榎木津×美由紀
『敵の敵は味方』
「きみは恐ろしい人間だな！」
探偵が云い放つ。
なんてことをするのだと。
驚いたのは私の方だ。
「だって」
「だってじゃない！」
心なしか、探偵の顔が赤い。
「人が酒を飲んでいるときにいきなり――。笑うな木場修！」
「これが笑わずにいられるかよ！」
向かいのソファでは刑事が腹を抱えて大声で笑い、床では探偵助手がヒイヒイと笑い転げている。
テーブルの上は吸殻が山盛りの灰皿と、空の酒瓶が九、半分ほど残った酒瓶が一、ツマミの皿などでぎっしり埋っている。
これがいつもの土曜日なら私が来るからと酒も煙草も控えてくれるが、祝日の今日は私のほうが突然遊びに来たのだ。真昼間から酒を飲んでいる状態に呆れてしまうも、こればかりは仕方がない。
酒に強い祖父の血を継いでいるためか、私も酒の匂いくらいで酔っ払ったりはしないが。
「だって」
私は頬を膨らませた。そんなに怒るほどのことじゃない――はずだ。
「気になったんです」
「気になったら即実行するのかきみは！」
「疑問に思ったからつい」
益田さんは「噴水噴水！」と笑いながら転がっている。
「うるさいぞバカマスカマ！」
「だって、榎木津さん、噴水……」
思い出したのか、すぐに吹き出してしまう。笑いすぎて頬が痛い、と益田さんは苦しそうに云った。
「うるさい！ お前も噴水だっただろうが！」
探偵はすっくと立ち上がると益田さんに蹴りを入れるが、転がる男は上手く避けている。探偵はわざわざ追いかけて助手の尻を一蹴した。それで満足したのか、探偵はくるりと振り返った。そのまま近づいてきたので、私は反射的に立ち上がって逃げるように移動した。
「……」
思わず顔を見合わせて沈黙が走る。
探偵はムッとしたように口をへの字にした。ソファを回ってくるので、私は反対側に逃げる。
「何で逃げるのだ」
「探偵さんが追うからです」
「……」
私たちはグルグルとソファの周りを回った。そのうち溶けてバターになってしまうに違いない。
「女学生君！ 止まりなさい！」
「探偵さんが止まったら私も止まりますっ」
「目が回るじゃないか！」
探偵が中央突破を仕掛けてくるが、私はするりとかわした。
「お嬢、こっちに来い」
刑事が自分の膝を叩いた。
「国警の総力を挙げてバカ探偵から守ってやるぜ」
「お願いしますっ」
私はソファを回ると刑事の足元に正座した。最後の砦とばかりに、彼の太い足に両手でお手をするようにしがみついた。
「女学生君！ 僕以外の者にしがみつくんじゃない！」
「うるせえよ」
刑事が持っていたスルメを探偵に投げた。
「噴水野郎が」
「僕は噴水じゃないぞ！」
「噴水になったじゃねえか、ぷうってよ」
ゲラゲラと刑事は声を出して笑う。彼がこんなに声を上げて笑うのを初めて見た。
探偵は親の敵でも見るみたいに刑事を睨むと、眉を吊り上げたまま視線を動かして私を睨んだ。
「とにかく、こっちに来なさい！」
「いやです」
「怒らないから！」
「もう怒ってるじゃないですかっ」
「当たり前だッ！」
私は探偵を見上げて唸った。
だって、と思う。
だって、あんなことになるなんて思わなかったのだ。
事務所に来たら、ソファでグラスを片手に二人が酒を飲んでいて。
全部ふたりで飲んだんですかと問えば、そうだと云うから、探偵のいったいどこにこれだけの酒が入っているのだろうと――。
探偵の腹を撫でただけだ。
たまたま口に含んでいた酒を探偵は噴水のように噴き出し、それを見ていた刑事もまた酒を噴き、益田さんも飲んでいた珈琲を噴いた――。
「女学生君！」
背後に回られそうになったので、私は慌てて刑事の膝裏を潜り抜けた。わたわたと立ち上がると、探偵の手から逃れてソファーを回る。
「刑事さんっ」
国家警察の総力を挙げて守ってくれると云った人に助けを求めるも、ソファにどっしりと構えた強面の刑事からは、
「貞操の危機となったら守ってやるから安心しな」
と、まったく安心できない言葉が返ってきた。探偵は探偵で、私が触ってきたのだから僕も触るのだと、とんでもないことを主張し始めた。
「刑事さん……！」
本気で助けを求めていたのだが、刑事は手首を振った。
「お嬢、ほら逃げろ。変態が来るぞ」
伸びてきた手に二の腕をつかまれて、そのまま探偵に捕縛されてしまった。
「捕まえた！」
「うわ！」
羽交い絞めされて身動きが取れない。
「いや――！」
「いやじゃない！」
探偵は、私の顔に向けてわざとハアアと息を吐きかけてきた。
「酒くさッ！」
じたばたと暴れると、探偵はうわはははと陽気に笑った。
「もう、最低！」
「なでなでした罰だ」
酔っ払いは楽しそうに鼻で笑いながら、んちゅううううう、と私のこめかみに口付けてくる。
「け、刑事さん！ 助けて――！」
「おう、なんだ、貞操の危機か？」
「危機です！！」
「それじゃあ仕方ねえな、俺に任せな」
刑事が重い腰を上げた。さすがに凄むと迫力がある。――が、口にくわえたスルメにマッチの火をつけようとしている。
「なんだ、点かねえぞコラ」
――こ、この酔っ払いどもめー！
この二人、いったい、どうしてくれようか！
「ま――益田さん！ 助けてくださいっ！」
探偵助手は、刑事のスルメ煙草に笑い転げていた。――もしかして、酒の匂いで酔っ払ってる！？
ああ――。
誰か――助けて！
「換気しないと匂いがすごいですよう」
私たちの騒ぎを気にもせず、和寅さんが呑気に事務所内の窓を開けていった。
並んで正座した彼らに説教し、三ヶ月禁酒の刑を云い渡したのはそれから一時間後だった。
了
【古風気味な百の題目／057】
2007.06.12
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