榎木津×美由紀
『絆』
中禅寺敦子が久しぶりに実家へ行くと、店には「骨休め」の札がかかっていた。来客中なのだとひと目でわかる。
母屋の玄関にはいくつもの靴が並び、座敷に続く縁側を見ると、ゴロンと生首のように榎木津礼二郎の顔が飛び出している。身体が長いので、横になるといつもこうなってしまうのだ。榎木津を起こさないように静かに身を引くと、敦子は台所に入った。
挨拶をすると、義姉の千鶴子が笑顔で迎えてくれた。義姉の隣には関口雪絵がいてふわりと笑う。千鶴子が西洋的な美しさを備えているなら、雪絵は東洋的な美人だ。
「雪絵さんもいらしたんですね」
ということは座敷には関口先生も来ているのだろう。後でご挨拶に伺おう、と敦子は思う。
雪絵は敦子に頭を下げた。
「お邪魔しています」
「あらやだ、私だってお邪魔している立場です」
敦子はこの部屋の中にいるもう一人の人物、呉美由紀に笑いかけた。
「美由紀ちゃんも来ていたのね、こんにちは」
「敦子さん」
学生服を着たままの少女は少しだけ頬を紅潮させて笑う。こんにちは、と明朗な口調で可愛く笑う少女に敦子は目を緩ませた。
敦子もいまだ女学生に見間違えられるが、やはり現役女学生と比べるとその違いは歴然だ。美由紀の肌理の細かい肌を見ると羨ましくて溜め息が漏れる。敦子が美由紀と同じ年頃だったときにはニキビで泣いていたものだが。
「榎木津さんに拉致られてきたの？」
敦子が笑うと、少女は「はい」と微苦笑を漏らす。
昭和二十八年の春先に起こった事件をきっかけで探偵一味と知り合った少女は、千葉の学校から東京の学校に編入する際に、遅れていた学力を補うため元教師である敦子の兄に勉強を見てもらったのだという。その後も千鶴子から着付けを学んだり、兄に本を借りたりと京極堂へ頻繁に訪れているのだ。そして、今日のように拉致られてきたりもする。
テーブルの中央には雑誌が一冊広げられている。カストリ雑誌だ。しかも「實録犯罪」の最新号。三人でそれを見ていたらしい。
「鳥口さんも来ているの？」
「はい、木場さんも。みんな大集合って感じです」
手馴れているのか、美由紀が急須のお茶を新しくして入れ直してくれる。
「ありがとう」
敦子は笑ってお茶の置かれた席に着く。
美由紀は千鶴子と雪絵の湯のみにもお茶を注ぎ足した。
「兄貴たちって、いつも何を話しているのかしら」
敦子が不思議そうに云う。事件がないときでも集まってくるのだから。
くすりと千鶴子が笑った。
「猫の溜まり場なのよ」
しばらくして、猫の溜まり場にお茶を、と座敷に行こうとする義姉を制して、敦子はその役目を買ってでた。
「失礼します」
襖を開けて座敷に入ると、元気に身を起こした人物が高笑いした。
「やあ、敦っちゃん。君も来ていたのか！」
「榎木津さん、こんにちは。――先生も、お久しぶりです」
敦子は笑って菓子器をテーブルの中央に置くと、新しいお茶を入れなおしていく。いつの間にか木場は帰ってしまったらしい。
敦子は相変わらず小難しい顔をしている兄の真正面に座った。
「ねえねえ兄貴」
兄の顔をじいっと見て、敦子はふふと笑った。
古書肆は眉をひそめた。
「なんだ、気持ちが悪いな」
「兄貴って、十五歳くらいの隠し子がいたりしない？」
ブホッ。
黙ってお茶を口に運んでいた文士がお茶を吹き出した。
「す、すまない」
あたふたとしている関口を無視して、古書肆は渋面となる。
「いるわけがないだろう。なんでそんなことを聞くんだ馬鹿」
「別に弟でもいいのよ、もしいるなら美由紀ちゃんとどうかなあって思っただけ」
「女学生君は僕のだからだめだよ」
榎木津が云う。
敦子は唇を尖らせた。
「榎木津さんと美由紀ちゃんが結婚したら、私、お姉ちゃんって呼んでもらえなくなります」
「それなら簡単じゃないか。敦っちゃんが僕の姉になればいいのだ！」
「あ、そうか！」
敦子はポンと両手を合わせた。
「お兄さんがいらっしゃるんですよね！ わ、紹介してくださいっ」
「敦子……」
呆れたようにつぶやいたのは古書肆。おまえ、と云った。敦子の物言いから、やり取りが冗談であることはわかっている。
「……そんなにお姉ちゃんと呼ばれたいのか」
「なんでわかるの！ ――あ、わかった。お手洗いに来たときに聞いたんでしょう！ いやらしいっ」
「なにがいやらしいだ。盗み聞きをしたような云い方をするな。聞こえてきたんだよ」
「何の話をしていたんだい？」
関口が吐き出した茶を拭き終えてから首をかしげた。
「ずいぶんと楽しそうな笑い声は聞こえてきたけど」
お前たちは集まるといつも喧しい、と古書肆はぶつぶつとつぶやく。敦子はそれをさらりと無視した。
「先生、實録犯罪の最新号はお読みになりましたか？」
「いやまだ」
「小話で、身近な人を自分の血縁にたとえて、相手の印象でなんて呼ぶかって話があったんです。弟妹、兄姉、父母、叔父母、伯父母、祖父母ですね。全員、云い方を変えなくちゃいけないんです。お父さんだったり、親父だったり。それで美由紀ちゃんに聞いていたんですよ」
――美由紀ちゃんにとって兄貴は？
敦子が聞くと、美由紀は口元に拳を当てて考え込んだ後、「お父さん……？」と答えたのだった。
「まあ、じゃあ、私のことは叔母さん？」
敦子が笑うと、美由紀はふるふると首を振って「敦子さんは」と云った。
「お姉ちゃんって感じです」
「お姉ちゃん！」
敦子はその響きになんだか嬉しくなる。
「妹より背の低いお姉ちゃんでもいい？」
「はいっ」
「私、お姉ちゃんってはじめて云われたわ。うれしい」
「私のことはどう？」
雪絵が首をかしげると、美由紀は少し考えてから「お姉さん」と答えた。
雪絵が「まあ」と笑い、千鶴子が少し不満げな顔をする。
「あら、それじゃあ私はお母さんかしら」
美由紀は首を横に振った。
「千鶴子さんは……お姉さまって感じです」
「お姉さま！」
三人は声を出して笑った。
「すごい、確かに！！」
「じゃあ、うちの人は？」
雪絵が笑いながら答える。
「関口先生は……、ええと、叔父さん……かな」
ああー、と三人は納得して頷く。
敦子は首をかしげた。
「木場さんはどう？」
「木場さんは……」
美由紀はううん、と悩んだ後、
「親父？」
と云った。三人はまたも爆笑してしまう。
「わかる、わかるわ！ 親父って感じよね」
「頑固一徹っていうか」
「俺の娘は絶対に嫁にやらんって感じ」
云いたい放題だ。
鳥口、益田、青木などは兄属性として分類され、そして最後に――。
期待満面の顔で自分の登場を待つ榎木津に、敦子は明るく笑った。
「榎木津さんはパパだそうです」
「パパ？」
たちまち榎木津は眉を寄せて不満そうな顔をするが、中禅寺も関口も鳥口もこれには大きく頷いた。
「パパですねえ」
「パパだな」
「パパだろう」
「なんで僕がパパなのだッ！」
「パパじゃないか、榎さん」
「娘を甘やかして溺愛しているあたりですかねえ」
鳥口が云う。
「良かったじゃないですか、大将」
「どこがだ」
「同じ父親でも、木場さんや師匠は厳しいイメージがあるけど、大将には甘えやすいってことなんですから」
鳥口は、にっこりと笑った。
「そういうの、あれですよね。飴と鞭は使いよう！」
それはちがう、と誰もが突っ込んだ。
了
【古風気味な百の題目／049】
2007.02.18
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