」
　探偵が答えるより先に、益田さんが右手を出してストップをかけた。
「小さくするのは僕じゃなくて美由紀ちゃんにしない？」
「え？」
「僕だと、もう先が見えるというか……ふふ」
　悲しくなるから、とつぶやくと両手に顔を伏せて泣く真似をした。しくしく、と自分で擬音を口にしている。
　私が探偵を見ると、彼はどちらでもいいと云いたそうな顔で口角を上げる。ははは、と探偵は笑って、猫のように目を細めた。
「10センチの女学生君も可愛いだろうなあ。もちろん、大切にしてあげるから安心したまえ」
　探偵は、私が質問をする前に勝手に話し始めた。
「一緒にご飯も食べるし、一緒にお風呂にも入るし、トイレットも見守ってあげよう！」
「見守らなくて良いです……」
「その後は一緒に散歩だッ！」
「探偵さんの肩に乗って？」
「頭の上でも良いぞ」
「胸のポケットとか」
「手乗り女学生君だな」
　手乗りインコのように、探偵の手を右に左にと移動する自分の姿が浮かんでしまう。くすりと私が笑うと、探偵もまた嬉しそうに笑った。
「お嫁にももらってあげるからね。一緒に寝よう」
「それは遠慮します」
　寝相の悪い探偵に圧死させられる自分の姿が目に浮かぶ。
　探偵は眉をあげて私を見た。
「君ね……」
「はい？」
　探偵は何かを云いたげな顔をするが、そのまま不機嫌そうに口を閉じてしまった。
「……なんでもない」
　漏れたのは溜め息。そのあと、ぶつぶつと何かをつぶやいている。鈍いとか鈍感とか。
　探偵が言葉を濁すのは珍しい。云いたいことがあればはっきりと云えばいいのに。
　ふと、笑う気配を感じて顔を上げれば、益田さんが笑いを堪えた顔で私たちを見ていた。
　――何？
　なんだろう。何か可笑しなことを云ってしまったんだろうか。
　問いたげな顔になっていたのか、益田さんはなんでもないよと笑顔で首を横に振り、しまいには苦笑した。
「本当だって、なんでもないよ」
「うそ」
「鈍い美由紀ちゃんが可愛いなって！」
「もうそれはいいですから」
　私も苦笑を返し、もし益田さんの前に10センチの探偵が現れたらどうなるだろう、と考えてみた。
　……が、あまり今と変わらない気がする。小さな探偵に、益田さんは下僕とこき使われ、振り回され続けるのだろう。
　うん。
　大きくても小さくても、探偵は探偵だ。
　私は気持ちを切り替えて笑った。
「益田さん」
「なに？」
「益田さんの前に、もし10センチの私が現れたらどうしますか？」
「10センチの美由紀ちゃん？　うわー！　可愛いだろうなあ〜。もちろん――」
　もちろん、と云ったきり、益田さんは硬直した。
「……」
「益田さん？」
「ええと、その……もちろん……」
「はい」
「榎木津さんに届ける……かな」
「ええ？」
　うわははは、と突然探偵が笑った。
「マスカマにしては殊勝な心がけだッ」
　ははは、と益田さんは空笑いを漏らして、はあ……と溜め息をついた。
　私は探偵を睨んだ。
「探偵さん、益田さんを無言で脅すのはやめてください」
「脅してなどいないぞ」
　探偵は、ふんと鼻を鳴らした。
「女学生君は大きくても小さくても僕のものなのだッ！」
「すぐに僕のものっていうのもやめて下さい」
「だって僕のだし」
「だから――」
「僕の！」
　まるで子供の主張だ。
「僕のだッ！」
　私はガクリとうなだれ、
「……はい」
　もうそれでいいです、と思う。
　探偵の手が私の頭に伸びてきて、無遠慮にくしゃくしゃと撫でた。本当に猫や犬と同じに思われているのかもしれない。
　女学生君、と探偵が静かに口にするので顔を上げると、思わず胸が高鳴った。鳶色の瞳が優しく私を見ていて――。
「それを忘れないようにね」
「何をですか？」
　反射的に云ってから、あ――と思う。私は慌てて付け加えた。
「探偵さんの――ってことですよね」
「そうだッ！　君がそうやってすぐに忘れるから僕が何度も繰り返すことになるのだぞ！　僕は何度も同じことを云うのが嫌いなのだ。ちゃんと反復しておきたまえッ！」
「……」
「反復！」
「ええ……？」
「反復！！」
　何度も同じことを云うのが嫌いという割には、何度も同じことを云っている。
　益田さんはすっかりツボに入ったらしく、声を出さずに笑っているし。
「ええと……私は、探偵さんのものです」
「大きくても小さくてもだぞ」
「はい」
「一緒に散歩もする」
「はい」
「一緒にご飯も食べる」
「はい」
　くすりと笑ってしまう。
「お手洗いだけは別にしてくださいね」
　うん、と探偵が頷く。
「一緒にお風呂も入る」
「……」
「入る！」
「はい」
「一緒に寝るぞ」
「……はい」
「お嫁にも来る」
「………………」
「僕の！」

　――もう、どうしたらいいの、この人。

　呆れるを通り越して、可笑しくて仕方がない。

　愛しくて。

　きっと、重症なのは私の方だ。たとえ探偵の言葉が戯れであったとしても。

　――心から。



　はい、と私は笑った。





　了