榎木津×美由紀
『熱病』
「男も女も、相手を『このひと可愛い』って思ったらもうだめよね」
「そうそう、惚れている証拠」
千鶴子さんと雪絵さんの言葉を聞きながら、ああ、そうかもなあ……と思った。
例によって探偵に拉致られてきた私は京極堂に着くなり放置されて、千鶴子さんと一緒にお菓子を作っている。
途中からパート帰りで寄ったという雪絵さんが加わって、台所は女たちのお茶会状態だ。
甘い匂いがすでに漂いはじめているから、探偵は今頃眉をしかめているかもしれない。作ったのがクッキーなのは、探偵への嫌がらせだ。
「美由紀さんはどう？」
「え？」
「榎木津さん」
「可愛い？」
いきなりふられて、私は動揺した。
「そ、そうですね……」
思わず頬に熱が集まった。
子供みたいに騒いだり我がままを云ったり、呆れるくらい可愛いことだらけだ。
千鶴子さんも雪絵さんも、私の反応を楽しそうに見ている。からかわれているのは分かるけど、不快に思わないのは二人の眼が優しいからだろう。
――探偵はどうなんだろう？
意味もなく私を可愛い可愛いと口にする彼は。
「……」
――ないな。
猫や赤ちゃんを可愛いと口にするのと同じレベルだ。
ふと、そういえば探偵が最初に私を「可愛い」と口にしたのっていつだったっけ――と思った。
――おお、可愛い女学生が居るじゃないか！
第一声から！？
「うわ！」
急に浮かんだ探偵の言葉に、私は両手で口を覆った。頭へ一気に血がのぼって、ボ、と音が出たんじゃないかと思うくらい顔が熱い。
「美由紀ちゃん！？」
「美由紀さん！？」
大丈夫？ と二人とも驚いたように私を見ている。
「な、なんでもないです……！」
顔の前で手を振って二人に謝るが、依然、顔は紅潮したままだ。恥ずかしさのあまり鏡を見なくても自分が真っ赤になっているとわかる。私は「うう……」と唸ると、燃えそうなくらい熱い耳を押さえて机に顔を伏せた。
「すみません……！ 変なことを思い出して」
――だって、違う。探偵のあれは好きだとか惚れているとか、そういう意味じゃない。
あの後、すぐに云っていたのだから――。僕は犬だろうが毛虫だろうが便所の蓋だろうが男だろうが老人だろうが、可愛いと思えば可愛いと云うと。
探偵にとっては可愛い＝女学生で、それを目当てで学校に来たのに事件で閑散とした校内に生徒が居なかったから、たまたま学校に残っていた私に向かって思わず口にしてしまっただけで。
あの「可愛い」は犬や毛虫や便所の蓋と一緒なんだ。
意味などない。
それなのに、顔から火照りが取れない。
――違う、違う。あれは違う――。
念じるように脳裏で呟いていると、
「どうした」
背後から探偵の声。座敷にいた探偵が台所にやってきて、私は内心で悲鳴を上げた。ますます顔に熱が集まって、泣きそうになってくる。
「女学生君？」
「――」
探偵に問われても、言葉が出てこない。
「ゴキブリでも出たのか」
私はフルフルと首を横に降った。
ああ、そうか、私が叫んだから驚いて来たんだ――。
「ちがうんです、すみません……！ ちょっと、変なことを考えて……」
どうしよう！ 顔を上げられない。
いやそれよりも、変なことを考えて顔を真っ赤にするってどうなんだ、と自分で突っ込みたくなってしまう。
千鶴子さんと雪絵さんがくすくすと可笑しそうに笑い出した。
「榎木津さんが美由紀ちゃんを可愛いって思ったのはいつですの？」
「雪絵さん……！」
焦って止めようとするが、探偵はにっこりと笑った。
「女学生君は最初から可愛かったよ」
「まあ！」
「あら！」
「ち、違うんです！」
真っ赤になって主張する私に、探偵は「何が違うのだ」と怒ったように眉を上げた。
「僕は嘘をつかないぞ」
「だって、あれは犬や毛虫なんです」
「何を云っているのだ」
「便所の蓋なんです」
探偵は怪訝な顔で、私のおでこに手を当てた。
「熱でもあるのか？」
それでますます顔が紅潮した。
「ち、ちが……」
「女学生君？」
「……ちがうんです」
「違わないだろう？ 一生懸命で可愛かったじゃないか」
困って泣きそうになった。頼むから、これ以上云ってくれるな、と。
探偵はまじまじと私を見つめる。
「……よくわからないが」
ぼそっと呟いた。
「真っ赤になって、泣きそうな顔も可愛いと思うぞ」
了
【古風気味な百の題目／031】
2007.09.24
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